見出し画像

私にとっての渡邉晋監督

自分の気持ちを整理するために書きました。個人的な思い出話について。自己満足のためのnote。

2014年、初めてベガルタ仙台の試合を観に行くためにユアスタに行きました。それまでテレビでしか見てなかった選手がそこにいると感動した記憶があります。

2016年、石巻で復興支援マッチが開催され、試合前には選手との交流イベントを楽しみました。そして初めてそこで監督と出会います。渡邉晋監督です。サッカーを見る時にボールと選手にしか目がいってなかった当時の僕でしたが、その時の監督の対応の丁寧さに、これが一サッカーチームの監督なのか、これがベガルタ仙台を背負って立つ人なのかと圧倒されました。それまで全然意識していなかった、監督という存在の大きさに気付かされたのがこの時です。

2017年。リーグ開幕前のこと。3バックに挑戦するという記事を読みました。そしてリーグ戦開幕。この年初めて年パスを買い、ウキウキでキックオフを待ちます。円陣が解かれ、配置につく選手たち。本当に後ろが3だ。システムが違う。試合が始まる。明らかに前年とは異なる試合展開。相手が昇格したばかりの札幌とはいえ、やはり仙台は何かが変わっている。バックパスをする選手。その度に聞こえる周囲のため息、怒号。いや、ボールを持っている。ならわざわざ急いでボールを離す必要なんてない。戦術なんて何も知らないけど、なんとなくの自分の中のサッカー観が姿を表します。

何が違う。なぜ自分はこれを正しいと思えるのか、なぜ周りが難色を示すのか。不思議でなりません。その時に出会ったのが、当時web版のサッカーダイジェストで連載されていた、渡邉晋監督本人によるコラム「日晋月歩」でした。監督の頭の中を覗くような気分で、何が正解なのかを知りたい探究心から何度も何度も読み返しました。ここを狙いにしていて、そこを突きたいならまずはこの選手がこう動いて、こう相手を動かして…こういう視点があるのかと毎度のように驚き、サッカーがどれだけ複雑か、またその複雑さ故にそれがどれほど面白いスポーツなのかということにも気づかされました。サッカーを考えることがこれほどまでに面白いことなのかと。

夏に行われたセレッソ大阪、ガンバ大阪との試合、ホーム2連戦。この2試合はその気づき、考えをさらに深めるゲームとなりました。カウンターを食らっても、セットプレーで失点しても、ベガルタ仙台はボールを持ち、立ち位置を取って、相手を動かすことに挑み続ける。計7失点しましたが、強い意志をチームからは感じました。これで良いチームになっていくんだ。強くなっていくんだと。また、渡邉晋監督がどんな道を歩もうともついていこうと。

たしか夏場を過ぎた頃。5レーンという言葉を初め、その時の僕の中の言葉で言うところのサッカーの戦術用語が巷で発されるようになりました。自分でもそれについて調べます。中学からサッカーをやってた自分が無意識でやってた動きがどんどん言語化されていることに気づきます。下手だったので、身体はついていかなかったけど。戦術用語がどんどん世に出て行くことで、そしてベガルタ仙台が、渡邉晋監督がそのような考えに沿ってサッカーを表現していることで、自分の中のサッカー観がどんどん肯定されていってるような気がしてとても嬉しかった。

大体同じような時期にベガルタ仙台の戦術についてのブログを書いている人がいることを知ります。これもまた読み漁りました。シーズンの暮れに。試合の狙いが事細かに書かれていて、そんな狙いがあったのか!と驚くばかり。やっぱりこういう意図を持ってやってるよなーと再確認、共感できた時もまた嬉しかった。

そんなこんなで自分の中のサッカー観が確立され始め、2018年のJリーグ開幕を迎えます。案の定、この年の初めもベガルタ仙台のするサッカーを観て心が踊りました。ありきたりな言葉で言えば。そして自分が試合を見て感じたこと、試合で起きた現象をツイートし、モーメントとしてまとめ始めたのもこの年です。

シーズン途中まで毎試合のように行い、ベガルタ仙台が、渡邉晋監督が何を表現しようとしているどんどんわかるようになっていきました。また、このモーメント作成を通じて、ブロガーの方々をはじめ色々な方とTwitterでより関わるように。こういうプレーベガルタでも出来るようになったんだね!とか板倉には海より深く反省してほしい…とか、もっと良いチームになるためにはこういう所を改善しないとね!とか、色々な意見交換をした気がします。

大きかったのは第15節、鹿島アントラーズ戦。言わずと知れた日本のサッカークラブの勝者を相手にしたこの戦い。うちが戦術で鹿島を上回り、2得点。その戦術の渦中から抜け出せない鹿島。そして勝利。勝利の瞬間、このクラブはもっと上に行ける。そう感じました。

