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なぜ本州のセイコーマートは茨城県にばかりあるのか

検索エンジンで『セイコーマート 茨城 なぜ』などのワードを用い本記事をご覧になった方へ
当記事はメディアでも専門家でも関係者でもなんでもないその辺のマニア趣味で書いた文章です。活字中毒者の暇つぶしにはなりますが、正確な情報源ではございません。より正確な情報を知りたい方は茨城新聞記事を始めとした信頼のおける各種記事をご覧ください。
2023年3月現在、上記のようなワードで検索を行うと本記事がトップに出ますが、検索エンジンのアルゴリズム上の判断は正確性を担保するものではありません。
正確性以外の面も含め拙い文章ではございますが、よろしければどうぞお気軽にご覧ください。


【まえがき】


皆さまはセイコーマートをご存じでしょうか?北海道・札幌を拠点に展開する基本的に北海道ローカルなコンビニエンスストアチェーンで、道内では全国区の大手を差し置いて店舗数最多。また全国区の大手にも負けない独自色の強い商品やサービスの存在から多くの道産子から愛され、顧客満足度調査で満足度ナンバーワンに輝くなど、まさにローカルコンビニ界のカリスマともいえるコンビニです。


ところで、このセイコーマート。基本的に北海道ローカルと言う事もあり総店舗数の9割以上は北海道に位置するのですが、1割弱、具体的に言うと95店舗だけ本州にも店舗を構えています。そして、その店舗の大半(86店舗)は茨城県に位置します。なぜ北海道ローカルのコンビニがほんの少しだけ本州、それも茨城県にばかり存在するのでしょうか。


インターネット上ではしばしば北海道・苫小牧と茨城県・大洗を結ぶ航路の存在と結び付けられます。確かにコンビニエンスストアは足が早い食品(特に惣菜・弁当系)や商品価格の割に重くかさばる飲料などを多く取り扱いそれを末端の店舗まで腐らせないように運びきらなくちゃいけない関係上、物流網の構築がむちゃくちゃ大事なのは事実です。また、北海道の産品を本州へ運ぶ物流ルートとして苫小牧と大洗を結ぶ航路の存在感は大きいと言うのも確かです。現にセイコーマート側もこの航路を物流ルートとして活用していますし、仮にこの航路が存在しなければ今頃茨城県に店舗が存在しなかったであろうことは容易に想像がつきます。


しかしながら、それだけでは「なぜ茨城県なのか」と言う疑問の半分を解決したにすぎません。なぜなら北海道は本州から独立した島と言う事もあり大洗航路以外にも数多くの本州航路が存在するからです。何も茨城じゃなくたって良いわけです。例えば青森県の八戸辺りだと距離的に茨城よりはるかに近く航路の本数も多いため、わざわざ遥か大洗まで行くよりよほどラクに物流ルートを構築し北海道の産品を売りつけることができそうですし、仙台だって茨城よりは近い上にそれなりの規模の大都市故に市場としても有望そうです。


さらに腑に落ちない問題があります。先ほど本州の92店舗の大半(83店舗)は茨城県にあると申し上げましたが、じゃあ残りの9店舗はどこにあるのでしょう?答えは埼玉県です。いくら北海道から本州に行く航路が数多くあると言ってもさすがに海のない埼玉に行く航路なんてものはありません。北海道で製造して埼玉で売る商品はわざわざ茨城で船荷を降ろした後トラックを走らせてはるばる埼玉のお店まで運んでいるのです。


このように大洗航路の存在だけではどうしても説明しきれない要素がセイコーマートの本州店舗の分布には多数存在するのです。では、どうしてこのような微妙に不思議な店舗網を広げることになったのでしょうか?端的に言うとセイコーマートの創業時から現在にいたるまでの複雑かつ卓越した経営戦略と、それとは真逆の単なる偶然が重なったものと評することができます。

真面目に説明しようとするとそれだけで105分ぐらいの講義をこしらえられそうなほどアホみたいに長くなるのですごくざっくり説明すると

・セイコーマートは元々取引先の酒屋をコンビニに変えるために酒問屋が作ったチェーンである。
・酒屋のコンビニ化の始祖と言う実績とノウハウを買われ、茨城県の酒問屋がセイコーマートに協力を仰ぎ茨城県内にコンビニを立ち上げた。
・早くから展開していた茨城県はそこそこうまくいったものの、その後同様の形態で進出した茨城県以外の各府県(埼玉県・滋賀県・京都府・兵庫県・鳥取県)はあんまりうまくいかなかった。
・さらに、茨城県には北海道からの航路もあったので物流面で有利であり、茨城県の店舗は維持しやすかった。
・そういうわけで、茨城県と、茨城県のお隣にあり比較的運びやすい位置にあった埼玉県の店舗を残し、他府県からは撤退した。
・現在の業務拡張は店舗網の拡大より自社ブランド製品の外部の小売への卸売がメインとなっており、敢えて茨城県以外に積極的に打って出る理由が無い。

