君のチャネルが開くとき

 朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
 笑顔で3回言う。
 3回も繰り返せばニュース番組内で30秒くらいは日本語が流れ「公益性」が担保されたことになる。

 タケオ少年の朝はこうして始まる。テレビのスイッチはいつも父が入れる。母が朝食をテーブルに並べ、タケオは三人のコップに茶を注ぐ。薄い黄色のカーテンから差し込む朝日が親子を白く照らす。
 世界終了までの刻限を告げられた後は英語、中国語、フィリピン語、ベトナム語でその日のニュースが読み上げられる。タケオはほとんど聞き取れない音声を聞き流しながら米を噛む。小学校のことは考えないようにしていた。考えるとついため息がでるからだ。そしてため息をつくと父の眉間のしわが深くなるからだった。
 父は半ば目を閉じてニュースに集中しながら朝食をすごい勢いで口の中に流し込む。職場の外国語に必死についていくことだけが生計を立てる道だということを悟っていた。それ以外の手技ならなんとでもなる。「安くて器用」が日本人の売りだ。
 母は物憂げに固くなった目玉焼きを箸でつついている。ほとんど食べずに父が家を出た後に捨てていた。
 それでも父が何か言い、母が笑ってこの世界が、朝が変わるんじゃないかと希望を込めて、タケオは半目の父を眺め続ける。隣の母も父の一言を待っているのではないか。頭を垂れているのは元気じゃないからでなく、そうなることを祈っているからではないか。
 父は立ち上がり、タケオの頭をなで、行ってきますと声をかけてから玄関に向かう。母が玄関まで見送りに行く。そこで二人だけでなにがしかの言葉を交わしているのが途切れ途切れに聞こえてくる。

 タケオも登校の準備をする。紙のノートがぱんぱんに詰まったリュックが肩に食い込む。他の子はタブレット1枚で済むところ、タケオ少年の家ではインターネットが禁じられているゆえチップ搭載の電子機器の類いは父の職場用スマートフォン以外には1つもなかった。行ってきますと叫んで外に飛び出した。
 通りでは全体的に浅黒い少年少女たちがきらきらとした声をあげて学校に向かって楽しげに登校している。タケオは一人うつむいて、トボトボとその群れにまざった。

 人口の9割以上が外国からの出稼ぎ労働者とその家族で構成され、文化的に日本語放送難視聴域と化したこの町が小学五年生タケオ少年の世界の全てだった(インターネットもないし)。

 赤茶色の屋根の一軒家が建っている通りでタケオは足を止めた。よどみない丁寧な日本語が聞こえる。本物の日本語のニュースだ。この町で観れるテレビの日本語は朝のニュースの「世界の終わり」コールしか存在しないはずなのに。
「……関東地方は、各地とも晴れています……各地の天気です……」
 庭の奥のそのまた奥、網戸になった窓の薄暗がりに青くまたたくスマートスピーカーの光輪が見える。この家ではインターネットが使えるのだ!タケオは毎朝この家の前で足を止めてしまう。
 その家の反対側の方向を見やれば遠くに電波塔が霞んで見える。タケオ少年は知らないが、もっと近寄ってみれば破壊されたNHK関連の送信機器がワイヤーにくくられて奇妙な風鈴よろしく塔から吊られて揺れているのが視認できるはずだ。この町の大部分を占める海外からの出稼ぎ労働者たちの、NHKへの意思表明である。
「なに聞いてんだい?」
 鼻にかかったしわがれた声が背後からしてタケオは飛び上がった。
 恐る恐る振り返ると、刈り上げ頭のつり目の少年が笑いをこらえて立っていた。
「トヨキ!」
 タケオが顔を赤くするとトヨキが鼻をつまんで先ほどのガラガラ声、この家に住んでいる婆さんそっくりの声を出してまたふざけた。
「びびったのかい?タケちゃん?」
 タケオが両手を振り回して飛びかかるとトヨキは声を上げて笑いながら走り出した。タケオもつられて笑いながら追いかける。

