オムニバス・コメディ映画の系譜

 「カトリック女子高生の受難(Catholic High School Girls in Trouble)」「感じる映画(Feel-A-Round)」「セックス・レコード(Sex Record)」……『ムービー43』に、もしこれらのエピソードが入っていたとしても、おそらくまったく違和感はないだろう。コメディ好きの映画ファンならご承知のとおり、いま挙げたのはすべて1977年のアメリカ映画『ケンタッキー・フライド・ムービー』のエピソードタイトルである。
 デヴィッド、ジェリーのザッカー兄弟とジム・エイブラハムズの3人で結成された映画製作チーム「ZAZ」による一連のコメディ映画は、本国アメリカではもちろんのこと、何を間違ったか日本でもかなりのヒットを記録した。日本人は基本的にこの手のコメディ映画が好きな民族なのだろう。
 『エアポート』シリーズをベースにした飛行機パニック映画のパロディ『フライングハイ』(80)、東ドイツの世界侵略に巻き込まれたアメリカ人ロック歌手の奮闘を描く『トップ・シークレット』(84)、レスリー・ニールセン演じるドレビン警部が毎度大騒動を巻き起こす『裸の銃を持つ男』シリーズ。さらにジム・エイブラハムズが『ポリスアカデミー』(84)や『バチェラー・パーティ』(84)の脚本家であるパット・プロフトと組んでつくりあげた『ホット・ショット』シリーズ。これらの作品は、『ケンタッキー・フライド・ムービー』のような明確なオムニバス仕立てではなく、いちおう軸となるストーリーが設定されてはいるものの、その場その場のシチュエーションを利用した瞬発的な笑いがつらなってゆく形で構成されている。それはいわば古典的なコメディ映画のつくり方でもあるが、ZAZが革新的だったのは、ひたすらメインストーリーよりもそうしたギャグのほうに比重が置かれ、しかもそれが3分間に1ネタ、下手をすると1分間に1ネタくらいのとてつもない頻度で展開される点にある。
 この路線は、同時代から現在に至る多くのコメディ作家に多大な影響を及ぼした。1980年代末から頭角を現したウェイアンズ兄弟はその代表格であろう。彼らの初監督作『ゴールデン・ヒーロー/最後の聖戦(I'm Gonna Git You Sucka)』(88)は、いわゆるビジランテ・アクション(復讐劇)のパロディだが、ほとんどメインストーリーの進行を遮るかのようにショートギャグが全篇にちりばめられている。もうひとつ特徴的なのは、1970年代に勃興したブラックスプロイテーションフィルムのパロディを中心として、黒人観客層にウケのよい人種ネタをふんだんに盛り込んでいることである。これはもちろん彼ら自身が黒人であるためだが(ウェイアンズ兄弟はこの映画の前年にエディ・マーフィのスタンダップコメディライヴを映画化した『ロウ』を製作している)、この路線もまた一つの系譜として後続作家に受け継がれている。その一人が、『スプラング/お前にゾッコン』(97)などを手がけたラスティ・カンデッフであり、彼は本作『ムービー43』でテレンス・ハワードが出演したバスケットチームのエピソードを監督している。
 ウェイアンズ兄弟が一躍知名度を高めたのは、2000年代に発表された『最終絶叫計画』(00)、『最'新'絶叫計画』(01)であろう。『スクリーム』(96)や『エクソシスト』(77)といった新旧のホラー、スリラー映画を中心に、ヒット作のパロディを盛り込んだ作風は、かつてのZAZをほうふつとさせる。と思っていたら、3作目の『最'狂'絶叫計画』(03)と4作目の『最終絶叫計画4』(06)では、製作陣がウェイアンズ兄弟からデヴィッド・ザッカー、ジム・エイブラハムズ、パット・プロフトらへと替わり、見事に系譜がつながった。今年(2013年)4月には全米でデヴィッド・サッカー製作、マルコム・D・リー(スパイク・リーの従兄弟で、『ベストマン』〈99〉などの監督作がある)監督によるシリーズ最新作『Scary Movie 5』が公開されている。
