客観性のない手紙
娘が保育園から帰宅後、「〇〇ちゃんからお手紙もらった〜!」と嬉しそうにみせてくれた。おりがみに、娘ちゃんへ という文字と、下にハートが4つ書かれていた。
娘は返事を書くとのことで、折り紙でチューリップを折り、手紙に貼り付け、〇〇ちゃんへ から始まり、お月さまの絵や、ハートなど色々な絵を描いて、絵の横に注釈のように「おつきさま」など記載していた。
私はなんと可愛らしい文通なんだと思うと同時に、「自分が送りたいものをおくる」という行動にドギマギした。
2人とも文字は書けるが、「またあそぼうね。」とか「だいすき。」とか相手が喜びそうな言葉を考えて書くのではなくて、ただ自分がかきたいことをかいていて、それをおくりたい人に送っている。
自分にこんなことはできないと感じた。
相手がどう思うか、どうして欲しいかを考えずに、自分がしたいことを中心に行動することはできないし、してもいいのだろうかと感じてしまってドギマギしたのだと思う。
息子の一年生が終わる頃、「せいかつ」の授業ファイルを持って帰ってきた。
1年間の授業のプリントが綴じられていて、ぱらぱらめくっていると、「あさがおさんへ」という手紙があった。
育てたあさがおへ手紙を書くという設定だった。息子は、「みずをやってないのに、ぐんぐん育ってくれてよかったな」と書いており、先生からのコメントが「みずをやってないの?」だった。
あさがおへの手紙に先生が丸つけをし、赤ペンで「みずをやってないの?」と記載することに趣旨のズレを感じるが、読み手(もはや先生)がどう思うか考えられてない手紙は面白かった。
読み手を考慮しない手紙。
受け手である娘の友人は喜んでくれて、忘れた頃に再び手紙をくれる。あさがおもきっと喜んだと思う。「全然水をやってくれなかったよね!!」なんて怒っているとは思えない、美しい紫の花を咲かせていた。
勝手に読み手となった先生のみが違和感を表明していた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?