こんな感じです。たぶん。詳しい内容(先述の”アホみたいに長くなる”部分)は次項から解説します。まずはセイコーマート創業当時の1971年頃から順を追って振り返ることとします。


【セイコーマートの創業と発端】


札幌・北区にあるセイコーマート1号店の開店は1971年、現存する主要コンビニチェーン各社の中で最も早いことで知られています。今でこそどこにでも存在して当たり前とも言える存在となったコンビニですが、その概念がまだ日本に存在しなかった時代、一体どこの誰が何のために、しかも(当時産炭地からの流入による人口の激増や地下鉄の建設、五輪の開催で勢いに乗っていたとは言え)いち地方都市の札幌に当時としてはかなりイノベーティブな存在であるコンビニを創ったのでしょうか。


結論から言うとセイコーマートを創ったのは丸ヨ西尾と言う会社、北海道の酒問屋でした。なぜ酒問屋がいきなりコンビニを始めたのか。当時、丸ヨ西尾も含め昔からある酒問屋は各地の個人商店的な酒屋に酒を卸していました。その頃は大規模な小売店も少ない上に、酒屋の開業には免許が必要(これは酒税の取りっぱぐれを防ぐためと言う理由もあり今でもそうです)でさらに免許の交付には既存の酒屋と一定以上の距離を保つ必要がある……などの規制もあり、こうした個人商店的な(そして割とコンビニぐらいのサイズの)酒屋もうまくやっていました。

ところが、高度経済成長期以後急成長した大量の仕入れを行い安売りを行う大型チェーン店が一部酒を取り扱うようになり、旧来の酒屋は危機に陥りました。このままでは酒屋はもちろんそこに卸売りをしている酒問屋も共倒れしてしまいます。


そのため、当時アメリカでじわじわ広がりを見せていた、品揃えの拡張や営業時間の拡大、本部の一括仕入れによって1店舗当たりの規模が小さくても十分に勝負ができるコンビニエンスストアと呼ばれるスタイルをいち早く取り入れることによって取引先の酒屋を近代化し、ひいては生存を図っていく……と言う目論見で立てられたのがセイコーマートでした。


実際この目論見は当たり、セイコーマートに限らず後に多くの酒屋がコンビニに転換することとなりました。それは例えばセブンイレブンをはじめとした大手のコンビニと契約を結ぶケースもありましたし、セイコーマートをはじめココストアやコミュニティ・ストア等酒屋からの転換を前提としたチェーンも数多く設立(もっとも、これらの酒屋転換組のチェーン店はほとんど淘汰されるのですが、それはまた別の話)されました。


さて、この札幌で始まった先進的な取り組みに目を付けた酒問屋がいました。その名はカナザワ。その極めて石川県的な響きを持つ名前とは裏腹(※創業者が金澤さんだったらしいです)に水戸を本拠地として茨城県内の酒屋へ卸を行う酒問屋でした。そのカナザワが1973年、取引先を引き連れた上でマミーチェーンと呼ばれるコンビニを立ち上げることになったのですが、その時に協力を仰いだのがセイコーマート。すなわちセイコーマートの茨城県との関わりはこの時代までさかのぼるわけです。当時は全国区の大手はほとんど(参考までに、セブンイレブンの1号店が開店したのは翌1974年)無く、セイコーマート自身もまだ手探りで今のような全道チェーンでは無かった(参考までに翌1974年の段階の店舗数は14店舗、1985年に旭川に進出するまで札幌近郊以外には進出してませんでしたから、この段階ではかなりローカルなお店であったことがわかります)……と言う時代。

恐らく初めから戦略的に茨城に進出したと言うよりは、茨城側から声が掛かったので協力したと言うニュアンスの方が近いでしょう。もしかしたら、元から酒問屋同士の何らかの関係があったのかもしれません。50年後の今になって茨城県に店を構えているのはこの頃の提携関係の名残と言うわけです。

