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2023.11.23.

過去、医療機関で仕事をしていたときは、しばしば無力感に苛まれることがあった。自分よりも一回りも二回りも若い、仲の良い子どもたちが亡くなっていくそのときどきで、自分にできることは何だろう、何もないのだろうか、医療者でもなく、家族でもない、この自分に。という内なる問いかけに、追い詰められ続けた。

直接言われはしないが、しかし『こどもホスピス立ち上げのためのファンドレイザーのヘッドハンティング』という転職の経緯からも「あなたは”できる人”なんでしょ」という目線が強く(しかしそれも自意識過剰で独り善がりな思い込みだった)、同僚や仲間に助けを求めたり頼れることはほとんどなかった。そして、自分に”できない”こと、したかった、すべきであったのに”できなかった”ことばかりが胸の奥に降り積もって、まるで人生の宿題であるかのように僕の頭の片隅に憑いて離れない呪いになっていった。

そうこうしているうちに、周囲の身近な人への配慮や他者の心情に思慮を欠くことが増え、追い打ちをかけるようにして「もう仕事のことしか考えられない」と自ら身内に言い放ち、プライヴェートの破綻と共に仕事自体にも破綻をきたすようになり。最終的には、逃げるようにしてその職場を首になった。振り返ってみれば、自滅、というフレーズがしっくりくる人生だ。

その後、その反動のように「自分に”できる”こと」を貪るようにして、さほど自分のしたいことを追求せず、求められるがままこれまでの数年キャリアを続けてきた。

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「国内の次世代のために、何かがしたい」という動機付けはあった。

学生時代、大学院のあった御茶ノ水の橋で高校生がユニセフらしき団体の募金活動をしている中、隣にホームレス状態の方がぼぅっと見ている――という光景が目に入った。この情景は「歪んでいる」と思った。ホームレス状態になったその人だって、好き好んでそうなった訳ではなかろう。そう思っていろんな本やニュースを読んでいる内に、こどもの貧困というワードに出遭った。

その後入会したNPOで児童養護施設の施設長のお話を聞いたとき、「こういう風に、他人の人生のために生きる仕事があったのか」という驚きと、「自分にはできない」という諦めが重なり、「こういう人(社会的弱者のために働く専門職の人々)のための仕事がしたい」と漠然と思うようになる。それが、ファンドレイザーになるきっかけだった。そうして、社会課題というものと自分なりに向き合うようになる。

しかし、社会課題とはもぐら叩きのようなもので、解決したと思った先では新たな問題が起きていたりもする。特に、一定の生存権の成立する日本では解決は単純なものではなく、個人の抱える問題が複雑なものになりやすく、一度良くなったと思ってもまた後戻り…ということも少なくない。究極的には、支援した先の人の人生が平穏無事に終わることがゴールであり、そこまで見て初めて社会課題解決は満たされうるのではないか。そう思うと、社会課題解決のスピードが上がるということよりも、当事者(受益者・碑益者)のための人の数(関係人口)が増えることの方が重要ではないだろうか、と考えるようにもなった。

社会課題解決のスピードを上げようとすると、その動きはしばしば先鋭化し分断と断然を作る。「当事者かどうか」「専門家かどうか」「歴が長いかどうか」「賛成派か反対派か」「共感できるかどうか」など。人々を断片化するには数多くの切り口が存在する。こうした罠に自ら入っていくことで、無駄な心労は増えてしまうだろう。

そうではなく、僕は関係人口を目標にしたいと思うようになった。それは、友人でも知り合いでも何でもよく、ただそばにいる、なにかあったときに声掛けをすることができる、何となく気にしている人が大勢いる、そのような関係値のつながりの総量である。専門用語だとソーシャルキャピタルとでもいうのだろうか。

医療機関で医療的ケア児や重度心身障害児のこどもたちともふれあってきて、「こういう子たちにも、見ず知らずの誰かから感謝されるようなことがあっていい」と思った。寄付はインテリたちだけのものではない。ふとしたきっかけで、期せずして他者に貢献をしている人がもっといていいと思う。なんてことのないきっかけで、互いを支え合う繋がりができていいと思う。

社会課題の根本にある悪とは、個人の孤独、組織や国家の孤立であると考える。そう思えば、政治も外交も、似たような孤独や孤立の構造を持っている。たとえ解決しなくとも、「そこにいること」を続けられるような仕組みがあるべきではないか。そう思って、仕事を続けてきた。

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今の仕事を退職しようか迷っていた。なにも自ら”したい”ことがなかったからだ。「自分に”できる”こと」を増やすことだけにしか、したいことを見出せずにいた。大きくなっていく会社のなかで、組織の歯車になろうと努力してきただけのように思う。無論、「ここの歯車になりたい」と思えるような組織であることは事実な訳で、その点において僕はとても恵まれているのだと思う。

いつか、自分自身という歯車を自らの手で回せるようになりたいと思う。

ある亡くなったお子さんのお父様に「たくさんの楽しい思い出を、有り難うございました」と霊安室前で言われたことがあった。僕は自分に”できる”こと、"できなかった"ことばかりに目を向けていたが、それらは些末な話であるのかもしれない。この言葉があること自体が尊いのだ。

それぞれの喪失と共に、それぞれが生きていく。

貴重な時間のなか、拙文をお読みいただき 有り難う御座いました。戴いたサポートのお金はすべて、僕の親友の店(https://note.mu/toru0218/n/nfee56721684c)でのお食事に使います。叶えられた彼の夢が、ずっと続きますように。