総背番号制に反対するのは誰か? (2007年7月)ネット時評
この数ヶ月ほどの年金騒動からわかったことの一つは、長期にわたる個人情報を管理するには、氏名、生年月日、性別、住所の4情報では不十分だということである。ある時点に限れば、この4情報によって、ほぼ100%個人を特定できる。しかし、年金のように長期間に渡って個人を識別し、その支払い記録を照合することは難しい。
3年ほど前、このコラムに、国民総背番号制が必要なのではないかという意見を書いたのだが、その時に「ほとんどの人のデータは名前と誕生日、あるいは住所で名寄せできる」と書いたのは正しくなかったようだ。長期にわたる個人情報を管理するには、やはり、基礎年金番号のような個人を識別する番号やコードが必要である。
情報システムに関わる仕事をしている人なら誰でも思いつくように、個人や企業、あるいは商品に関する情報を管理しようと思えば、それぞれに識別のための番号を振る。たとえば、手元に書籍があれば裏表紙を見ていただきたい。そこにはISBN番号が印刷されているはずである。また、コンビニやスーパーで販売されている商品の多くにはJANコード(Japanese Article Number)と呼ばれる商品番号とそれに対応するバーコードが印刷されている。
実は、人間の場合もあまり変わらない。ほとんどの市町村では住民に識別番号を振って住民情報をコンピュータで管理しているし、パスポートや免許証にも個人を識別する番号が振られている。また、年金加入者は、在日外国人を含めて全員が基礎年金番号という10桁のコードを持っている。世間には「番号で呼ばれたくない」という人がかなりいるらしいが、そんな人もすでに番号をいくつも持っているのである。(誤解をしないでいただきたいのだが、別に人間を商品と同じようにモノ扱いしようという話をしているわけではない。何かに関する情報を管理しようとすれば、識別番号をつけて管理するのが一般的だと言っているだけである。)
問題は、国の機関や自治体がそれぞれの業務のために別々の番号を使っているとすれば、それは極めて非効率だという点にある。もちろん、その業務が他の業務とまったく関連がないならば、別々の番号でよいのだが、現実にはまったく独立した業務はほとんど存在しない。たとえば、住所という情報は、ほとんどの業務で同じように管理されている。そのため、住所を変更した場合、それぞれ別々に手続きが必要となる。たとえば、住民票と国民健康保険・国民年金のデータは別々に管理されているために、引越をした人はそれぞれの窓口で住所変更の手続きをしなければならない。
より大きな問題は、個人に関する情報が業務別に縦割りになっていることを反映して、現在の行政サービスが「申請型」になっていることにある。たとえば、児童扶養手当や障害者手当、生活保護といった福祉サービスも本人が申請をしない限りサービスを受けられない。その結果、制度や仕組みを熟知している人が得をし、知らない人は損をするという社会になっている。
もし、業務に応じて必要な個人情報を共有する仕組みができれば、行政側からサービスを受ける権利のある人に案内を送ることができる。そうなれば、住民はそのサービスの申請書を書かなくてもよくなるし、行政側では申請書を受け付け、その内容を審査する業務が不要になる。つまり、統一番号を導入すれば、多くの住民サービスを申請型から提供型に変えることができる。そうすれば、制度や仕組みを熟知している人が得をして知らない人は損をするという不平等を解消できるし、サービスを受けるための申請書を書く手間も省ける。おまけに行政コストを削減でき、我々の税負担が軽減される。
しかし、統一番号の導入については、国民の一部に根強い反対がある。反対の主な理由は、統一番号の導入によって、個人情報漏えいの危険性が増大することと、国家による国民の監視・管理につながることだと言われている。これは正しい認識なのだろうか。
少なくとも前者については誤解がある。個人情報漏えいの危険性は、基本的に統一番号の導入とあまり関係がない。統一番号を利用しても、情報を統合して一つのファイルにする必要はなく、これまでと同じようにそれぞれの業務に合わせて分散管理をすればよい。情報漏えいの危険性は、統一番号を利用とはほとんど無関係である。情報漏えいの危険性は、それぞれの情報管理のあり方に大きく左右され、統一番号にしたから危険性が大きく増大するものではない。
では、統一番号の導入は、国家による国民の監視・管理につながるのだろうか。これは「監視・管理」をどの視点からみるかによって異なるだろう。たとえば、所得の把握や金融資産の把握のために統一番号を利用するケースを考えよう。賃金や報酬の支払い、不動産の売買や金融機関の口座開設に統一番号を利用すれば、個人の所得と資産をかなり正確に把握できる。たぶん、自分の所得や資産が正確に把握されると聞いて、喜ぶ人はあまりいないだろう。しかし、自分だけではなく、納税者全員の所得と金融資産が正確に把握されるのだと考えればどうだろう。納税は憲法30条に定められた国民の義務であるにもかかわらず、世の中には税金を誤魔化している納税者がいる。所得や資産を正確に把握されて困るのは、そうした国民の義務をきちんと果たしていない人なのだ。
おそらく所得と資産の把握のために統一番号を用いれば、税収は増えるだろう。しかし、徴税額が増えるのは、これまで納税という義務を正直に果たしてこなかった人だけなのである。もし、あなたが正直者であれば、統一番号を所得と資産の把握に利用することに反対する必要はない。むしろ、自分の税負担を軽くすると同時に、公平で公正な社会にするため、積極的に賛成するべきなのではないだろうか。
もちろん、個人的には、統一番号の導入が国家による国民の監視・管理につながるという不安は持っている。しかし、国税庁が納税者の所得と資産に関する情報を収集するように、行政機関が、その業務に応じて必要な個人情報を把握することは必要かつ正しいことなのである。不安は、収集された情報が目的外に利用されたり、情報が濫用されたりしないかというところにある。こうした不安を解消するためには、統一番号の利用や行政機関等における住民情報の利用が適正に行われるよう監督する、個人情報保護のための第三者機関を設けるという手がある。実際、統一番号を導入している先進国の多くには、個人情報保護のための第三者機関がある。
統一番号の導入は、行政機関だけでなく国民生活にも大きな影響を及ぼすため、広く議論を行い、国民のコンセンサスを得ることが必要である。
2007年5月29日にIT戦略本部が公開した『重点計画-2007(案)』には、「健康ITカード(仮称)」や「医療・介護・年金等の公共分野におけるICカード」の導入と活用がうたわれている。また、自由民主党と公明党が6月26日に公開した『第21回参議院選挙 連立与党重点政策』には「平成23年にも、一人ひとりがいつでも自分の(年金)情報を知ることができるカードシステムの導入など、新たな「年金記録管理システム」の構築をめざす」という公約が記されている。
こうした分野を特定した番号制度とICカードの導入は、現状よりは多少ましではあるものの、統一番号の導入に比べると効果は小さい。また、一度、特定分野で新しく番号制度を導入した後、統一番号を導入すると、最初の投資が無駄になってしまう。
年金騒動によって、個人を識別する番号の重要性に国民が気付いた今こそ、統一番号制度について国民的議論をすべきよい時期なのではないだろうか。
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