が、パソコンでご覧の方は横のスクロールバーをご覧いただければわかる通り話はこれでは終わりません。もうしばらく続きます。

【札幌から全道・本州への拡大】


その後1980年代に入り、札幌を拠点にコンビニエンスストアとして順調に歩みを進めていたセイコーマートは全道展開を志すようになります。この頃になるとセブンイレブン・ローソン(当初はサンチェーン)・サンクスと言った全国区の大手チェーンも札幌に進出するようになり、競争が激しくなります。当時、セイコーマートを始め酒問屋が立ち上げたコンビニの強みは「お酒が並んでいること」でした。今では信じられませんが、先述の通り当時は酒類販売免許に距離制限があった時代。大手のコンビニが建てた店の多くでは酒類を取り扱えず、酒類を取り扱える既存の酒屋からの転換組が多かった酒問屋系コンビニには大きなアドバンテージがありました。余談ですが、コンビニの看板(入口上のやつじゃなくて道を歩いていると見える正方形のアレ)を見るとよく「酒・たばこ」の文字が入っている事が多いですが、これも酒類を取り扱える店舗が限られていた時代に「このお店では酒を売っているよ!」とアピールしていた名残だったりします。


とは言えそれだけでは規模の経済で仕入れやサービスに力を入れていた大手コンビニとの競争でいずれジリ貧になることもまた事実。そのためセイコーマートもまた規模、そして未だ大手各社が展開していない安住の地を求め、物流の関係(先述の通り、足の早い惣菜や食品、値段の割に重たくてかさばる飲料や酒類を各地の小型店にみっちり運ぶのにはそれなりに手間がかかるのです。まして、北海道はデカいですし)もありこれまで札幌近郊の人口の多い地域+飛び地的な茨城にとどまっていた店舗展開を全道へと拡げることとなるのです。


そして、当時(※1989年9月26日の日経流通新聞に記載があったらしいです)セイコーマート本部は以下のように考えていました。
”本州組との競争も考えるとチェーン全体で1000店舗は無いと将来的に押し負ける。そして道内のセイコーマートの出店余地はせいぜい500店舗程度、だからもう500店舗を本州に出さないとチェーンとして生き残れない。”


そのため、この頃からセイコーマートは全道展開を目指しながら同時に本州にも活路を求めるようになります。早くから提携関係にあった茨城のマミーチェーンを正式にセイコーマートに転換しつつ、埼玉滋賀(+京都)兵庫県の播州(+一部は但馬・鳥取)と言った地域に進出していきます。そしてこれらの地域も同じように地場の酒問屋と提携して取引先の酒屋を転換するスタイルでスタートしていきます。当時、姫路を拠点に兵庫・鳥取両県に店舗を展開していた酒問屋の宮崎商店の沿革には『酒販店向けコンビニエンスストアー ”セイコーマート”のチェーン展開』と言った文字が並んでおり、この時点でのセイコーマートの位置づけはあくまでも「酒屋からの転換先に適したコンビニ」であったことがわかります。

ちなみに、なぜ埼玉・滋賀・兵庫と言うチョイスだったのかについては正直よくわかりませんが、恐らくは取引先の酒屋を近代的なコンビニにしたかった(けどコンビニ運営のノウハウが無いし、さりとて酒問屋と関係ない大手各社に転換させると当然各加盟店の仕入れルートが大手各社経由になり旧来の卸が破滅するので”各取引先が酒問屋から仕入れる”図式を極力維持したかった)各地の酒問屋と、本州の店舗網を拡張したいセイコーマート側の利害が1980年代後半のある一時期に一致した……辺りが要因なんじゃないかと思ってます。この辺は公式な資料が無いのでオタクの妄想だと思ってお読みください。

それから「なぜ茨城県や埼玉県にはそこそこの数があったのにお隣の千葉県や東京都には全く進出する気配がなかったのか」に関しては、当該の酒問屋の取引先が茨城県と埼玉県でそれぞれ完結していたから……以外に理由は思い浮かびませんが、「なぜその卸は県外に進出しなかったのか」に関してはどうも酒類の卸売に必要な免許の発行が都道府県単位だからだとか、戦後の酒類統制時代に設立された酒類配給公団が酒類配給制度の廃止に伴う解散後各都道府県に置かれた支社ごとに独立して●●県酒類卸協同組合と言う名の各県の酒屋に酒を納入する卸売業者になったからだとか、色々理由があるみたいです。この辺は(個人的な話ですがあいにく下戸故に元々酒類関係への造詣が浅いと言うこともあり)正直本当に詳しくないので話半分に聞いてください。

