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入院記 1日目

この人生で確信を持って苦手だと言える事がある

”やらなくてはいけないこと”だ

やりたいと思えることしかしたくない

夏休みの宿題だって、日記を書くのは好きだが
日記を書かされるとなると全くやる気にならない

というわけで、
早速noteを更新するのが嫌になってきた
昨日の自分は何故あんな宣言をしてしまったのか

ノルマや目標、予定とか
決められたことに身体が拒否反応を示す

やりたい、と一瞬でも思ったことも
やらないといけないことに変わった瞬間に
逃げたくなるのはなぜ

一生「別にやらなくてもいい、どうでもいいこと」
だけをして、その上で幸せに生きていきたい
そんなことを思う

あと、
入院に際してタバコをやめてくださいと言われた

別に今まで日に2、3本吸えば多い方で
自分で言うところの禁煙というやつが
できているつもりだったのだけれど
やめろと言われると、
なんだかとても吸いたいものに思える

これが反骨精神というやつなのか、
と思ったけど多分違う
言葉の意味を調べるのも疲れるので
今日は反骨精神ということにしとこうと思った

そういえば、ここ数日心の調子が良くない
常に胸がシクシク痛む感じというか、
起きてからずっと憂鬱だ

こういう時は人になるべく会いたくない
と他に入院患者がいる大部屋でこれを書いている

3時間に一回見にきてくれる看護師さんには、
もちろんウェルカムを送りたい

同室の人はここの施設の一部と思い込むことにした

ちなみに、この人は入院案内の時に
ものすごい寝相で寝ている上に
繋がれてる管が人より多いから
死んでいるんじゃないかと僕を震撼させてくれた

もう、この入院生活でこれ以上面白いことは
起きないんじゃないかと思う

死を笑いに昇華できる人間は強い、
勝手に殺してすまん

ついでに、この人が
砂糖をまぶしてある甘辛い海苔を
ずっと看護師さんに所望しているのだが
看護師さんは連想ゲームが苦手みたいなので
「もしかして韓国海苔じゃないか」と教えてあげた

あれから数時間経つが、
韓国海苔が運ばれてくる気配は全くない

二、三年前は心の調子が良くないなんて
客観的に自分のことを観察する習慣もなかった
だから、心の調子が良くないという感覚というか
表現にまだ慣れ切ってない

昔は、こういう時どうやって表現してたんだろうか
ただ何もわからず、
自分のことを否定していた気がするな

最近は
「自分は悲しいという気持ちの比率が多い人間だ」と諦めて
悲しかったら無理に明るい気持ちになろうとせず
悲しみを味わうようにしてる

意外と
悲しみをどうにか発散しようとするんじゃなくて
味わおうとしてみると
自分を大切にしてる感じがしてくるから
いいものだなと思う

多分、悲しんでもいいんだと自分に許せたら
そのうち悲しくなることが
減っていくんじゃないかという感じがするから
人間って難しいな

冒頭のタバコではないけど
自分は許可されていることは、多分どうでもよくて
吸ってはいけないとか悲しんではいけないと
禁止されていることが
どうしてもやりたくなる性分なんだと思う
多分みんなもそうなんじゃないか

だから、固定概念なんか持たず、
全てどうでもいいというか
なんでもいいって思える方向に向かって
生きなくちゃなと思ったり

ということで、とんでもない散文になってきたのと
そろそろ1000文字を盛大に超えてきたので、
今日はこの辺で切り上げようと思う

初日からクオリティを求めるのはやめておこう
明日は手術、扁桃腺切るだけだけど生きなくては

では


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