物理的な死をこえて生きつづける魂――『天国から来たチャンピオン』

「コーヒー、いただくわ」
 ジュリー・クリスティ演じるヒロインは、ウォーレン・ベイティ演じる「主人公」の目をみつめ、そうささやく。
 『天国から来たチャンピオン』のこのラストシーンは、相手の目をみつめることで起こりうる奇跡を描いた、映画史上最も美しいシーンのひとつではないかと思う。
 アメリカン・フットボールの選手ジョー・ペンドルトン(ウォーレン・ベイティ)は、ある日、交通事故に遭って死んでしまう。ジョーは案内人の天使(バック・ヘンリー)に付き添われて天国行き飛行機の搭乗口へやって来るが、なんと事故死は天使のミスで、彼にはまだ五〇年もの余命があったことが判明。急いで地上へもどったものの、ジョーの肉体はすでに火葬されていた。責任を感じた天使長のジョーダン(ジェームズ・メイスン)は、別人の遺体にジョーの魂を乗りうつらせようとするが、ジョーが望む条件に合致する者はなかなかみつからない。仕方なく富豪のファーンズワースの肉体を一時的に借りて地上にもどったジョー。外見はファーンズワース、心はジョーとして生活することになった彼は、やがて美しい女性ベティ(ジュリー・クリスティ)と恋に落ちる。
 アレクサンダー・ホール監督の『幽霊紐育(ニューヨーク)を歩く』(一九四一)のリメイクだが、この映画の「幽霊」は、『ゴースト ニューヨークの幻』(一九九〇)のような現世を浮遊する魂ではなく、他者の肉体を借りて物理的に生者と接触する。つまり、魂の容れものとしての肉体と、肉体の内容物としての魂が乖離していて、この映画はその乖離をめぐるドラマであるとみることができるだろう。
 ファーンズワースの周囲にいる人間は、突如として別人のように(事実、別人なのだが)なってしまった彼に違和感をおぼえる。いっぽう、ジョーと親しいトレーナーのマックス(ジャック・ウォーデン)は、ファーンズワースの肉体のなかにジョーの魂が息づいていることを感じとり、ファーンズワースの肉体をきたえて、ジョーをアメリカン・フットボールの試合に出場させようとする。この映画が巧みなのは、ジョーの魂が乗りうつったあとのファーンズワースを、ウォーレン・ベイティがジョーの風貌のまま演じている点だろう。映画ならではのトリッキーなしかけだが、ここにも「外見」と「内面」の乖離というこの映画のテーマが象徴されている。
 ファーンズワースとして生きてゆくことに希望を見い出した矢先、よりしろの貸与期限が切れて、ジョーの魂はふたたび天国の入口に引きもどされてしまう。そしてジョーは、ジョーダンの手引きにより、アメフトの試合中に事故死した選手トム・ジャレットの肉体をもって転生をはたす。ジョーとして生きてきた記憶を失い、完全にジャレットとして人生を生きはじめるために。こうして肉体と魂がふたたび一体のものとなり、「外見」と「内面」の乖離をめぐるドラマに終止符が打たれる。だが、それはあくまで物理的な問題にすぎない。
 この映画は、基本的にジョーの視点に立って描かれ、実際にウォーレン・ベイティという一人の俳優の身体性が映画を動かしてゆくため、観客は例外なくジョーの物語としてこの映画を観るにちがいない。しかし、ひるがえってジョーの周辺人物の目から観直すと、彼らはそれぞれジョー、ファーンズワース、ジャレットという異なる人物に対峙しており、物理的には三人の男をめぐるドラマが内在していることになる。
 この物理的な乖離を埋めるのは、三人に対する周辺人物の「彼らを彼らと認証するためのあかし」である。へたくそなクラリネットで奏でられるメロディ、「大丈夫だ、心配ない」ということばの口跡……。そのかすかな「認証のあかし」をたよりに、ベティやマックスは異なる肉体のなかにジョーやファーンズワースの魂を見い出す。
 その「あかし」の最大のものが、相手の目をみつめる、という行為なのだ。ジョーの記憶の消滅とともに転生したジャレットに対して、マックスは「俺(の目)をみろ」と言う。しかし、彼をみつめ返したジャレットの瞳にジョーの面影はない。つまり、「外見」と「内面」をめぐる物理的な乖離がすでに解消されていることが、あらためて(物理的に)はっきりと示される。ジョーの面影にとらわれているマックスにとっては、そこはかとない喪失感をのこしつつ。
 しかし、映画はそのあとにつづくジャレットとベティのやりとりで、物理的な乖離をこえた心のふれあいが生じうることを描いてみせる。ヒロインが「一人の主人公」の目をみつめることで、ジョー、ファーンズワース、ジャレットの三人がたしかにこの世界に息づいていた(いる)ことが証明され、そこから未来にむけての一歩が踏み出されるのだ。
 ライトが落とされた試合場にともる火は、物理的な死とは異なる次元で生きつづける魂のともしびにほかならない。希望は、ここにある。
(『心が疲れたときに観る映画 「気分」に寄り添う映画ガイド』2017年)

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