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第3期ミッキー絵本探求ゼミ 第1回のふりかえり

2023.4.22 PM13:00より (アーカイブ受講)

第3期のミッキー絵本ゼミがはじまりました。
いつものように、私は仕事で参加できず・・・でアーカイブ受講となりました。
第1回めは、はじめましての自己紹介絵本が各自から紹介されるのですが、
紹介したことがなく・・・さみしい限りです。次回こそは初めましての絵本を紹介できたら嬉しいな、という密かな願望を抱いています。

第3期の講義テーマは『絵本賞と受賞作品』
絵本を選書していく上で参考となる絵本賞について学んでいきます。
各絵本賞では選ぶ基準も違っていますが、ロングセラーとして人気の絵本も多く選ばれています。どのような想いから選ばれた絵本なのかを確認しつつ、講義で出会った絵本を次の講義までに周りの人たちへ紹介すること(読む・展示・おたより)を、今期の目標にしたいと思います。

自己紹介・今日の私の1冊(日本の絵本から)

チーム5 メンバーと紹介本
チーム5メンバーで、第1回ゼミに参加できたのはペンちゃん1人でした。
後日、チームで集まり自己紹介本を紹介することになっています。
スレッドに記載された本は下記の通り。この1冊1冊にどのようなメッセージがあるのかは、チームMTでのお楽しみです。

継続メンバー***
FSかこさん  『さくらのふね』
      きくちちき/作 小峰書店 2023年02月
FAぺんちゃん 『オレンジいろのぺんぎん』
       葉祥明/作 佼成出版社 2003年10月
ゆかみん  『ひとりひとり』
       谷川俊太郎/詩 ふくだとしお/絵 成美堂出版 2009年4月
とし(私) 『あなふさぎのジクモンタ』
       とみながまい/作 たかおゆうこ/絵 ひさかたチャイルド       
       2020年06
ゆりゆり

新規メンバー***
なおぽん 『まいにちがプレゼント』
     いもとようこ/作・絵 金の星社 2018年9月
めぐさん 『70センチの目線』
     小竹めぐみ 小笠原舞 /著 福添麻美/撮 
     小学館集英社プロダクション 2017年01月
     

第1回講義「コールデコット賞」について考察する

コールデコット賞(Caldecott Medal)

コールデコット賞とは

19世紀のイギリスの絵本作家、ランドルフ・コールデコットにちなんで、1937年にアメリカ図書館協会によって創設された賞で、翌年からアメリカで出版された絵本のなかでもっとも優れた作品を描いた画家に対して一年に一度送られている。
第1回の受賞者は、1938年ドロシー ・ラスロップ(Dorothy P.Lathrop,1891-1980)で受賞作は『聖書の動物たち』(Animals of the Bible,A Picture Book) である。引用-『ベーシック絵本入門』生田美秋/石井光恵/藤本朝巳〔編著〕
ミネルヴァ書房/2013年4月 P12-


コールデコット賞の誕生まで

 1944年、ロンドンの書籍商兼印刷業者だったジョン・ニューベリーは
『小さなかわいいポケットブック』という、はじめての子ども向けの絵本を出版する。子どもの本は読者に喜びと知識のどちらもあたえるべきである」という考えを広め、後にアメリカにおける最もすぐれたの著者に与えられる「ニューベリー賞」となる。
ニューベリー賞の創設により、作家の仕事の貢献をたたえると共に国内のすぐれた作家が若い世代に向けての作品を書いてくれればと期待した。子どもの本にかかわっている図書館員たちもよりよき児童書への関心と選出するやる気へと繋がっていった。