【時世の変化】


さて、セイコーマートが行った全道ネットと本州への展開と言う2方面作戦を振り返ると、まず全道展開の方は割とうまく行きました。当時、大手のコンビニがほとんどなかった道内各地域では概ね歓迎(地元のコンビニを札幌資本の大手に飲み込まれた釧路辺りは内心複雑かもしれませんが……)され、全道への物流網の展開(これが後にセイコーマートを助けることになるのですがこれはまた別の話)に苦労しつつも順調に店舗数を増やしていきました。一方、本州はと言うと一時それなりに店舗は増やしたのですが、早くから展開していた茨城県はまだしも、他の地域では先行して進出していた大手各社との競争に対して苦戦するようになります。個人商店的な酒屋のカラーを引きずった垢抜けなさもその要因かもしれません。


そして、90年代も後半になると新たな変化が生まれます。
1つ目は思ってた以上に全道展開がうまくいった事。90年代末にもなると北海道の店舗数は急増し、800店舗を数えるようになります。これには個人商店のみならず既存のスーパーなどの需要も徐々にコンビニが吸うようになった……と言う市場の変化も大きいのですが、とにかくここまで来ると先述の「北海道500店と本州500店で1000店」と言う前提は崩れ、北海道だけで1000店舗を達成できそうな雰囲気になってきました。実際、その後2010年にセイコーマートは江別に道内1000号店をオープンさせることとなります。


2つ目はこれまで仕入れた商品を各店で売っていただけだったコンビニ各社が、差別化のために独自商品・独自サービスを開発するようになったこと。これは現在でも各社が取り組んでいます。セイコーマートも例外ではなく商品開発に力を入れるようになりますが、同時にこれは商品開発力を持たない中小チェーン(はおろか最終的に大手のサークルKサンクスまで消えましたが……)が淘汰されると言う意味でもありました。ただこれは「1000店舗は無いとチェーンの運営は難しい」と言う80年代当時のセイコーマートの読みが結果的に的中していたという意味でもあります。


3つ目は酒類販売店の距離制限が廃止となったこと。これにより例え既存の酒屋の隣にあろうと免許を取れるようになり、大手コンビニ各社は酒を堂々と販売できるようになりました。と同時に酒類の販売を強みとしていた酒問屋系コンビニは戦略の転換を迫られます。セイコーマートもまた例外ではありませんでした。


4つ目は店舗・駐車場面積の拡大やより良い立地を目指すために既存店舗の閉鎖と新店舗の再出店(これを一般的にスクラップ&ビルドと呼びます)が盛んになったこと。これは個人商店の寄せ集め色が強い酒問屋系コンビニとは相性が悪いものでした。もちろん個人商店的なお店も投資を行うことはあるのですが、その辺の強力な指導についてはやはり大手の方が強いわけですし。


そして5つ目は酒屋から転換した店舗のオーナーが高齢化しつつあったこと。たとえ売り上げが好調であっても高齢化のためオーナーが働けない……となれば結果的に看板を下ろすこととなります。昔から続く酒屋のコンビニ化と言う戦略はここに来て限界を迎えつつありました


これらの要因もあり、セイコーマートはそれまでの戦略を大きく変化させることになります

【セイコーマートの変化】


先述の環境の変化に対応するために、セイコーマートは次々に対策を打ちます。
ところで、これまで多くのコンビニは商店の店主に相当するオーナーと契約し看板を掛け替え、そこに商品を供給するフランチャイズと呼ばれる仕組みで短期間のうちの大量出店を果たしてきました。また、同様に物流機能も既存の実績ある物流業者と契約し、その後増えてきた独自商品の開発においても既存の実績あるメーカーと手を組むことで短期間のうちに様々な対応策を打ってきました。もしご近所にセイコーマート以外のコンビニが出店している地域であれば足を運んで是非とも確認してもらいたいのですが、例えばセブンイレブンやファミリーマートの棚に並んでいる商品は仮に各社のロゴマークが入ったオリジナル商品の類いでも、自力で作っている商品と言うのはほとんどないわけです。恐らくは裏面のラベルに”製造者”として大手の食品メーカーであったり、あるいは惣菜類や弁当類だとわらべや日洋だとかチルディーだとか一般的にあまり馴染みのない会社の名前が書き連ねてあるかと思います。個々店の運営・商品の製造・各店舗への配送……と言った機能を外部に任せることで本体をスリム化し、最小限の投資で最大限効率よく成長する。これこそが大手コンビニの成長の鍵とも言える戦略だったのです。


