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農業用トラクターは楽し。第2部 馬からトラクターへ


■田植えまでの3段階。


ここで、一般的な田耕しから、田植えまでの流れを記したい。これを現代ではトラクターで行う。

田圃は、1枚の面積が大きく、道路付けが良いと楽だ。同じ5,000坪の面積を作付けするにしても、1枚の田圃が1,000坪なら5枚となり、100坪なら50枚となる。
1枚の田圃が1,000坪なら、鼻歌もので作業ができる。だが面積が小さい田圃が沢山だと鼻歌を歌っている暇はなく、畔のところですぐにターンをしなくてはならない。だからトラクターをターンさせる回数も50倍になる。さらには田圃の四隅はバックしてから耕すが、これも50倍となる。

我が家の田圃は、一枚が小さかった。だから農地整理されて道路付けがよく、1枚のひろさが1,000坪の田圃が羨ましかった。

さて、稲作作用の田んぼは、春に3回の田起こしをする。

1回目は3月下旬からの、春のバンタ起こし。これは版のようになった田の土を起こすから、そう言うのであろう。

2回目は、4月の水田(みずた)作業である。バンタ起こしをした農地に肥料を撒き、そこに農業用水路から水を引き込み、中仕上げをする。
この時、トラクターの後には、カラスはもとより、いろいろな鳥が昆虫を狙って降りて来る。
この作業のときに、下手をするとトラクターが田圃の土に潜り込み、身動きできなくなる時がある。だから、どのあたりが深いとか、柔らかいとかを頭に入れて作業する。

3回目は、植え代掻きである。田植えの前の総仕上げだから、表面を滑らかに、且つ水平にするようにしなくてはならない。田圃の表面を滑らかにする為に、トラクターの後ろに電車の枕木のような大きさの角材を引いて作業する。

■田耕(たおこ)し道具の移り変わり

1・馬の時代
戦後間もない1950年頃は、田耕(たおこ)しは馬だった。
私が小学生低学年の頃は、父は前述の3段階の作業を全て馬でおこなっていた。
だから我が家には、春のその時期だけ、農耕用の馬がいた。母は麦を煮たり、草を刈って飼葉として馬に与えていた。
それだから家の中の一部は、馬小屋になっていた。
私は、田圃への行きかえり、時々馬に乗せてもらったりしていた。

2・馬から耕運機へ
小学5年生の頃は、地域で最初に歩行用の耕運機を使っておこなった。私は見よう見まねで、フライホイールを回し、エンジンを掛け、小学生ながら耕運機で田圃を耕していた。
日曜日などは、夜明けから日没まで耕運機を使うから、足が棒にようになった。
この歩行用耕運機は,当初サト―というメーカーのものだったが、その後三菱に買い替えた。性能も時代とともに、アップした。
しかし、水のないバン田の時は空気入りのゴムタイヤを使うが、水田(水田)の時は、鉄の車輪にその都度代えなくてはならない。
自分の田んぼの全てが地続気なら良いが、実際はそうではなく、あちこちに分散して在るので、水田の時は鉄車輪、移動の為に道路に出るとゴムタイヤ、そしてまた鉄車輪に代えての作業となる。これが結構大変だった。

3・歩行用耕運機から、乗用型トラクターへ
時代は進み、父は耕運機からトラクターに替えた。
これは、乗用タイプだから足が棒になることはない。機械の大型化により、一度に耕せる幅も広くなり、農作業はとても楽になった。

しかし、その反面、新たな問題も起きてきた。それは次号で。

#農業用トラクター #田耕し #馬 #耕運機


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