 一方、『ケンタッキー・フライド・ムービー』の監督を務めたジョン・ランディスは、その10年後の1987年、『アメリカン・パロディ・シアター』を発表している。こちらは純然たるオムニバス形式で、ジョー・ダンテ、カール・ゴットリーブ、ピーター・ホートン、ロバート・K・ワイスら複数の監督がエピソード演出を分担している点は、より『ムービー43』に近いと言えるかもしれない。ロザンナ・アークエットやミシェル・ファイファーといったスターだけでなく、ラス・メイヤーやポール・バーテルといったB級映画の巨匠たちが顔を出しているのが映画ファンには嬉しいところだ。また、『ムービー43』で「ムラムラ・スーパーマーケット」を監督したグリフィン・ダンも俳優として出演している。
 パロディ映画の巨匠といえば、メル・ブルックスを忘れてはいけない。『ブレージングサドル』(74)や『ヤング・フランケンシュタイン』(74)などジャンル映画の型を見事に笑いに転化した名作コメディもさることながら、『新サイコ』(77)や『スペースボール』(87)といったほとんどパロディのためのパロディが全篇を支配する作品群は、まさしく『最終絶叫計画』の原型と呼べるのではないだろうか。そんななかで純粋なオムニバス・コメディというべき『珍説世界史PARTI』(81)における皮肉たっぷりの宗教裁判ミュージカルは、バカバカしさと同時に言い知れぬ感動すらおぼえるブルックス本領発揮の名場面だ。

 さて、ここまでアメリカのコメディ映画を追ってきたが、そのほかの国にも目を向けてみよう。
 イギリスの先端的コメディ集団モンティ・パイソンは、さまざまなスケッチ(コント)を盛り込んだTV番組「空飛ぶモンティ・パイソン」で一世を風靡、映画にも進出した。第一作の『モンティ・パイソン・アンド・ナウ』(71)は、「空跳ぶモンティ・パイソン」の番組内で放送されたいくつかのスケッチを映画用に再撮影し、オムニバス風に構成したものである。第二作の『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(74)と第三作の『ライフ・オブ・ブライアン』(79)は、監督のテリー・ギリアムとテリー・ジョーンズの作家性が色濃く反映され、コメディ以上にファンタジー的な要素の強い作品となっている。パイソン最後の映画作品『人生狂騒曲』(83)は、製作当初は軸となるストーリーを設定し、最終的に「人生」というテーマに集約する作品として完成させるはずだったが、パイソン後期のゴタゴタによる練り込み不足により、結果的にはレベルの異なる7つのエピソードで構成される純粋なオムニバス・コメディとなった。
 イギリスが生んだスパイシリーズの代名詞、007をパロディ化した『007/カジノロワイヤル』(67)は、オムニバスではないが、ZAZの作品とかなり共通するテイストを持ったコメディ映画である。なにせ監督が名匠ジョン・ヒューストンをはじめ5人もいるところからして人を食っている。デヴィッド・ニーヴン、ピーター・セラーズ、オーソン・ウェルズ、ジャン・ポール・ベルモンドらがひたすら楽しそうにバカ騒ぎに興じるさまは、錚々たるスターたちがこぞって珍妙な演技を披露する『ムービー43』とも共通するだろう。
 その『カジノロワイヤル』に出演していたウディ・アレンは、キャリアの初期にセックスをテーマとしたオムニバス・コメディ『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう』(72)を監督している。巨大なおっぱいモンスターに襲われるエピソードや、男女のセックスに至る過程を精子の視点からとらえたエピソードなど、いま観ても抱腹絶倒の面白さである。