対してセイコーマートはこの王道の真逆を進むかのようにコンビニ運営に必要なあらゆる機能を自力でカバーする内部化を急速に推し進めました。ちょっと考えると成功している大手の逆張りをしてうまく行くのかと疑問に思う事もあるかと思われますが、結果としてこの戦略は北海道の市場の特殊性とも噛み合いうまく行くこととなります。


例えば、この時期、セイコーマートは既存のフランチャイズが中心の店舗網を徐々に直営店メインに切り替えていきます。これは元々オーナーが高齢化した特に過疎地の店舗を本部が引き取ったと言う側面もありましたが、結果として例えば店舗の建て替えなどのそれなりにオーナーへの負担がかかる戦略をすることが容易になりました。直営店の運営により手に入れたノウハウを他のフランチャイズ店へのアドバイスへ活用する事で、フランチャイズ店側の売り上げも向上するいわば相乗効果も生まれました。これには店舗展開ペースの低下と言うデメリットもありますが、元々北海道はコンビニの店舗数が多くかねてから飽和状態にあったと言われていましたし、そもそも人口が減少傾向にあり無理に出店ペースを早める必要性も無かったため、このデメリットは比較的小さく作用することとなりました。


また、乳製品の製造工場も買収しました。これにより自社内で販売する牛乳やアイスクリームと言った商品を自社で製造することができるようになりました。乳製品以外の工場も買収しており、様々なジャンルの商品を製造するようになりましたが、これも大手各社には見られない戦略です。他社と違い中身の出どころから違う商品網は大手各社と比べた時の強力な差別化を実現しましたし、さらに自社内に商品製造部門を持つことによりセイコーマート以外の店舗へ商品を販売することができる(もちろん”北海道”と言う地盤のおかげでブランドに箔が付くようになり結果として本州の小売への売り込みがしやすくなっているのもまた事実です)ようになり、飽和状態となっているコンビニ事業にとどまらない新たな収益源を生み出しました。ある意味では部分的ながらニトリ(そういえばニトリも札幌の会社でしたね)のような製造小売業的な存在になったと言えるかもしれません。


さらに、セイコーマートは早くから物流も自社で行っています。これは北海道と言うやたらデカくてその割に人口が少ない地域性故に物流網を自力で構築する必要性があった……と言う側面もあるらしいのですが、結果として隅々まで行き届いた物流網によって、同業他社が進出できない地域への出店が容易になり、またそうした地域への(外部の企業の商品の)配送と言った新たな収益源を生み出しました。
ここで稚内の例を出しましょう。稚内は日本最北端の都市にして近隣の主要都市(と言っても人口は2~3万人ぐらいですが…)である名寄や留萌から180km程度(本州に例えると東京~静岡、名古屋~大阪がだいたいそれぐらいの距離)離れた”最果て”とも言える街ですが、札幌や旭川の配送センターから稚内に商品を届けにいったトラックは、その帰りに先述の乳製品工場(稚内にほど近い豊富町に生乳関連の工場が、アイス類の工場も稚内からの帰り道の羽幌町にあります)で製造したパック入り牛乳やアイス類を札幌方面へ運ぶことで物流を効率化しています。こうしたすべて自前だからこそできる柔軟な戦略を取ることに成功しました。もしも、牛乳の製造や物流を他社に任せていたら、そう簡単にこんなことはできませんよね。言い換えると、そこまでしないと全道へのコンビニ出店は難しいと言う意味(実際先述の稚内にはセブンイレブンを始め同業他社が一切進出していません)でもあります。


こうして、セイコーマートは強力な内部化によって製品を差別化しつつ、製品の販売の利益を手に入れることや物流コストの低下により店舗運営単体での損益分岐点が下がり、人口が少ない過疎地にも進出できるようになったのです。このような地域は大手が進出しにくいので地域内のコンビニ需要を独占できますし、こうした地域は農業や漁業などの第一次産業がメインですからその地域が立ち行かなくなると北海道の食の製造業者であるセイコーマートも共倒れすることになるので、生活インフラとしてのセイコーマートの進出はプラスに作用します。