 子どもたちによい本を届けるためにネットワークを作り議論し支援し合っていたネットワークの中心となっていたのは、図書館員のア ン・キャロル・ムーア(Anne Carroll Moore, 1871-1961)であり、子ども によい本を手渡すために図書館の外で尽力したのがバーサ・マホーニー・ ミラー(Bertha Mahony Miller, 1882-1969)であった。マクミ ラン社のルイーズ・シーマン・ベクテル(Louise Seaman Bechtel, 1894- 1985)とともに 1920-30 年代のアメリカ絵本の黄金時代をもたらしたダブ ルデイ社、ヴァイキング社の編集者メイ・マッシー(May Massee, 1881-1996)たちは、
・書籍販売の機会を拡大したい。
・親や大人たちの心に、子どもの生活に本は欠かせないものであり、年に一度与えればいいというものではないということを認知させたい。
という理由から、児童書の出版時期を年二度にできないものかと話しあっていた。(アメリカの出版社は年二回、新刊を刊行しているのだが、児童書は一回だった)
ようやく1937年に児童書も年に2回出版されることとなった。
続いて、フレデリック・メルチャーがニューベリー賞に匹敵する児童書の画家のための賞を設立すると発表した。メルチャーは「コールデコットは、絵本の芸術性とデザインの革新者である」と新しい賞の名称を【コールデコット賞】と命名した。

参考文献 『アメリカ児童文学の歴史』

レナード・S・マーカス/著 前沢明枝/監訳 おおつかのりこ・児玉敦子/訳原書房 2015年9月

=^_^=歴代のコールデコット賞は下記のHPより見ることができます。
やまねこ翻訳クラブ コールデコット賞受賞作品リスト=^_^=


アメリカで出版された絵本の中で最も優れた作品を描いた画家に送られる賞に命名されたランドルフ・コールデコットとは一体どんな人物なのだろうか?

ランドルフ・コールデコットとは

コールデコットを知るにあたり『ランドルフ・コールデコット 疾走した画家』を手にした。

レナード・S・マーカス/著 灰島かり/訳 BL出版 2016年

・1846年3月22日 イングランドのチェスターで生まれる
・6歳のころより木や粘土で動物を作ったり、絵を描いたりしはじめた。
・学生のころは教科書の余白などに落書きを楽しんでいた。
・絵の技法を学ぶことや絵の仕事を得ることは都会でなければできないと、マンチェスター、ロンドンと活動場所を拡げていく。
・19世紀、新しい機械の発明により時代は大きく変わっていく。蒸気機関は印刷機を動かし、新聞や雑誌を印刷する。そして蒸気機関車によってイギリス全土へと運ばれ、何百万人もの人々が新聞や雑誌を手にすることができ、コールデコットのような挿し絵画家の絵を眺める事ができるようになった。
・銀行員として6日働き休みの1日でスケッチを楽しみ、画家としての経験を積み、紳士たちが集う社交の場にも運び、編集者と出会いも得ている。
銀行員の仕事中にでもこっそりいたずら書きを行い仲間を楽しませており、人柄にも絵にもユーモアセンスがあふれていた、その時の絵が現在、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館のコレクションに所蔵されている。
・編集者のヘンリー・ブラックバーンからドイツの北部、ハルツ山地への旅に誘われる。鉄道かできたことにより旅行客が増え、旅行ガイドを作るための誘いであった。翌年に『ハルツ山地ーおもちゃの国の旅』というタイトルで出版される。
ヘンリー・ブラックバーンにより、ニューヨークの新聞にも掲載され、ロンドン美術特派員として勤めることにもなった。
コールディコット賞のメダルのレリーフとなった『ジョン・ギルピンのこっけいな出来事』の中の一連の絵。疾走する馬と乗り手が見事に描かれていることを受け、美術特派員として取材に訪れるウィーンの万博博覧会でイギリス生まれのアメリカ人写真家エドワード・マイブリッジの作品と出会い、マイブリッジの実験写真、疾走する馬の連続写真に魅力されたのではないだろうかと著者は推測している。
・1874年、ワシントン・アーヴイングより依頼を受け短編集『オールド・クリスマスーワシントン・アーヴイングのスケッチブックより』に100枚以上の挿し絵を描く。この作家の書く物語の舞台は大半がアメリカであるのに、アメリカに行ったことがないコールデコットは悩みながらも描ききった。
コールデコットが悩んでいた挿し絵は最上の出来と絶賛され第2弾『ブレイスブリッジ邸』にも挑戦し「世界は新たな天才を発見した」と称賛されることになる。
・『オールド・クリスマス』『ブレイスブリッジ邸』の絵を評価し、子ども向けの絵本トイブックスへの依頼をしてきたのが彫版師のエドマンド・エヴァンズであった。
この出会いから絵本作家コールデコットが誕生する。

