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第33講UNISON SQUARE GARDEN『シュガーソングとビターステップ』考察~南南西に隠されたお宝を突き止める~

アップテンポでライブの定番曲のようなナンバーは、しばしば「盛り上げ曲」として認知されがちです。
ポルノグラフィティの『ハネウマライダー』あたりは個人的にはその一つ。
しかし、そういう曲こそ丁寧に書き込んでみると新たな発見があることも少なくありません。
そんな観点から本日触れたいのが、UNISON SQUARE GARDENの「シュガーソングとビターステップ」です。
この曲はパッと聴くと語感重視に聞こえますが、歌詞を読み込んでいくと、しっかり深い意味が存在します。
今回は正面から言葉を追いかけてみようと思います。
 

感情に素直になれない現代人を殴る


 
〈超天変地異みたいな狂騒にも慣れて こんな日常を平和と見間違う〉
Aメロの出だしは「激動の毎日が当然と思ってしまう」というような意味だと直接的に受け止めればよいでしょう。
僕たちは日々さまざまな出来事に出会ってさまざまな刺激を受けているのに、いつしかその刺激が当たり前になって、当然のものとして受け入れてしまっている。
ここには、刺激が当然になって感情がなびかない僕たちの現状がかかれます。
 
〈Rambling coaster 揺さぶられながら 見失えないものは何だ?〉
「Rambling coaster」は「とりとめもないソリ(のりもの)」くらいの意味だと思いますが、こちらは退屈な毎日くらいの感覚です。
Aメロの前半では刺激に慣れてしまって感情が動かなくなった現代人を描くのに対し、後半では退屈さに慣れきった姿が描かれます。
そんな生活の中でも自分の感覚を大事にしようというのが「見失えないものは何だ?」という部分。
 
2回目のAメロはこんな風に続きます。
〈平等性原理主義の概念に飲まれて 心までがまるでエトセトラ〉
原理主義は「○○が絶対」といった考え方のこと。
ここでの「平等性原理主義」は「平等であることが何より大事」、つまり波風立てず穏便にくらいに捉えてかまわないと思います。
そういう考えが日常になってしまい、心は上の空といった具合でしょう。
エトセトラは「その他」「いろいろ」みたいな感じですが、ここでは「Rambling」みたいな使い方でいいと思います。
〈大嫌い大好きちゃんと喋らなきゃ 人形とさして変わらないし〉
続くパートに出てくる「大嫌い大好きちゃんと喋らなきゃ」というのは「自分の感情に正直になれ」ということでしょう。
 
Aメロではここには毎日が過剰な刺激にまみれているのが当然となる一方で退屈で何も意味を見出せないような生活を送る現代の若者の生活が描かれます。
そんな現代人は出来事に対して鈍感。
もっと感情に正直になろうよ、敏感になろうよというのがAメロのメッセージです。
 
Aメロのこうしたメッセージを踏まえて、Bメロは次のように続きます。
〈宵街を行く人だかりは嬉しそうだったり寂しそうだったり コントラストが五線譜を飛び回り 歌とリズムになる〉
「嬉しそうだったり寂しそうだったり」というのは感情を露わにした状態です。
そして、その触れ幅(コントラスト)が歌になっていくと続きます。
感情の揺れが楽譜の上でメロディとなって歌になるんだ。だからもっと感情を爆発させようというメッセージとともに最高潮に盛り上がるサビへと突入します。
 
〈ママレード&シュガーソング ピーナッツ&ビターステップ〉
ここは続く〈甘くて苦くて〉の部分を引き立てる枕詞のようなものだと思います。
そしてそれはBメロに出てきた「嬉しそうだったり寂しそうだったり」という部分の感情の触れ幅でもあるわけです。
〈目が回りそう〉なくらいに感情を爆発させようというメッセージが軽快なリズムにのって届けられます。
そしてサビの後半ではこんな歌詞が。
〈南南西を目指してパーティを続けよう〉
おそらく「シュガーソングとビターステップ」でもっとも解釈が難しいのがこの部分。
僕はこの曲を聴いたとき、はじめはヒッチコックの「北北西に進路をとれ」という映画に対するオマージュであると考えていました。
「北北西に進路をとれ」はある日一般人がスパイと間違われ、急にトラブルに巻き込まれる話。
だからそれのオマージュで反対を出すことで、「自分の足で歩け」みたいなメッセージがこめられているのかなと考えていました。
でも、それならば「南南東」の方がしっくりきますし、あとに出てくる「北北東は後方へ」の意味が通りません。
そこで他にオマージュ元がないのか調べてみました。
 
ヒッチコックの「北北西に進路を取れ」はもともと英語では「North by Northwest」でした。
本来「北北西」を表すのは[north northwest]なので、この表現は少しおかしな言い回しです。
このタイトルの由来は諸説あるようですが、今回の歌詞考察から離れてしまうのでまあおいておくとして、注目したいのは「North by Northwest」という映画のタイトルになぞらえた「South by Southwest」という映画や音楽の祭典があるということです。
この音楽祭は業界向けのインディーズに眠るマニアックな才能の発掘の場のような意味合いもあるらしく、まさに「シュガーソングとビターステップ」のモチーフに重なります。
つまり「南南西を目指してパーティを続けよう」というのは、「South by Southwest」に出てくるような感情に語りかける音楽で盛り上がろうというメッセージではないか?というのが僕の解釈です。
上記のように解釈すると、〈世界中を驚かせてしまう夜になる I feel 上々連鎖になってリフレクト〉という部分も気分上場で盛り上がろうと素直に受け止められます。
 

