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小さなタイピンの大きな思い出1  猿倉スキークラブ・タイピン

ネクタイを結んだとき、タイピンボックを見たら、想いで深いタイピンが二つあった。小さなタイピンだが、じっとみていると思い出があふれ出てきた。
そんな大きな思い出をかいてみたい。まずは猿倉スキークラブ・タイピンから。

私は昭和24年(1949年)、♪「青い山脈」の曲とともにこの世に生を受けた。
実家の富山県の大沢野町からは、東に北アルプス立山連峰を望み、南には岐阜に続く飛騨山脈が迫っている。

我が大沢野町は、その飛騨山脈から流れる神通川が、笹津というところで平地となるが、大沢野はそこから広がった河岸段丘の扇状地である。
学校の行き帰りに、南の飛騨山脈の北端に位置する笹津方面の山を見ると、猿倉スキー場がみえる。


猿倉スキー場(富山県、大沢野町。現富山市)


町営の小規模のスキー場だが、長く伸びる斜面をみている度に、「あそこを滑ってみたい」と思って歩いていた。
週末に学校の友達数人とそのスキー場に行くと、着座式のチェアーリフトは無く、ロープに掴まって、引っ張り上げてもらうロープトゥ式のものしかなかった。麓に休憩小屋はあったが、床は土間でテーブルとイスが置いてあるだけの簡素なものだった。

でも、とにかく楽しかった。巷には「白銀は招くよ」の曲が流れていた。

その後スキー熱が嵩じて、インストラクター資格を取った私は、割り当てのような恰好で、猿倉スキー場で開催される「全日本スキー連盟の1級テスト」に検定員の立場で行くことになった。リーダーは私が入っているスキークラブの山川幸男会長だった。

我が町のスキー場であり、小さい頃の思い出がいっぱいのスキー場で、検定員をやれることに、なぜか嬉しく思った。

二人は、検定を終えて山を下りようとすると、役場の人だと思うが、「お礼に、食事を一緒にしたいと」と誘われ、スキー場を降りたところにあるドライブイン笹津に入った。
そのとき、「これを記念にどうぞ」と言って渡されたのが、「猿倉スキークラブ」の文字と、スキースタイルをデザイン化したタイピンだった。


裏面には、猿倉スキークラブと 
創立25周年記念 1968年と書かれている。
(創立は1943年)

そんなクラブがあることも知らなかったが、それが気に入ったものだから尚更「なかなかやるもんだねぇ~」と思った。

そのタイピンの裏側をよーく見ると、「創立25周年記念 1968年」と書いてありことを半世紀以上経って初めて知った。ということは私が生まれる前の1943年創立である。
歴史があるんだなぁ~とつくづく思った。

猿倉スキー場は、年々設備に充実し、ナイター設備もできたが、スキー客減少もあり2009~2010シーズンで閉鎖となった。

閉鎖はしても、小さな頃から目に馴染んだその猿倉スキー場は、心のふるさとでもある。
そしてそこで、一緒にスキー検定をリードして下さった山川会長には、長年にわたり人生を教わった。

もう、そこで滑ることは無いが、このタイピンを見る度に、猿倉スキー場と山川会長のことを思い出す。

今は、猿倉城址公園として整備されている。
帰京の際、懐かしいので行ってみたら、桜が咲いていた。
後方は富山平野。
中央が、我がスキークラブの
「富山スポーツマンクラブ」山川幸男会長。
(左が筆者) アラスカにて。

白銀に輝くスロープは、今年も綺麗に輝いているだろうなぁ~
そんな私の心の財産を思い出させてくれるタイピンよ、有難う。

#タイピン #猿倉スキー場 #山川会長  

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