こたえることのない相手に呼びかける――『監督失格』

 『さよならもいわずに』(エンターブレイン)というマンガがある。ギャグマンガ家として知られる上野顕太郎が、うつ病と喘息をわずらい、ある日突然この世を去った前妻のキホさんとの日々、そして長い長いその後をつづったエッセイマンガだ。
 キホさんを失ったそのときから、上野は終わりのみえない自己言及の淵に落ち込んでゆく。妻はしあわせだったのか、頭のなかでいくら反芻しても答えは出ない。「ただいま」「おかえり」――生前交わしていた夫婦のなにげないやりとりが、彼の脳裏でえんえんと繰りかえされる。遺影に向かって「ただいま……ただいま……ただいま!」と何回も呼びかける。返事は、ない。時には、妻と自分のセックスを誰かが盗撮していてそれがDVDにのこっているのではないか、とさぐってみたりもする。
 かけがえのない誰かを失うことは、かくも人間を痛ましく、狂おしく、滑稽にさせてゆく。
 しかも、この場合、のこされた者は、いわば永遠に解けることのない(けっして正解のない)問いを背負わされた状態であり、ある意味で死よりも苦しい「生き地獄」の海をただよいつづけなければならない。
 平野勝之も、この海をただよった者の一人である。
 平野はアダルトビデオの監督であり、『監督失格』は彼と多くの作品をともにつくり、私生活のパートナーとしてもひとときをともに過ごしたAV女優の林由美香を回想したドキュメンタリー(というよりはこれもやはりエッセイに近いが)だ。
 林由美香は、ふしぎな存在感をもった女優で、AVアイドルとして人気を得たのち、ピンク映画、一般映画でも活躍。二〇〇五年六月、突然の死を遂げた。
 平野勝之が上野顕太郎とちがうのは、林由美香と彼がともにすごした時間は、それこそセックスもふくめ、膨大な映像となってのこされている点である。しかも、平野の作風は、虚構に虚構を重ねてゆくアダルトビデオの主流とは一線を画し、時にAVという表現形式に付随する虚構性をも逆手にとりながら、カメラに映される女性とカメラをまわす自分との関係性、愛憎、ぶつかり合いを見せてゆくところに特徴がある。
 林由美香との関係も、こうした平野の作家的葛藤のうえに築きあげられたものだった。
 『監督失格』の前半は、AVとして発表され、『由美香』(一九九七)として劇場公開もされた東京から北海道への自転車旅行の映像、そのダイジェストで構成されている。私的な関係と「作品をかたちにする」という職業意識のあいだをめまぐるしく往還するなかで、最もエモーショナルな場面を撮影しそこなった平野は、由美香から「監督失格だね」と言われる。このひとことが、映画『監督失格』の内的な出発点となる。
 映し映されてきた二人。その関係性は、ついにマンションの自室で亡くなっていた由美香の遺体発見に平野が立ち会う、という展開へとなだれ込む。だが、カメラは廊下に置かれ、平野や駆けつけた母親の衝撃と混乱を記録するにとどまり、由美香が横たわっているであろう部屋のなかに入ることはない。
 このときカメラを持って部屋に入らなかった平野勝之はやはり「監督失格」なのだろうか、という問いがわきあがったところで映画は先の出発点に立ち返り、平野をきわどい省察へと追い込んでゆく。
 平野勝之というひとは、とっちゃんぼうや風の外見のせいだろうか、話し方のトーンのせいだろうか、いつもどことなく飄々としてみえる。林由美香に対してもそうであったように、時に感情的な部分をもろに相手にぶつけてしまう面はあるが、にもかかわらず、いや、だからこそ、過度な情感を抑え込んでいる(大槻ケンヂいうところの「情感欠落人間」)ふうでもある。否、ただ単に情感と向き合うのが下手なのかもしれない。
 それは、在りし日の由美香と平野が、陽光差し込む部屋でくつろいでいる映像からも感じとれる。
「しあわせ……だよね」
 由美香は、微笑みながら平野にささやき、その瞬間の幸福をいつくしむように目をとじる。
 この映像は、映画のラストにおいてスローモーションで繰りかえされる。それはいわば、永遠と思えるほど長く引き延ばされた一瞬だ。アニエス・ヴァルダの『幸福』(一九六五)やニコラス・ローグの『赤い影』(一九七三)で、最愛のひとを失った主人公が亡骸を抱き上げる――その瞬間がスローモーションによって引き延ばされ、終わりのみえない絶望へと観る者をいざなう、あの映像表現と同じような効果がうまれている。
 ここにきて、平野は、ついに由美香に対する情感と正面から向き合う。彼女が「しあわせ……だよね」とささやいたあの瞬間、たしかに自分は「しあわせなバカタレ」(矢野顕子がうたう主題歌のタイトル)だったんだ、と。
 「監督失格だね」と林由美香に言われたときの気持ちを、のちに平野は「イヤだった」と語っている。「由美香に恋してたから。(略)仕事仲間の立場だけだったら、それは『由美香、すごいね』ってなるんだけど、僕はそれが邪魔だった」(『「監督失格」まで 映画監督・平野勝之の軌跡』ポット出版、二〇一三年)。
 由美香がまだ自分のなかにいることを知った平野は、自転車で夜の町を走りつつ叫ぶ。
「早くいなくなれっ!」
 平野の姿に、妻の遺影に向かって「ただいまって言ってんじゃねえかよっ!」と呼びかける上野顕太郎の姿がオーヴァーラップした。
 もう二度と応えることのない相手に向かって、いや、正確に言えば、ともに生きていたとき以上に大きな存在となって自分のなかに居座りつづける相手に向かって、彼らは叫ぶ。
 冷静な第三者は、それを「死と再生の物語」として片づけてしまいがちだが、現実はそんなふうに単純には割りきれない。
 「永遠の一瞬」が、時に人間の一生よりも重く感じられるように。
(『心が疲れたときに観る映画 「気分」に寄り添う映画ガイド』2017年)

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