 教室のドアの前で二人は途方に暮れていた。ドアにはマイクとスピーカーが内蔵されており、ロックがかかっているときは話しかけないと開いてくれないのだ。小学生向けにチューニングされた異様に元気な機械音声が廊下に響き渡る。既に始業のチャイムが鳴っており、廊下にはタケオとトヨキしかいない。
<ヒンディー コ イト ナリニ>
「あー……グッモーニン?你早?……マガンダン ウマーガ?」
<ヒンディー コ イト ナリニ>
 フィリピンの奴らのタガログ語である。多分。
 タケオもトヨキもまだタガログ語の発音がうまくできないのでシステムが認識してくれない。誰かが教室システムの多言語設定をいじって日本語を外してしまったのだ。情報の授業の一環で、高学年になるとコンフィグの一部をいじれるようになっていた。
 ドアにはめ込まれたすりガラス越しに生徒たちが立ち上がってドアの様子を見守っているのが分かる。こらえきれないといった風の吹き出し笑いが聞こえてきた。
 目尻に涙がにじむのを感じながら、声が震えないように我慢しながらタケオはもう一度繰り返す。
「マガンダン ウマーガ」
<……ヒンディー コ イト ナリニ>
 スピーカーが無慈悲に、おそらくタケオが何を言っているのか聞き取れなかったと返事する。そして教室からどっと笑い声。
 トヨキが顔を真っ赤にしてドアを叩き始めた。
 ドアの青いライトが赤く点滅しはじめ、スピーカーからきつめの口調で注意らしき言葉が流れるが無視する。タケオもドアを蹴りつけた。
 ドアが開いた。
 艶がかった黒い巻き髪をオールバック風にまとめた中年男、アイヴァン先生がひげをぼりぼりかきながら二人を見下ろす。
「先生、ドアが日本語を認識しないです」
 先生が首を振り、ため息をつく。
「みんなで色んな国の言葉を話せるようになろうって、前に決めたでしょ」
 この前クラスで色んな国の言葉を話せるようになろうと目標を決めたことはタケオもトヨキも覚えている。でもそれと言語設定から日本語を外すことは関係ない。クラスでタケオとトヨキだけがタガログ語をうまく話せないことを笑うこととは関係ない。
 そしてなにより、アイヴァン先生は教室の中にいて二人が笑われていたのを黙って見ていたのだ。それはその「目標」とどんな関係があるのか?
 そんなようなことをタケオはアイヴァン先生に言ってやりたかったが小学五年生の頭と舌では言葉はまとまらず、恥ずかしいやら悔しいやらでとうとう我慢していた涙が流れ始めた。潰れっ鼻でどんぐり眼、おかっぱ頭のタケオ少年が泣き出すと残念なことに、いささか滑稽に見える。アイヴァン先生の背後でことの成り行きを見守っていた男子の一人があからさまに指をさして笑った。
 それを見たトヨキがアイヴァン先生を無言で押しのけて教室に駆け込み、笑った男子の横っ面を思い切りビンタした。
 教室のみんなが起立して、一時間目が始まる。着席するやつは、いない。
 アイヴァン先生が何か叫び、その言葉を解せる生徒たちが凍りつく。言葉が分からないので一向に気にならないトヨキは固まった生徒に攻撃を続行する。タケオもノートで膨らんだカバン・ハンマーを棒立ちになった生徒の顔面に叩きつけて「授業」に参戦した。

