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音楽家と歴史・社会 -7: メンデルスゾーンと真夏の夜の夢

主にクラシック音楽に係る歴史、社会等について、書いています。今回は、フェリックス・メンデルスゾーン(1809年 2月3日 - 1847年 11月4日)を取りあげます。

先日、序曲「真夏の夜の夢」を某オケで聴いた。最初のヴァイオリンの早いパッセージ、アマチュアではうまく揃わないし、なぜ真冬でも演奏されるのか不思議なのだが、魅力的な楽曲ではある。そして、作曲家(以下、「フェリックス」と呼ぶ)の時代に思いを馳せつつ、自分が青年の頃に見たウディ・アレン主演の映画(動画はその予告編)を思い出した。

フェリックスは、早世したが生存中に高く評価され成功した、ドイツの作曲家だ。ユダヤ系銀行家の息子として生まれ、幼少期から、姉のファニーと同じく音楽の才に恵まれていた。フェリックスの両親は、ベルリンの自宅サロンに画家、音楽家、科学者などを頻繁に招き、フェリックス達への英才教育を行った。

フェリックスは、10代で、ラテン語、イタリア語、フランス語、英語を話し、多くの水彩画作品を残した。ヘーゲルやゲーテとも仲良くなっていた。

序曲「真夏の夜の夢」は、1826年に作曲された。16世紀末にウィリアム・シェイクスピアが作った喜劇を、フェリックスは、当時、ドイツ語翻訳がない中で、英語の原書を読み、インスピレーションを得て作曲したと思われる。

ちなみに、【音楽家と歴史・社会 -5】で取り上げたフレデリク・ショパンは、1828年にベルリンでフェリックスを出会ったが、同じ音楽の天才であっても語学では負けていた(フレデリクは生涯、英語をほとんど話さなかった)。

さて、1843年、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世からの勅命より、フェリックスは「夏の夜の夢」の劇付随音楽を差作曲する。有名な「結婚行進曲」は、彼の真骨頂。(私が京都大学交響楽団在籍の1年目に、恒例の一回生オーケストラの一員として、チェロを弾いた。「序曲」に比べれば、容易な曲であった。)

順風満帆のフェリックスの人生は、1847年5月14日の姉ファニーの急逝で暗転する。両親の死より悲しんだフェリックスは、半年も経たずに、ライプツィヒで度重なる発作の末、38歳で死去した。

最後に、私自身の「真夏の夜の夢」を記しておく。
大学4回生の秋、独りで上京した。渋谷で見た映画が、”A Midsummer Night's Sex Comedy”(邦題「サマーナイト」)だ。ウディ・アレンとミア・ファロー(実生活でも事実上夫婦)が主演し、フェリックスの4つの楽曲(メンコン含む)と、シューベルト、シューマンの楽曲が挿入されていた。しかし、妖精が活躍するシェイクスピア喜劇とは異なる大人のコメディは、人生経験が少ない者にはその諧謔が理解できない、当惑させるだけの映画であった。おかげで、その夜はあえなく撃沈。

天才フェリックスは、姉ファニー以外の女性を愛したことがあるのか、(彼に天国で会えるのなら)あったとすれば、それは成功したのかを訊いてみたい。

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