#415C|させていただく

「させられている」か「してあげている」ような意識でコトに取り組んでいる時は、それがうまくいかなかった場合や見返りがなかった場合、すぐにストレス値が上がる。

そもそもそんな心持ちでモノゴトに取り組むんじゃないよ、と思うが、意外にも行動している本人は「他者のために」「真摯に」実行しているような「つもり」でいたりするのだから、自分の本当のところを知る、自覚する、ということは、なかなか難しい。

自分に対してうわべで付き合い、真意を誤魔化したり、無視したり、認めないようにする、というクセがついている人も多いものだ。

私は「させていただく」という言葉があまり好きではなかった。「人と人とは対等である」という気持ちが信条にあって、そのポジションから感じる「させていただく」という言葉は、あまりにも相手にへりくだっているのではないか、と感じるためだった。

だが最近、ただ謙虚な気持ちで「させていただく」という態度になれる出来事があって、その時にこの言葉に込めることができる「素敵さ」を感じられたのだ。

謙虚な心持ちで「させていただこう」と思えた時、その時には「ただ自分ができることを真摯にやる」という姿勢になれた。

そこには「自分は未熟だから」とか「もし失敗したら」といった気持ちはない。「させていただける」のだから、まず1番に感謝があり、実際に行うことに対してはその能力が足りなかろうが失敗しそうだろうがあまり関係がないように思えた。結果が気にならなくなった。

別の言い方をすると「影響の輪」に集中でき、自分にできることを粛々とこなそうという気持ちになれたのだ。この時には不思議な安心感が伴い、同時に想定不可の変化や失敗という結果に対して、ナチュラルなタフさを発揮できるような心境だった。

「失敗しないようにしないと」と力が入っている時には、「させられている」か「してあげている」ような気持ちが1mmでもあったように思う。

これは私特有な感覚な気がするので誰にもあてはまらないかもしれないが、私の「影響の輪」に集中するためのルートは、自分が苦手としていた「させていただく」というキーワード。そこから生まれる謙虚な心の態度にあった。これを感じることができた時、私の心は大変フレッシュになった。

いや有り難いや。おんあびらうんけんそわかって感じ。

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