 放課後の職員室で額に汗を浮かべたアイヴァン先生が二人に向かって「この世界には色んな人がいて、君たちも変わる必要があるんだよ」と断言する。閉じているのは学年でたった二人だけの日本人、タケオとトヨキであり、変化する必要があるのはいつでも二人の方なのだ。
 この世界とは何か?色んな人とは何か?先生はテレビで日本語のニュースや番組が流れるようにしてくれるわけでも、タケオの家にインターネットを持ってきてくれるわけでもない。ついでにいうと、トヨキの家でもインターネットは禁止されていた。
 そして図書室にある日本語の本はぼろぼろになった「はだしのゲン」と「三国志」だけで、二人の頭の中ではいつもゲンやら関羽やらが大暴れしていた。
 先生は片言の日本語で説教を続け、二人は神妙な顔でうなだれるが目だけはらんらんと光っている。ギギギ……というやつだ。
 普段使わない日本語に疲れたアイヴァン先生はこのまま六年生になったら大変なことになると汗をぬぐって締めくくり、先に教室に戻ってろと二人を職員室から追い出した。
 二人しかいない教室で黙々と帰り支度をする。
「今日どうする?」「うーん」
 今流行のゲームもおもちゃもインターネットを使う前提のもので、当然二人は持ってない。親のお下がりのインターネットを使わないゲーム機は古すぎてとっくの昔に壊れていた。
 もう二人だけのキャッチボールや近所を自転車で走り回ることには飽きていた。
 タケオはふとトヨキが一点を凝視していることに気がついた。視線の先はアイヴァン先生の教卓である。
 先生のタブレットが置いてあった。
 タケオとトヨキの目が合う。言いたいことはすぐに伝わった。
 一瞬だけ教室のドアに目をやってから、二人は教卓に駆け寄った。真っ黒なスクリーンにタケオがつつっと指を走らせるとログイン画面をすっ飛ばしてホームウィンドウが表示された。やっぱり。授業中のアイヴァン先生のタブレットの扱いを見ていてもしやと思っていたが、やっぱりだ。タブレットを急いでカバンにしまいこみ、そのまま慌てて教室を飛び出した。
 まだ日が高い。今日は何して遊ぼうか?

 さすがのタケオとトヨキもタブレットはインターネットにつなげないとただの板だということは学校の授業で理解していた。
 学校以外でインターネットがあるところいえば、二人が知っている限りでは通学路の赤茶色の屋根の家しかない。
 二人はそろそろと件の家の門を開け、背の高い雑草が生い茂った庭に忍び込んだ。目指すはいつもニュースが聞こえてくるあの窓だ。
 この家に住んでいる老婆が日本人で、インターネットを持っていて、そして他の地元の大人達から距離を置かれていることはタケオとトヨキもなんとなく知っていた。数少ない日本人の年上の子どもたち(今はもう中学校に上がり、声をかけるのもはばかられるほど変貌してしまった)からの口伝で、その老婆のことを「終わりのババア」と呼んでいた。由来は知らない。
 ぶつぶつの団子っ鼻に大きな口、細い線みたいだがその奥でぬらぬら光ってる瞳。その老婆にはたしかに異様な迫力があった。それが由来不詳の「終わりのババア」なるあだ名に根拠不明の説得力を与えていた。
 ここらへんに住む日本人小学生なら何かしら一つや二つ、終わりのババアとの心温まるエピソードを記憶に刻んでるはずだ。インターネットが家にないタケオとトヨキに限っては特にババアとの思い出を現在進行形で量産していた。街灯に群がる蛾のごとく、二人は日本語のニュースや番組の音を求めてしょっちゅうババアの家の庭先でたむろしてババアに怒鳴られていた。
 とはいえここまで終わりのババアの家に近接したことはなかった。タケオとトヨキはじっとり汗ばんだ肩をくっつけあって窓のひさしが作る影の中にしゃがみこんだ。頭をちょっとかしげればそこに網戸がある。家の中の重たい空気の気配が感じられた。

 タケオはタブレットを起動させ、頭上の窓に向かって両手でかかげてトヨキにうなずいてみせる。
 トヨキは深呼吸してから鼻をつまんで、ゆっくりと窓に向かってババアの声音で話しかけた。
「ヘイ、シリ、WiFiのパスワード」
 窓からはよどみなく日本語の番組音声が流れ続ける。「そんなことってあるん?」という男の声とわざとらしい笑い声。
 トヨキが二つ目の呪文を投げる。
「アレクサ、WiFiのパスワード」
 番組音声が途切れて一瞬周囲に沈黙がおりる。
「ごめんなさい、ちょっと分かりませんでした」
 システムの合成音声が窓の奥からなめらかな答えが返ってきた。
 トヨキがどうするんだよとタケオをつっつく。
 タケオはしばし考えて、次の呪文を小声でトヨキに伝える。
 よっしゃとうなずき、トヨキはまた鼻をつまんで、今度は目を細めて顔までババアを模して家の中のシステムに呼びかけた。
「アレクサ、インターネット接続」
「すいません、どの端末ですか?」
 きたきた。これだ。
 タケオはトヨキのまえにタブレットをかかげて機種名をよく見えるようにした。
「IVAN01」
 また沈黙。二人してタブレットをのぞきこんでインターネット接続アイコンの表示を見つめる。祈るようにタブレットは窓に向かって再び高くかかげられる。
「接続しました」
 タブレットのアイコンもほぼ同時に三本縦線のインターネット接続済み表示に変化した。
 二人で顔を見合わせて声を出さないようにして笑った。

