見出し画像

グレッグ・ウェルチ

フィニッシュまであと数百メートル。世界トライアスロンシリーズ横浜大会の会場 MC の声が、フィニッシュする選手を順に讃えているのが聞こえる。MCは私が通っているトライアスロンスクールを主宰している、松山アヤトの声だ。

スイムのスタートの直前、何人かのMCのかけあいで、会場を盛り上げていた。そのうちのひとりはオーストラリア訛りで、トライアスロンの細かいことを一般の人にも分かりやすく、トライアスリートも満足する内容で、軽やかに淀みなく話していた。私はグレッグ・ウェルチの声だと気づいた。

ウェルチは、1990年代に活躍したトライアスリートだ。170cm弱の小柄な体型だけれど、スイムが安定し、ランが得意な強豪だった。ショートでもロングでも速く、世界一位になっている。1994年にアイアンマン・ワールド・チャンピオンシップで、非アメリカ人で初めて優勝している。私はこのレースのDVDを何度も見ている。少なくとも四半期に一度は。そして毎回彼のフィニッシュで涙する。

私はランニングコースの最後の折り返しにさしかかった。山下公園の中に柵を並べて、ランコースが作られている。1日前はエリートレース、この日は一般レースだけれど、おそらくは World Triathlon Series のレースという名前の強さで山下公園を封鎖している。アスリートの知り合いだけでなく、たまたま散歩に来た人もいて、おそらくはちょっと迷惑に思いつつも、フィニッシュ前では声援を送ってくれる。

1992年のアイアンマン・ワールド・チャンピオンシップで、ウェルチは飛ばしすぎてランの途中で脱水になりリタイヤした。1993年は直前の交通事故により不参加。そして1994年、満を持して参加したのだ。Gong fast is no problem for Greg Welch, but he must be patient to win this race. と言われていた。ウェルチはスイムをいいところで上がり、バイクでは先頭グループで終わった。ランでは、いきなりではなく、じわじわと順位を上げ、最後の半分は独走状態になった。ウェルチは、いつも優勝するときそうするように、両腕を挙げてY字になり、胴体の正面を少し斜め前に向けてジャンプし、舌を出してフィニッシュした。「ずっとこのレースに勝ちたかったんだ」と感極まって、少し涙声でインタビューを始めた。

当時、最強と言われていたマーク・アレンが出場していなかったけれど、ウェルチは1994年のアイアンマンで勝ったのだ。出場しないことで、優勝する確率をゼロにしたのはマーク・アレンの選択だ。今も昔も、ウェルチは私のヒーローである。ひとこと挨拶をしたい、お目にかかれたことが光栄です、と伝えたいと強く思った。

両腕を挙げて、Y字になり、胴体をすこし斜め前方を向ける。膝の痛みを少し我慢してジャンプし、舌を出す。

「ジャンプでフィニッシュです!まるでグレッグみたいですね! 」MCは気づいてくれたようだ。歩み寄ってきて続ける。「でもグレッグ、いま、ご飯食べに行ってるんですよ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?