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ゼロファイター 世界を翔ける男 第1章 危機への滑落 火だるまのゼロ戦 


第1章 危機への滑落 火だるまのゼロ戦 


1・海軍のサーカス部隊


グアムから南西へ千キロ、ミクロネシア連邦のカロリン諸島西端に浮かぶ南洋の島、ヤップ島には今日も南国の風がそよいでいるだろう。だが第二次世界大戦中のそこは“異常が日常”になった島であった。

1944年6月(昭和19年)、菅原靖弘(すがわら やすひろ)はヤップ島の風に吹かれていた。所属は261航空隊。通称、海軍のサーカス部隊の異名をとる虎部隊。北海道三笠町生まれの菅原は、弱冠20歳にして「海軍戦闘訓練生始まって以来といわれる腕を持った男」と評判をとっていた。


菅原靖弘氏 (写真は本人提供) 

予科練を卒業し、百里原航空隊の赤トンボといわれる練習機では成績2番で卒業した。
その後の九州の大村航空隊では戦闘機乗りとして首席の成績、続く鹿児島の鴨池基地の猛訓練では、教官相手に互角に戦うか、時には勝っていた。
誰も教えてくれない海軍独特の空戦テクニックのひねりこみ戦法も自分でマスターした。

「お前の単機空戦は世界一流。もう世界中の戦闘機で、お前と単機空戦で勝てる者はいない。ワシが保障する」。こんな御墨付きを、日支事変からの生き残り名パイロット東山中尉からもらっていた。
虎部隊が海軍のサーカス部隊と呼ばれるには訳があった。部隊の全員が、編隊宙返りができる腕の持ち主であり、かつ菅原を含めた3~4名が戦闘機で一番難しいとされる編隊ロールができたからである。

宙返りはループといわれるもので、飛行機の進行方向に対し逆V字型に編隊を組んで、そのまま機首を上にあげ、遊園地にあるようなジェットコースターみたいに下から上にあがり、再び元の高さにおりてくる上下の円運動を行うものだ。

これに対しロールは編隊の先頭にいる1番機が、機体の軸線を中心にその場で小さな円を描き“くるり”とひねりこむ形で一回転する。それにあわせて左右後方にいる2番機3番機は、1番機と握手できそうな位置を維持しながら、3機が一体となった形で一回転するものだ。

扇風機に例えれば、中心が一番機、扇風機の羽の部分が2番機3番機であり、その形で一回転するのが編隊ロールである。これが難しい。“腕と頭”が必要だ。
だからこの編隊ロールができるのは、海軍パイロットのなかでも他の部隊には皆無に等しかった。

これらの編隊宙返りや、編隊ロールは、一般的には技術の誇示か、遊びのように見られがちだが、実はそうではない。編隊で宙返りをやるには2番機、3番機は1番機を見ることはもちろんだが、全体を見る能力が要求される。絶えず自分の機が水平線に対しどのような態勢になっているかを把握し、他機の状況も把握しなければならない。それは戦闘になったとき当然必要なこととなる。

虎部隊だけがそのようなことができたのは、偏(ひとえ)にリーダーがよかったからだ。木村兵曹長がアクロバット飛行を好み、真珠湾攻撃の生き残りの林兵曹が上手かったから、実際に行(おこな)ってみせてもらい、その訓練を受けた。もっともこれは天性の感覚の上に立って訓練した人だけができるのであって、訓練すれば誰でもできるものではない。
ともかく、そのような卓越した技倆のパイロットが集まったのが虎部隊だった。

そして菅原は今、虎部隊の一員としてヤップ島にきているのだった。
毎日のように出撃する仲間はほとんど帰ってこない。昨日も轟々(ごうごう)とエンジンの音を轟かせて、ゼロ戦と彗星艦上爆撃機合計60機以上が出撃したが、帰投予定の今朝に帰ってきたのは3機にすぎなかった。昨日見た顔が今日はもういない。永遠に会えない。
だが異常が毎日となった日常。それは人の心を麻痺させ、飛行機搭乗員にも特別な感情を抱かせなくなっていた。菅原は親友が死んでも、眉(まゆ)一つ動かさない人間になっていた。

そうなったには、きっかけとなった一つの事故があった。九州の大村航空隊で、教官の乗った96式戦闘機がダブルロール(急横転)飛行から水平キリモミに入ってしまい、大村湾に墜落しそうになった。
通常のキリモミは腕があれば回復できるが、水平キリモミと背面キリモミは危険なキリモミだ。一旦通常のキリモミに戻さなくてはならない。「あっ、危ない」、そう思った菅原は海岸線に向かって心臓が破裂する位に全力で走った。
だが、その教官は水平キリモミから回復できず、海に墜落した。人の死を目の当たりに見た菅原は、人の命のはかなさを感じ、可愛そうなことになったと同情した。が、その気持ちは上官からあびせられた一言で吹っ飛んだ。

「貴様ら、何をめそめそしているか! 一人死んだくらいでどうするか! 戦場に行けば毎日のことだぞ!」
〈確かにそうだな〉そう菅原は思った。そして人の死に特別な感情を抱かなくなった。
だから出撃命令が出ても、眦(まなじり)を決してという雰囲気でもなく、武者震いして戦闘機に乗り込むという感じでもない。仕事の現場へ出かける時間になったから、みんなして「では行ってくるか」、という感じである。

2・高級士官は軍服を着たサラリーマン


「搭乗員全員集合!」。集まった若者に向かって部隊の司令263航空隊玉井海軍中佐は、声を張り上げた。
「諸君は今日、サイパン沖の攻撃に向かう!」。玉井中佐は続けて、サイパンにいるマリアナ守備軍最高指令官、齋藤義次中将からの電文を読み上げた。「敵アメリカの上陸軍は、我々陸軍が引き受けた。敵を一歩だに上陸させない。海軍は敵艦隊の撃滅に専念せられたい」。

これを聞いた菅原は内心〈へぇ~、戦国時代の延長のような装備しかもたない陸軍守備隊に、そんなことが出来るのかな?〉と思った。


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