さて、前置きが長くなりましたが、このような内部化や製造・配送・販売の一体化を推し進めるにあたり、本州の店舗網の存在が宙に浮くことになりました。まず、札幌の本社から遠く離れている故に北海道の経験則が通用しにくいですから直営化しにくいです。それから、これまではまだ仕入れてきたものを売るだけ(仕入れ先が全部北海道って事は恐らく無いですし、何だったら北海道で売ってる商品も本州から仕入れた商品の方が多かったかもしれないぐらいです)だったので飛び地でも良かったのですが、先述の通りこの頃から販売商品の北海道での自社製造割合が増えてきたのでそれをわざわざ運ぶのだって相当大変です。さらに先述の通り早くから進出していた茨城県はまだしも他の地域では先行していた大手との競争が激しく苦戦を強いられていましたし、そもそもの目的だった「チェーン全体で1000店舗を展開する」と言う目標も北海道だけで達成できそうな具合です。北海道の市場規模に拡張の余地が乏しいのは事実ですが、前述の通り製品を自力で作るようになったので本州で実績のある外部の小売にそれを供給すれば新規出店より低リスクで本州での業務拡大を成すことができるので、あえて本州の店舗網を強引に拡大する必要もなさそうです。


ここでようやく大洗航路の話に移ります。かなり昔から出店していて少なからず地盤がある上に北海道から航路で直接繋がっている茨城県は、本州の中でも比較的マシな存在ではありました。また、埼玉県も茨城県のお隣ですから、茨城のオマケだと思えば何とか運営できそうです。ただ、他の地域、滋賀・京都・兵庫・鳥取辺りはあまりにも遠いですし、関西航路が発着する福井県の敦賀や京都府の舞鶴(※セイコーマートが進出していた京都市方面からは同じ京都府ながらかなり遠い)からも(滋賀はまだしも)兵庫鳥取はあまりにも遠く『北海道で作った自社製品を販売するお店』としての役割を果たすには荷が重たいです。


こうして、セイコーマートは店舗網の縮小を決断します。すなわち、関西地区からの撤退です。滋賀・京都地区と兵庫・鳥取地区を2回に分けてファミリーマートに売却(余談ですが、これによってファミリーマートは初めて鳥取県に進出することとなります)します。実はこの時期多くのコンビニは各地の残ったパイを奪いつつ、独自製品やサービスの拡充のために中小チェーンを次々に買収・連携することで規模を拡大していました。これは大手もそうですし、東京へ進出した広島のポプラや高知へ進出した横浜のスリーエフ、茨城県と関係が深いところだと名古屋発祥で茨城に進出したココストアと言った中規模ぐらいのチェーンも例外ではありませんでした。ここでもセイコーマートは業界の潮流と逆行するわけですが、結果として地盤の北海道を中心としたことにより収益性が向上することとなりました。

【その後】


さて、こうして首の皮一枚繋がった形で生き残った茨城・埼玉県内のセイコーマートでしたが、結果としてこの店舗網の存在もプラスに作用します。
先述の通りセイコーマートは自社内で製造した商品を外部の店舗へ販売するようになりました。会社名の”セイコーマート”から”セコマ”への変更も実店舗である”マート”にとどまらない事業領域の拡大を如実に示しています。特に人口が多い関東地方への売り込みを加速するのですが、ここで主に茨城県の店舗向けに構築していた物流網を拡張させる(実際は茨城の物流センターだけだと処理しきれないので八王子辺り、おそらくは日の出町?にも外販専門のセンターを設けることになるのですが)ことによって、関東地方に位置する外部の店舗への配送も容易に行うことができるようになります。ウエルシアを始め、一部の店舗では100円パスタに代表される惣菜類も販売しているのですが、こうした足の早い(が魅力的な)商品を人口の多い東京で販売することができるのも、茨城県に築いたネットワークのおかげであると言えます。

また、こうした本州小売への売り込みや近年増えてきた在京マスメディアの取材においても、東京近郊に位置する実店舗をいわばショールームとして活用することによって、容易に行うことができるようになりました。たまに一般的なコンビニの商圏から明らかに外れた地域にお住まいの方がわざわざ埼玉県や茨城県のセイコーマートに足を運んでらっしゃることがありますが、これも人口の多い東京近郊から無理なく日帰りできる立地条件の賜物ですしね。


