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『さうなと』を読んで

最後にサウナを訪れてから、2ヶ月が経った。それまでは毎週通っていたのに、生活からサウナが消えた。

サウナイキタイでは、好きなサウナを応援しよう企画がある。オンラインサウナバザールというイベントもあった。オンラインでサウナについて話し、世界に触れる。未来を少しだけ、応援することができる。でも、やっぱり寂しいような、そうでもないような、もやもやとした気持ちが残った。

僕は、サウナにどうやって関わってきたのだろうか。

サウナに入ると整う。気持ちいい。よく寝れる。健康面での恩恵にあずかってきた。でも、家のお風呂も好きだ。ランニング後の爽快感は、整いに似た感じもする。

そんなタイミングで出会ったのが『さうなと』という本だった。

サウナに関わりの深い6人による、エッセイ集。全122ページの内、「サウナ」という単語が362回登場するようだ。

僕はこの本を読みながら、6人のサウナ体験と感情に、自分の思いを重ねてみることにした。

感じたことや、良いなぁと思ったフレーズを書き残したい。

ネットに書けない「禁忌のサ活」

冒険としてのサウナ。

サウナは日常であり、身近なものだ。サウナの後は、整いから覚める前に、そのまま寝たい。だからサウナは家に近い方がいい。

ただ、サウナは「サウナ」という抽象的な存在ではない。近所であっても、金春湯さんのサウナと清水湯さんのサウナは別物だ。それぞれが独立した存在で、それぞれのよさがある。

だから、北海道から沖縄、さらには海外にも繰り出したい。あのサウナやそのサウナを目指した道が、振り返れば冒険になっていると楽しい。ゴールは、名勝や歴史的建造物でなくたっていい。

軍艦島の見えるサウナのこと

「何もしない」をする。映画の中でプーさんも、これは大事だと言っていた。

自己への成長圧から、何もしないことは恐怖だ。ただ、何もしないことが非成長なのではない。

水の音だけが強く聞こえるようになったら、あがる合図。(p37)

つなかん、好き

そう言えば、まだ夫婦でサウナに入ったことがない。一緒に行くにしても、別々になる。2人でヒトカラに行くようなものだ。

ただ、2人で行くときはもちろん、1人で行くときですら1人で完結する体験ではない。帰ってから薦めることもあれば、今度一緒に行くこともある。

また別の境地が待っていそうだ。

色んな顔を思い浮かべる事が出来る場所は、いい所だ。(p53)

木の箱の記憶

生活につきそう記憶は、いつか戦友や思い出になる。そして、周囲とだけではなく、生活の中の自分自身と出会う。

自分自身が何者であるかを忘れそうになったときも、木の箱で静かにたたずもう。

サウナでは、なにものでもないこと、なにものかになりたいことすら忘れられた。(p68)

郵便局員からサウナサン支配人へ

サウナを営む人は、たくさんのサウナを体験している。それまでの人生や、積極的な学び。それらがあってこそ、僕らはサウナを享受できるということを覚えておきたい。

目指すサウナ室の湿度セッティング(p92)

気仙沼の夜

友人から聞いた感想がどうであれ、フィンランド行きたいなぁ…

北欧ではサウナ後の冷却方法は外気浴がスタンダードであるということを感覚として理解する(p99)

サウナ旅、鹿児島、宮崎編

サウナへ行こう。サウナの悲しみはサウナでしか取り返せない。(p101)

2020年2月21日

まあいいか。
なんとかなる。(p119)

自分とサウナ

日常的に、日常と距離を置ける静かな場所。サウナの個性を求め、旅に出ることもできる。

そしてぼーっとし、自分とサウナ、自分と自分が対話する。後から、別の誰かと対話する。対話しなくてもいい。

サウナに限らず外出を控える中、外出を一律に欲しているのかもしれない。それを勘案しても、サウナは欠かせない趣味のような何かになったのだと思う。

きっと今後、話題のサウナを訪れたり、人気のサウナ本を読んだり、自分とサウナとの接点は増えていくだろう。関係が変わっていくことは、悪いことではない。それでも、今この状況で出会った『さうなと』を読んで考えたサウナと自分の緩やかな関係を、ここに綴っておきたい。

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