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トロッコ問題を考えた結果、1枚のコインを持ち歩くことにした

誰かを助けるために、
他の誰かを犠牲にしなければならないとき、
どうするべきか?

前提

今回は、Wikipediaのトロッコ問題(Trolley problem)の記事にあるバリエーションを参考にする。

条件1:暴走したトロッコが線路の上を走っており、そのまま進むと5人が轢かれて必ず死ぬ。
条件2:5人を助ける方法は、トロッコの進む先を切り換えることだけである。
条件3:トロッコの進む先を切り換えると、切り換えた先にいる1人が轢かれて必ず死ぬ。
条件4:トロッコの進む先を切り換えても、何もしなくても、罪に問われることはなく、賞賛や非難を受けることはない。
条件5:トロッコの進む先を切り換えるか、何もしないか、この2つ以外の回答は無効とする。

以上の条件1~条件5を前提として、トロッコの進む先を切り換えるべきか考える。

誰を犠牲にして、誰を助けるのか

単純に犠牲者の数を天秤にかけて、犠牲者が少ない方が良いと答えることもできるが、場合によっては犠牲者が多い方が良いこともある。

このバリエーションでは、犠牲者の価値が設定されていない。

人の命は平等だと言う人もいるらしいが、私はそうは思わない。
十人十色の人生を歩む人間の価値を、十把一絡げにできるわけがない。

より価値のある誰かを助ける方が、あるいは、より価値のない誰かを犠牲にする方が、良い選択であるはずだ。

損得勘定

今回の問題に登場する6人の価値を、それぞれ a, b, c, d, e, f とする。
何もしなければ死ぬ5人の価値を a ~ e 、トロッコの進む先を切り換えれば死ぬ1人の価値を f として、最も得な行動を考える。

最も得とは、生き残る人物の価値の合計値が最大になることである。

(1)a, b, c, d, e, f が等しい場合
「人の命は平等」。さらに3つの場合に分けられる。

(1-1)それぞれの価値が 1 の場合
6人全員に生きて欲しい場合。
何もしなければ -5×1 +1×1 = -4
切り換えれば 5×1 -1×1 = 4
切り換える方が得だろう。

(1-2) それぞれの価値が -1 の場合
6人全員に死んで欲しい場合。
何もしなければ -5×(-1) +1×(-1) = 4
切り換えれば 5×(-1) -1×(-1) = -4
何もしない
方が得だろう。

(1-3)それぞれの価値が 0 の場合
6人全員の生死に関心がない場合。
何もしなければ -5×0 +1×0 = 0
切り換えれば 5×0 -1×0 = 0
この場合は判断できない。どちらでもいいとも言える

(2)a, b, c, d, e, f の価値が異なる場合
これもさらに3つの場合に分けられる。

(2-1)価値の比較が a+b+c+d+e > f となる場合
例えば a ~ e が親しい友人たちで、 f が赤の他人なら?
切り換える方が得だろう。

(2-2)価値の比較が a+b+c+d+e < f となる場合
例えば a ~ e が赤の他人で、 f がこの世で一番大切な人なら?
何もしない方が得だろう。

(2-3)価値の比較が a+b+c+d+e = f となる場合
なかなか想像できないケースだが、価値が釣り合ってしまったので判断できない

(3)価値を比較できない場合。
6人の中に誰なのかわからない人物がいる場合や、6人全員が無限大の価値を持っている場合は、判断できない

選択←意思←期待

話は少し脱線するが、人間が行動するにあたり、必ずしも意思は必要ない。
呼吸や反射、無意識に実行できるほど繰り返した動作など、意思とは無関係に行動できる例はある。

しかし、行動を選択する際には必ず意思が必要になる。

例えばショッピングに出掛けて、服を買うか買わないか選択するとき。
買いたいという意思があれば、買う選択をする。
買いたいという意思が無ければ、買う選択をしない。

「~する」という行動を選択するためには、「~したい」という意思が必要だ。

さらに、意思が生じるためには期待が必要である。

ファッションを楽しめるだろう、快適に過ごせるだろう、満足できるだろう、といった期待から、服を買いたいという意思が生じる。

「~したい」という意思が生じるためには、「~だろう」という期待が必要だ。

答えは「何もしない」

今回の問題は、ありがたいことにトロッコの進む先を「切り換えるか」「何もしないか」の2択だ。
切り換える選択をするのか、しないのかを考えるだけでいい。

条件1~条件5では、犠牲者の6人がどういう人物なのかわからない。
つまり(3)価値を比較できない場合であり、結果の損得を判断できない
損得がわからないのだから、そこには何の期待も存在しない
期待が無いのだから、切り換えたいという意思は生じ得ない
切り換えたい意思が無いのだから、切り換える選択はしない

よって今回のトロッコ問題の回答は「何もしない」となる。

選択を強いられるとき

多くのトロッコ問題のバリエーションでは、選択しない余地が残されているため、今回のような回答を導ける。

では、次のような前提ではどうだろうか。

条件1:停止しているトロッコを、A路線またはB路線の、どちらかに向けて出発させなければならない。
条件2:A路線に向けて出発させると、5人が轢かれて必ず死ぬ。
条件3:B路線に向けて出発させると、1人が轢かれて必ず死ぬ。
条件4:トロッコをどちらの路線に向けて出発させても、罪に問われることはなく、賞賛や非難を受けることはない。
条件5:トロッコをA路線に向けて出発させるか、B路線に向けて出発させるか、この2つ以外の回答は無効とする。

A路線とB路線、どちらを選ぶ意思も生じ得ないが、どちらも選ばないことができない。
選択するかしないかではなく、どちらを選択するかの2択を強いられる。

誰かを助けるために、
他の誰かを犠牲にしなければならないとき、
どうするべきか?

この問いかけに対して、私はコイントスよりも優れた回答を持ち合わせていない。

余談

本来、トロッコ問題は功利主義に基づいて少数を犠牲にする選択をした回答者に、変則問題を提示して、その回答の変化から倫理的な考察を行う思考実験だ。

しかし私は、利己主義的に判断不能なので何もしない、という回答を出したので、変則問題を考える意味は無くなってしまった。

功利主義的に考えたとしても、例えば5人が後に数百人の犠牲者を出すテロを起こすかもしれないし、1人が後に何万人もの命を救うワクチンを開発するかもしれない。
結局、判断不能なので何もしないという結論は変わらず、やはり変則問題を考える意味は無い。

あるいは、少数を犠牲にする方が得だと判明すれば、例え巨漢をトロッコの前に突き飛ばしてでもそうする。他の手段でも迷うことは無いだろう。

損得勘定できるならば得な方を選ぶ。そうでなければ何もしない。万が一に備えて、コインを1枚持ち歩いておけば万全だ。