商業音楽とロックミュージック


 
〈蓋然性合理主義の正論に揉まれて 僕らの音楽は道具に成り下がる?〉
「蓋然性」は「物事が成立する見込みが立つ/知識に整合性が取れている」といったような意味の言葉です。
それに基づく「合理主義」ということなので、無駄を排し、先のめどが立つ安全な道を選ぶことでしょう。
そんな「正論」に揉まれるうちに、「音楽」は「道具」に「成り下がる」というわけです。
1番から音楽が感情や衝動を源泉にするものであると考えれば、ここでいう「道具」とは人の心や熱が入っていないと捉えることができます。
では、「心や熱のない音楽」とは何でしょう。
僕はこれをタイアップや各種得点、商法で無理やり売り上げを伸ばすことが目的で作られた、ある種の商業的な音楽に対する問題提起であるように感じました。
「売れること」「大ゴケしないこと」は確かに大事だけれど、そんなことばかりを考えて音楽を作っていたら熱のこもった曲なんてできないよねという感じ。
2番はまるで自分たちの音楽作りの意思を訴えるかのように始まります。
 
〈こっちを向いてよ 背を向けないでよ それは正論にならないけど〉
正論ではないかもしれない=無駄も多いかもしれない
マーケティングのようなことを考えなければ誰の目にも留まらないかもしれない。
でも自分たちの音楽に耳を傾けてほしいというのが僕のこの部分の解釈です。
 
そしてBメロでは〈祭囃子のその後で昂ったままの人 泣き出してしまう人〉と続きます。
「祭囃子のその後」というのはハレの日が終わり、1番に出てきたような感情の振れがでないケの日常に戻るということでしょう。
そんな日常生活に周りが戻る中、感情の高ぶりをそのままにしたい人たちがいる。
そんな人たちの気持ちを受け止めたいと言って2番のサビへ。
 
著作権的に引用を減らしたいので2番のサビは省略しますが、今を楽しめというメッセージが投げられます。
 
〈Someday狂騒が息を潜めても〉〈Someday正論に意味がなくなっても〉
Cメロで「狂乱が息を潜める」と「正論に意味がなくなる」という間逆の概念が出てきます。
ここはそれぞれに呼応の副詞として「たとえ」をつけて受け止めるのが妥当かと思います。
たとえ狂乱がなりを潜める社会なっても、たとえ正論に意味がなくなる社会になっても、というのがここでの解釈で、「たとえどっちの方向に世界が向かっても」という感じで理解します。
すると、これが投げかけになってCメロの後半にアンサーが出てきます。
それが〈Feeling song &step 鳴らし続けることだけが 僕たちを僕たちたらしめる証明になる、QED〉という部分です。
「どんな社会になっても生きていく方法」、これに対する作詞者の答えは「自分の気持ちと正直に向き合え」というもの。
そうやって生きていくことだけが自分らしく生きる方法であるとまとめています。
 

証明終了。あとは何を伝えたい?


 
個人的にこの曲がおしゃれだなあと思うのは、Cメロの最後が「QED」と締められているところ。
「QED」は数学で「証明終了」という意味。
最後の大サビの前にこれを置くというのは、曲の構成的にはこの曲で伝えたいメッセージはここで終わりということを示します。
では、ここから先は何か?
それはもちろん作詞者が述べた「Feeling song &step」でしょう。
「シュガーソングとビターステップ」では、歌詞だけでなく、曲そのものの構成を通して、「感情に正直になれ」と訴えてくるわけです。
そして最後の大サビに。
 
大サビの基本は1、2番のサビに通ずるものなので大部分を割愛しますが、ひとつだけ触れたいところがあります。
それは〈北北東は後方へその距離が誇らしい〉という部分です。
1番でも少し触れましたが、〈南南西を目指して〉というのは、まだ見ぬ才能の発掘の場である「South by Souswest」というエンタメの祭典へのオマージュ。
その反対の「北北東」を、2番の歌詞を踏まえて解釈すると、「マーケティングや売れること、赤字を避けることを第一にした商業用音楽のようなもの」かなと思います。
そういったものを後方に、そこから離れることをむしろ誇りに思いたいというメッセージと受けとめられます。
 
そして〈世界中を驚かせ続けよう〉〈世界中を驚かせてしまう夜になる〉という歌詞からは売れることや計算ではなく都度都度の感情に正直に自分の直感を貫いて世界に挑もうという気持ちがあふれます。
そして〈一興去って一難去ってまた一興〉と繰り返した後、〈You got happiness phrase and melodies〉と締める。
「あなたはもう幸せのフレーズとメロディーを手に入れた」とありますが、これは1番の〈嬉しそうだったり寂しそうだったり コントラストが五線譜を飛び回り 歌とリズムになる〉に対応しているのだと思います。
「感情に正直になったとき、あなたは自分だけのフレーズもメロディーも手に入れているんだ」というメッセージが最後に添えられています。
 
こんな風に全編を通して非常に強烈に背中を押そうとしてくれる「シュガーソングとビターステップ」。
もちろん解釈は多様だと思いますが、僕はこのように受け止めました。
みなさんはこの曲をどのように受け止めますか?

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