 ここまでうまくいったのに。
 タケオの指はタブレットのうえでふらふら迷う。トヨキは目をまん丸に見開いて眺めているだけで手を出せない。
 二人とも授業中に学校が貸し出すオンボロ端末で勉強アプリしかいじったことがなかったのでどこから日本語のニュースやドラマを観ればいいのか確信がもてない。検索ボックスに「日本語 ニュース」と入力すると画面中にニュース動画のリンクが無限に羅列され、いくらスクロールしてもそれらが尽きる様子はない。圧倒的な情報量にタケオとトヨキはいささか困惑していた。しばらく画面を指ではじいて文字列が滝のように流れ続けるのを眺めていたが、意を決して1つのリンクをクリックしてみる。
 再生フレームの中で日本人のニュースキャスターが世界の終わりのカウントダウン以外の言葉をしゃべり始めた。
 はじめ二人は画面にのめり込むようにしてニュースに見入っていたが、すぐに顔を離してバックボタンをタップした。
 日本人の若者が老人夫妻を相手に路上強盗に及んでいる話、与党の政治家たちの半数以上が母国を日本としていないことに憤る野党の政治家、京都で過激保守派のテロが……。日本が、日本が、日本人が……。
 タケオが想像するニュースとは、すくなくとも学校の社会の授業で聞く分には、たとえば大昔の製鉄所の設備を利用して設立された培養肉・再生臓器バンクの包括事業が活況で、とうとう<京葉メタルミート>というブランド名で往事の賑やかさを取り戻しつつあるとか、世界的に有名な建築家たちが京都の崩れかけた寺院をカーボンフリーでサステナブルな教会やモスクにリフォームして国際的にも多文化都市としての名声を確たるものにしたとか、そういった類いの、明るいの物語だ。
 そういった話を日本語で、日本人から聞いてみたかった。
 再びリンクの羅列を泳ぐが、どれがいいのか分からない。
「なんかドラマとかアニメとか」
 トヨキが脇から小声で注文するが、言ってる本人もじゃあどうすれば自分が求めるものを探し当てることができるのか分からないのでなんとも自信なさげな小声である。
 そうして二人して顔を押しつけ合って夢中で画面を凝視していたので、網戸の奥の暗がりからごつごつした鼻が浮かび上がったことに気づかなかった。
「なにしてんだ!」
 終わりのババアがうなるような声で二人を威嚇する。
 びっくりしたタケオは尻餅をついて、タブレットを盾のように身構えた。

「なにしてんだって聞いてるんだよ!」
 終わりのババアが網戸を開けて身を乗り出す。はい、終わりです。
「いつもと違う番組に変わってると思って見に来たら……」
 窓辺のスピーカーは察しよく自分が流していたネットラジオを止めて、二人の番組視聴のために沈黙していた。私お利口でしょうとばかりに青いライトが点滅する。なんという余計なお世話な行動類推エンジン。それに気づいたタケオは手を伸ばしてスピーカーをぶん投げてやりたい衝動にかられた。おどりゃクソ森!
 ババアはタブレットを見やってガキどもが何をしてるのか察しがついたようだった。老婆とは思えない機敏さで手を伸ばしタケオからタブレットを奪い取った。
 トヨキが返せとばかりに老婆の腕に飛びかかったがひょいと躱されてしまう。不気味な笑みを浮かべてタブレットをタップした。
「何を見てたんだ?どうせくだらないもんだろが」
 そこで沈黙し、ババアは指を上下させてタブレットをスクロールする。少ししてから顔を上げ、クソガキ二人を不思議そうに眺めた。
「ニュースなんか見てどうするつもりだった?」
「俺らの家、インターネットないから」
 終わりのババアはあきれたように鼻をならし、じゃあ家でテレビだけかと哀れんだ。

