「よそ見」の優しさ

スタッフが、新しくノイズキャンセリング機能付きのワイヤレスイヤホンを買って、「まったく雑音が聞こえなくて怖い」という話をしていた。
街を歩いていて、器用に携帯をいじりながら自転車に乗るママ、耳にワイヤレスイヤホン、携帯に没頭して、向かいから歩いてくる人をよけようともしないサラリーマンにも遭遇する。

なにをするにも、「集中力」を要するときはあるだろう。
でも、「よそ見」する余裕って必要であり、それは周りへの「やさしさ」ではないだろうか。

周囲の雑音が全く聞こえない中、助けを求めている人のこえも聞こえず、
地下鉄の座席に座り、携帯の画面に没頭し、お年寄りも、妊婦さんも、目や耳の不自由な人、白十字をつけている人も目に入らない。

その「集中力」には、やさしさがない。

なんでも、回り道よりも、近道を選んだり、
「コスパ」という名のもとで、1円でも安いものを選んだり、
窮屈な世の中になっている。

でも、ちょっとしたよそ見や、回り道、
少し高くても知ってる店や生産者から買う。
そこには、優しさが満ち溢れているように思う。

ノイズを排除する。
この考え方を、いまの政治は踏襲している。
路上生活者も、難民も、政府にとってはノイズと思ってはいないだろうか。

主流とは異なる少数派をノイズとして排除したり、無視したりせずに、
その小さなおと、こえまでも愛することができる社会を創りたい。

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