それから、セイコーマートが内部化を進めているとは言えさすがにすべての商品を自力で作るのは難しく、一部の商品は外部の企業と提携して製造していますが、そうした商品の一部は関東の工場で(例えばカップ麺の類の製造元は埼玉県・川越にあるエースコックの工場)製造しています。ではこれらの商品はどうやって北海道まで運んでいるのでしょう?もうお分かりですね。北海道で作った商品を関東に運んできたトラックは、その足で関東の工場で製造された商品を積みこみ、そしてまた北海道へと帰っていくわけです。いくら航路があるとはいえ当然運賃もかかるわけですから、カラのままで帰るのももったいないですしね。


こうして50年前に偶然誕生した茨城県内のセイコーマートは、今ではセイコーマート全体の戦略の要となる重要な存在に成長したのです。

【余談】


セイコーマートの話からは外れますがここでひとつ疑問が生じます。そもそもなぜ北海道から茨城県の大洗と言う遠く離れた上にさして人口も多くない場所に行く航路が存在するのでしょう?また、先述の通り北海道と茨城県を結ぶ航路の存在を前提に戦略を立てていますが、こんなよくわからない航路が廃止になるリスクがあるのではないか……と疑問に思われる方もいると思います。


これは単純に地形が関係しています。関東地方の地図をよく見ながら考えていただくとわかりやすいのですが、北海道から東京まで船を出そうとすると千葉県をぐるりと回りこむ著しく遠回りなルートを強いられます。また、東京湾は船舶がやたらと多いため低速での航行を強いられます。一方で大洗であればそうしたネックを避けることができます。


結果として、対大洗に比べ対東京は著しく時間が掛かることとなります。参考までに過去に存在した東京~大洗~苫小牧間の航路の時刻表を見てみると苫小牧から大洗までは18時間45分、一方で東京までだと29時間15分かかります。差し引き10時間30分の差、一方で大洗から東京まで車を飛ばすとせいぜい3時間かそこらですから、大洗で降りてさっさと車を飛ばした方が便利なことがわかります。

したがって、大洗航路は実のところ対茨城県のみならず対関東地方への輸送を一手に担っていることがわかりますし、今の人口分布や経済状況、地形やテクノロジーなどがよほどダイナミックに変化しない限り、すなわち北海道と関東の間の流動が無くならない・房総半島が沈まない・どこでもドアの開発など船の存在が不要になるような決定的な技術が開発されない……限り、北海道と茨城県を結ぶ航路は生き残り続けることが予想できます。

なお、触れると話がややこしくなるので敢えて本筋では触れませんでしたが、茨城と北海道の間にはRORO船と呼ばれる簡単に述べるとフェリーから客室を取っ払って全部車両甲板にした船も運航(苫小牧~常陸那珂、釧路~日立)されてます。さんざんセイコーマートは大洗航路を使っていると書きましたが、実はこちらのひたちなかや日立を発着するRORO船航路を使っている……のかもしれません。少なくとも上に述べた理由で盛んに運航されている北海道~茨城航路を使っている事は確実なのですが。


さらに根本的な問題として、そもそも今時北海道までは飛行機やLCCがガンガン飛んでいるのになぜ航路が存在するのでしょうか?これはここまでお読みいただければなんとなく想像できるかと思いますが、長距離航路のメインのお客さんは貨物です。旅客ならともかく、大きな貨物や重たい貨物になると、船舶の方がはるかにコストが安くなります。大洗行きのフェリーの車両甲板はトラックやトレーラー(よくでかい貨物にそれを引っ張る車をくっつけて走る牽引車が街を走っていますが、あれの後ろの部分です。まあ貨物を運びたいだけですからわざわざ運転台まで運ぶ必要性はないですしね)が満載されています。


大洗行きのフェリーはお客さんも載せていますが、これはまあ貨物のおまけと言うわけです。個人で利用するメインのお客さんは自家用車と共に北海道に行く(北海道まで運転するのは大変ですし、そもそも島なんで道路繋がってないですし)人らしいですが、これも結局デカいものを運ぶのに有利と言う船舶輸送の特性を活かしているというわけです。

ちなみに、「わざわざトラックを用意しなくても北海道の商品を直接船に載せて送り込めばトラックの返却の事を考えずに済むのでは?」と言うご意見も出てきそうですが、トラックで港まで運んできた貨物を船に積み替える手間(もちろん船から降ろすときも同様です)を考えれば、トラックごと送り込んだ方が手っ取り早い……と言うわけです。


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