「で、日本語のニュースはどうだった?」
 タケオは首をかしげてよく分からなかったとジェスチャーした。トヨキはもっと率直に、そして不満げにつまんなかったとつぶやいた。
 そりゃそうだろうとババアは口をへの字に曲げてむっつりした。
 だからドラマかアニメが観たいんだ(あんたに分かるはずもなかろうからタブレットをは返せ)とトヨキが手を差し出すと、ババアはその手をぴしゃりと叩いて、そりゃ毎日にここに通うってことかと二人をにらみつけた。
 震え上がった子どもらを尻目にババアはタブレットをスイスイと操作して1つのサイトを表示させた。
「映画だ、映画がいい」
 ババアはそう言ってタケオにタブレットを返してやった。
 二人が画面をのぞきこむと、どこか寂しいピアノの旋律とともに映画が始まった……。音楽は窓際のスピーカーから流れている。すぐそばに椅子でも置いてあるらしく、ババアは窓枠にもたれかかりつつ身を落とした。映画の音だけ聞くつもりらしい。
 タブレットを受け取ってすぐに逃げ出そうかと考えていたタケオは気勢をそがれて、ぺたんと地面にあぐらをかいた。

 この「太陽を盗んだ男」という映画は多分すごく昔の話じゃないかとタケオは思った。妙にテカテカした美男の日本人が学校の先生を演じている。
 ああ、日本人の先生が学校にいたらどんなに心強いだろうとタケオは思ったが、そんなタケオの思いを逆なでするようにその男はちゃらんぽらん、てきとうに教師の仕事をやっている。自分の教室の生徒たち(全員日本人!)にバカにされてもおかまいなしだ。でもバカにしてる生徒たちは本当は先生のことを慕っているように見える……。
 そんな明るくてやさしそうな世界で、その男は、家でコソコソと原子爆弾を作り始めたのだ。
 世界観はいまいち分からないが「はだしのゲン」を読み込んでいたおかげで原爆のインパクトだけは理解できた。
 タケオはのめり込んでいった。

 猫が死んだシーンは唐突だったのでびっくりしたが思わず声をあげて笑ってしまった。そりゃ死ぬよね。ゲンを読めば分かる。
 三国志も履修済みだったので刑事が銃で何回撃たれてもしぶとく動き続けるシーンは納得感があった。矢が何本当たっても首が吹っ飛ぶまでは動き続けるものなのだ。
 とはいえ奇妙な雰囲気の話だった。何がしたいんだと刑事も怒鳴っていたが、タケオにもいまいちどうなるのか分からなかった。男が次に何をしでかすのかワクワクさせられた。
 ドキっと胸が痛んだのは刑事を殺した後に原子爆弾を片手にふらふらと街をさまよう男が涙をこぼすシーンだった。そしてそのシーンから唐突に画面が暗転して映画は終わってしまった。原爆はどうなったのか。

