2.7.2023 美術館にて。

芸に触れることは人付き合いと紙一重である。

誰かの傑作や名画を見るのであれば、博物館に行けばいい。

美術館とは、そういう場所じゃないと思った。

芸に触れるとは、創作者の世界観や思想、感性を現した創作物を、五感全てを駆使して触れ、理解するための行動であると私は考える。

彼らは飢えているのだ。

他者には理解できない自分自身だけの世界を心底大切に温め、彼らが得意とする方法で日々感じている飢えの類を体言しているように、私は感じた。

時に設定されたテーマに沿って、またある時には彼らの衝動のままに、

彼らは表現しているのだろう。

私たち他者は美術館に赴くことで彼らと出会い、作品を通して彼らと対話するのだ。

それは手段が異なるだけで、普段君たちが、友人と、恋人と、家族と、取引先としていることと本質的には変わらない。

向き合わない限り、よそ見をして、片手間に済ましている限り、第一印象で決めつけている限り、彼らのことを理解することなどまずできないだろう。

意思のない会話ほど、人間関係で無駄なものはない。

私といえばはほとんどわからなかったが、それは向き合った結果だ。

理解するほどの心理的余裕を持つためには、人間の根源たる生理的欲求を満たしてから向き合う必要があった。

昼食を食べていなかったのである。



人付き合いで他人の本心などほとんどわからぬように、彼らの思想も思考も、わかるものと分かり得ないものがあるのだろう。

しかし人付き合いと同じように、一度でわからなかったのであればもう一度、もう二度と、何度も向き合ってみるべきではないだろうか。

それが人付き合いというものであり、対話というものだと、私は考える。

再度言うが、美術館とは、創作者(アーチスト)との対話をするところなのだ。

歴代の名作や傑作を観覧し、写真を撮りたいのならば、博物館にでも行くがいい。

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