14と15の間で

久々に飲んだファンタグレープが不味かった。

ただ変な甘みのするだけ炭酸飲料に成り果てた紫の缶ジュースを、僕は半分しか飲めずに残してしまっていた。

少し前まで、あんなにも美味いと思っていたのに…

真夏の朝、五時三十分に公園に集合すると、練習場所までアップ走。

そのあとはひたすら己との戦い。

振り絞る筋肉から繰り出されるパワーで風を切る。

暑いはずなのに、汗は一滴たりとも出てこなかった。

あれだけ踏み抜いて、あれだけバイクを振ったはずなのに、

僕は今日もあの人には勝てなかった。

帰り道、アパートのそばにある自販機で買うファンタグレープ。

なけなしの金で買うささやかな贅沢。これが格別にうまかった。

激動からの疲労で糖分を求める身体、染み渡るフレッシュな果汁感。

炭酸は疲労感も吹き飛ばす勢いで弾けた。

そんなファンタが今は美味しくない。

あの時から環境は確かに変化した。

目の前のことに追い込まれて余裕のない日々。

結果を出さないといけないというのに、

一日を生きることですら必死な僕は、今日も仕事をサボっていた。

目の前で夢を追いかける友人の姿に、今はなき夢の破片を見る。

「安定」のニ文字は、急に、そして容易に崩れる。

本当の僕は一体、どこで何がしたいのだろう。

手探りで、粗探し。そうするしかない。

期限は刻一刻と迫る。

「難しいね。」の一言で終わらせる、後味の悪さ。

何もかもが難しい世の中で、完璧な答えになんて辿り着けない。

急にどうでも良くなって、ヤケクソで飲んだファンタグレープ。

不気味な不味さで思い出す青春。

あの甘い、青春の味はどこに行った?

燃えるような夏空、凍てついて刺さる冬の空気、

それにも負けじと魂を燃やした苦しみと、

何もかもやり切った後の、あの無邪気な笑顔はどこに行った?

目先の苦楽に囚われて、それを強いられている、押し付けられていると言い、

それにすらに打ち負かされている僕らは本当に「大人」になったのか、

20代という僕らの在り方について、僕は今一度考え直したい。

少なくとも貧弱で、しかも不純な意思で群衆に溶け込むような、

現代の社会人になることには疑問すら感じる。

疑問を疑問で終わらせられるほど、人生は短くないだろう。

妥協はやがて、後悔になる。

失敗すらも経験にして、自分自身と向き合えるように。

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