 庭の土の湿り気があぐらをかいたタケオの尻をぐっしょりと濡らしていた。トヨキと顔を見合わせた。変な顔だった。
「どうだった?」
 頭上からババアの声が振ってきて飛び上がった。いることを忘れていた。
「よく分かんなかった」
 トヨキの素直な感想をババアは鼻を鳴らして笑い飛ばした。
「もし原爆があったらこの町を吹っ飛ばして終わらせたいかい?」
 タケオとトヨキは二人して首を振った。タケオは老婆が「終わりのババア」であることを思い出した。
 ババアは遠くの電波塔を指さした。
「あれが壊されてなきゃNHKが観れた。NHKが何かは知ってるよね?」
 また首を振る。ババアがため息をついた。
「NHKがありゃインターネットがなくても日本語のニュースもアニメも、映画だって観れるし、勉強の番組だってあるんだよ」
 初耳の情報にタケオもトヨキも何も言えなかった。
「それにインターネットがないって?あんたらの父さん母さんや、ここらの日本人の大人はあんたらが生まれる前はインターネットばっかりやってたよ。テレビなんてこれっぽっちも観ずにね」
 タケオはなんで自分の家にインターネットがないのかと尋ねたときの母の顔を思いだした。
「インターネットは悪い情報が多くてよくないって」
 トヨキが戸惑った、そして少し怒った調子でババアに言い返した。
「自分たちの都合のいい情報ばっかり集めて足下を見なかっただけよ。あたしからすりゃ自業自得だね」
 大人げなくババアも怒り調子で続ける。
「ローカル局じゃ外国語の放送を増やせって地元のクレームが日に日に増えていってね、そりゃ増えたさ。そんで日本語の番組は消えてった。そこのイオンと同じだよ。モールの日本語が消えりゃローカルテレビの日本語も消えるもんなんだよ。モールで気づきゃ変わってたかもしれないのに。あんたらの親たちはインターネットで人気を取るために面白がって写真をとるだけだった」
 よく分からないが、なぜタケオ達が怒られなければならないのか。そんな不満が表情に出ていたのだろうか、なんだいその顔はとババアは毒づき、線のように細い目をカッと見開いて窓から身を乗り出してきた。タケオとトヨキはびっくりして、そして笑いをこらえるのに必死になって不満な感情はどこかに消えた。
「朝のテレビで『世界の終わりまであと七日になりました』って繰り返すだろう?ありゃ私が考えたんだよ!とうとうローカルニュース枠から日本語を外すって案が局内で出て、ニュース文を作ってた私がその案の試験期間にあの台詞をねじ込んで警告したんだ!意味がなかったうえになぜかそのまま残ってるけどね!ディレクターの中国野郎は嫌なやつだったけど私が言いたかったことはよく理解してくれたよ。きっと残したのはそいつだわ。いかにも中国人らしい嫌がらせだよ……。そのあと局を辞めてからも色々と活動したけどね。肝心の地元の連中がね……あんたらの親のことだよ!あいつらがインターネットがあれば十分ってろくに協力しなかった。で、くその役にも立たない外の世界の情報ばっか眺めてるうちに自分の町のことが何にも分からなくなっちゃったのさ!」
 大きく息をついてババアはガキ二人を眺めた。
「それで今度は手のひら返してインターネットを悪者にしてあんた達がとばっちりを食ってるわけだ。インターネットがないから世界がない、NHKがないから日本もない、ローカルテレビはあるけど言葉が違うから頼みの綱の地元ともつながれない」
 終わってるだろう、この町は。そうババアは締めくくり、乗り出した身体をひっこめた。
「で、どうする?もし原子爆弾があったら?この町を吹っ飛ばすかい?」

 次の日の朝。
 さえない朝日が食卓を灰色に照らす。
 母が食器を並べ、タケオはコップにお茶を注ぐ。
 父がテレビのスイッチを入れた。
「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」
 タケオは母の顔を見る。両手は箸の前にちょこんと置かれたまま動かない。インターネットがあると勉強の妨げになるとタケオに言い、自分はテレビを観るわけでもなく、本を読むわけでもなく、なぜか悲しげな顔をしている。
「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」
 タケオは父の顔を見る。ホンモノのニュース聞き取りに備えて目を半分閉じている。インターネットなんかダメだ、テレビを観れば必要なことは全て分かるとタケオに強く言い聞かせた父。必死につながっている。必死に閉じている。
「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」
 タケオの頭の中ではあの秒針が音を立てている。もうため息なんてついているヒマはない。学校のことなんて考えてる時間はない。
 結局あの男は原子爆弾をどうしたのか?もし自分が原子爆弾を持っていたらどうするのか?
 タケオはとっくに答えを出してる。
 今日も終わりのババアのところに行って映画を観るつもりだ。
 できればまた、世界が終わる映画が観たい。

<おしまい>

~*~*~*~*~
第1回さなコンに提出し、その後Pixivセクハラ事件に抗議するために削除していた作品です。最終選考までいった気がするんだけどソースが見つからん。

二次に通ったってことは…つまり何なんだ???最終選考は?幻覚だったのか???

世界はもっともっと良くできる。ギギギ……!


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