エヴァンズが依頼してきたトイブックスは、コールデコットの友人である、ウォーター・クレインが長年描いてきた仕事であったが、13年の時を経て、手を引くことになったのである。
コールデコットは報酬に対してエヴァンズに一定の歩合をもらうように交渉を行う。また、作るべき絵本の装丁やデザインについてもじっくり話あった。
コールデコットはクレインの絵に問題を感じた。
・クレインの絵は、枠の中にびっしり描きこまれていて動きがない。
・宝石箱のような魅力はあるが、いきいきとした動きが感じられない。

コールデコットが絵本に取り組むときに考えたこと

・話の主人公が画面の中央に来るように描く
・一方である場面の細部を詳しくみせるためのさりげないスケッチ。
 こうした小さめな線描画はぺージのどこにレイアウトしてもよい。
 小さな線描画がひとつ、わずかな言葉あるだけのほとんど空白のページを    
 作り物語を進めることも可能であろう。
・左ページに描かれた出来事とそれに向き合う右ページとのギャップで時間 
 を飛躍させる。
・ページをめくるという単純なことをドラマチックな体験にする
 突然、カラフルなページが出現する驚き
 一行の分を分断して数ページに分けてそれぞれに絵を付けてリズムをつ 
 くる。
・文章が述べていない登場人物や別の話の要素を絵の中に持ち込む


絵は文章が語る物語を何かの意味で捕捉する。もうひとつの物語を語り得る。読者はふたつの物語の糸をより合わせてたのしむだろう。~

・1883年、人間の服を着た動物だけが登場する『かえるくん 恋をさがしに』を描く 
 この絵本の原画を購入したルパート・ポターの娘はこの原画を楽しみ、自分も画家になる決心をした。→ 後に『ピーター・ラビット』の絵本創作したビクトリアス・ポターである。
ビクトリアス・ポターはコールデコットを”最も偉大な挿し絵画家の一人”と位置づけ、生涯にわたって、彼のようにうまく描きたいと願い続けた。

・1885年、コールデコットは妻とニューヨーク行きの汽船にのり旅にでかけた。フロリダ・カリフォルニアを楽しむ計画であったが、体調を崩し1886年2月に40歳の誕生日を迎えることなくこの世を去る。

ランドルフ・コールデコットにふれて感じたこと

コールデコットは「僕が得意なのは、心を病んで何か月も楽しそうな様子を見せていない人を笑顔にすることだ」と語っています。

絵に命を吹き込み作品を読む人を笑顔にさせる美しく、ユーモラスで、活力や躍動感あふれるコールデコットの絵は多くの絵本作家たちに影響を与え、これからもコールデコットを目指す作家は絶えることはないだろうと感じました。

コールデコットが絵本を作るときに考えたことは、絵本の技法・絵と言葉の関係などミッキーゼミ第1期で学習したことで、100年以上前から、絵本に命を吹き込むための技術が戦法が確立していたことが驚きでした。
翌年からアメリカで出版された絵本のなかでもっとも優れた作品を描いた画家に対して一年に一度送られる賞が本当に素晴らしく作家にとってどれほど誇らしいものであるだろうか・・・。絵本作家であれば、誰もが目指す賞ではないかと思う。日本ではこのような賞がないことが残念に思えます。

歴代の受賞作品をみると、どの作品も身近にあり親しみ、ロングセラーとして今も読み継がれている作品が多いことがわかりました。
コールデコット賞の次点となるコールデコット・オナー賞もあり優れた絵本の多さに感動しました。
次回の講義で、コールデコット賞の受賞作品がどうして選ばれたのかを考察するのが楽しみです。

















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