 イタリアやフランスは、オムニバス・コメディに関しては、かなり古い歴史を持つ。1940年代にイタリア映画界を席巻したネオレアリスモのムーブメントが過ぎ去ったのち、1950年代末から60年代半ばにかけて、おもに脚本家出身の若手監督たちが艶笑喜劇を中心としたオムニバス・コメディを量産、いわゆるイタリア式コメディが隆盛をきわめた。代表的な作品として、『鉄道員』(56)のピエトロ・ジェルミによる『蜜がいっぱい』(65)、フェデリコ・フェリーニやルキノ・ヴィスコンティといった巨匠たちが競作した『ボッカチオ'70』(62)などが挙げられる。このムーブメントはフランスにも輸出され、イタリアやドイツとの合作のもとに、ジャン=リュック・ゴダールとアンナ・カリーナの最後のコンビ作品となった「未来展望」を含む『愛すべき女・女たち』(67)などがつくられた。
 この路線は、近年ではラブロマンスに主軸を置いた『イタリア的、恋愛マニュアル』(05)や『アーティスト』(11)でアカデミー賞を受賞したミシェル・アザナヴィシウスの監督エピソードを含む『プレイヤー』(12)のような作品に受け継がれていると言ってよいだろう。
 また、イタリアの人気コメディアンであるエッジオ・グレッジオは、ハリウッド資本で『羊たちの沈没』(93)なるパロディ・コメディを監督。FBI捜査官ジョー・ディー・フォスターが連続殺人の謎に挑むというストーリーを軸に、1分1ネタどころか1秒たりともネタが入っていないシーンはないと言えるほど全篇ふざけっぱなしの作品だったが、あまりにも緩急がなさすぎてただ疲れるだけの凡作となってしまった。
 日本には、オムニバス形式のコメディ映画はきわめて少ない。
 『ケンタッキー・フライド・ムービー』を日本でも、という意気込みで製作された山本晋也監督の『下落合焼とりムービー』(79)は、赤塚不二夫、高平哲郎、滝大作という当時最強のギャグメーカーを脚本に迎え、若き日の所ジョージをはじめ、タモリ、宇崎竜童、柄本明、アルフィーらが暴れまくるというゴッタ煮映画。実際に面白いかどうかはともかく、猥雑なパワーだけは存分に伝わってくる珍作であった。
 バブル期に森田芳光が製作総指揮・脚本を手がけた『バカヤロー!/私、怒ってます』(88)は、窮地に立たされた主人公が溜まりに溜まった怒りをついに爆発させるまでを描いたオムニバス・コメディ。4話それぞれに楽しめるが、なかでも大地康雄がタクシー運転手に扮した第3話が出色だ。普段感情を表に出さない日本人の本音を代弁したためか、大ヒットを記録、4本の続篇とオリジナルビデオも製作された。
 世界のキタノこと北野武は、1995年に「ビートたけし第1回監督作品」というふれこみで『みんな~やってるか!』を発表している。カーセックスを願う男の妄想が壮大かつバカバカしい展開へと結びついていく作品で、それまでの北野映画に好意的だった観客・批評家からも総スカンをくらってしまった。
 映画ではないが、日本で1980年代に発売されたオリジナルビデオによるコメディ作品のなかには、オムニバス形式の野心作がいくつか存在した。『竹中直人の放送禁止テレビ』(85)は、そのタイトルどおり放送禁止必至の下ネタや残酷ネタが満載の作品。雑誌「ホットドッグプレス」から始まったメディアミックス企画の一環としてリリースされた『業界くん物語』(86)は、坂本龍一やいとうせいこうらが当時の世相を反映したコントを演じている。また、竹中直人監督による『普通の人々』(92)は、本木雅弘や豊川悦司といった俳優陣をほんの少しだけ出演させたり、架空の映画の予告篇を挟み込んだりとシュールギャグ版『ケンタッキー・フライド・ムービー』とでも呼びたい作品だった。

 今回は紙数の都合でふれられなかったが、もちろんほかにもオムニバス・コメディ映画はたくさんある。
 『ムービー43』もまた、こうした作品の系譜のなかで、最高にバカバカしい光を放ち続けるに違いない。
(『ムービー43』劇場用パンフレット)

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