そして迎えた2018年12月9日。天皇杯決勝。相手は浦和レッズ。戦地は彼らのホーム埼玉スタジアム2○○2。なんとしてもここで勝って、今年1年やってきたこと、いやこれまで渡邉晋監督と歩んできた道が報われてほしい。そう願いながら埼スタで全力で声援を送りました。試合内容は仙台が培ってきたものを発揮することが出来ました。嬉しくてたまりませんでした。ああだこうだ理想論を語ってきて、こういう輝かしい舞台で堂々それをやってる。いつまでもこの時間が続けばいいのにと。しかし現実は非情。その年課題とされたものをクリアすることもまた、出来ませんでした。1-0での敗戦。項垂れながらサポーター席に挨拶しに来る選手たち。悔しくてたまらない。前も向いていられない。そんな時に選手達を背中で引っ張ったのがそう渡邉晋監督でした。堅守即攻の仙台と呼ばれたこのチームをこれまで素晴らしいものへと変えた彼。逆境もあった、スタジアムでは理解しようとしない人もいた。それでもここまで来た。けれど結果は出なかった。彼が1番悔しかったはずなのです。にも関わらず、前を向いて、辛い顔を見せずに挨拶をした。その姿を見て、やはりこの人についていかなければならない、この人とまたこの場所に来なければならない、この人の努力が報われなければならない、全力の笑顔を見せてもらわないといけない。そう思わされました。

タイトルに飢えて挑んだ2019年。開幕戦、天皇杯のリベンジは引き分け。第2節、去年ボロボロにされたマリノスには負けたものの成長を感じさせられた。第3節、あーキックオフから。第4節、表現できない、去年までのしなやかさが見えてこない。第5節、勝てないまずい。解任かという噂もちらほら。そんな中で第6節ようやく勝利を収めましたが、内容的にはあまり納得はいかないもの。以後も満足いかない試合が続き、あの時戦術的に完勝した鹿島にも何もさせてもらえなかった。あの試合中、試合後もう終わってしまうのかと勝手に思って、勝手に物思いにふけっていました。

そんな矢先システムが変わり、戦い方の方向性も変わっていきます。夏場には完全に違うチームになっていました。過去2年とは。もちろん人が違うから無理はないと思うことも出来ました。しかしあの渡邉晋監督ならなんとかまた、あの輝かしいサッカーを見せてくれるのだろうとも信じていました。あの続きを見せてくれるものだと。その想い、勝手な理想とは裏腹に生きるためにはこうするしかなかったと言わんばかりに姿を変えていくチーム。ただ、勝ってAURAを歌うことで、また歌ってる姿を見て満足してる自分もいる。一サポーターに過ぎませんが、葛藤だらけの一年でした。

そしてルヴァンも敗退し、天皇杯も敗退、リーグもあの時掲げた5位以内に届かず季節は冬へ。ホーム最終戦。今季やってきたことを愚直に表現し、勝ったゲーム。DAZNで観ていて、勝利の余韻に浸っている頃、PCのモニターには試合後インタビューの受け答えをする渡邉晋監督が映ります。明らかに様子が違う。彼は今年一年の選手、現場のスタッフの頑張りを褒め称えました。また、今年一年の戦いぶりが自分にとって、チームにとって、そしてクラブにとっても不本意なものであったという趣旨の発言をしました。そしてリーグ最終節の試合後インタビュー。ここでら選手、現場のスタッフの頑張りを称え、そしてベガルタが積み上げてきたものをやりきれなくて、そこまで引き上げられなかったのは私自身というように語りました。

本当に悔しかったのだと思います。文字では表現しきれないくらい。タイトルをかけた一戦に敗れた時でさえ、こんなに悔しさを露わにしなかったのだから。一指揮官としてのプライドかもしれないし、クラブを背負って立つ者としての責任かもしれない。彼がクラブの過去を、そして将来を考えていたからこそ、このような姿を見せることになってしまったのかもしれない。クラブ内の人間でもなんでもないから、僕らはピッチで表現されるものを見てるだけだからなにもわからないけど。

歴史は積み重ねていくものだし、時計の針も自分達で進めていくものだと思う。もちろん物理的に言えば歴史は勝手に積み重なるし、時計の針も勝手に進む。ただそれは形として進んでるだけであって、そこに中身を加えるのが人がやるべきこと。つまり、ここまで過ごしてきた時間を単なる時間として、形骸化させるか、また、あの時発せられた言葉を単なる言葉として形骸化させるか、それはクラブにいるものの自由。自分のような一サポーターに残していったものがこれだけ大きいのだから、クラブに残していったものはもっと大きいはず。この時間を、経験を、意志をしっかりと未来に繋げてほしい。一年前、12月9日に観たあの景色をもう一度、今度はさらに彩りあるものとして見せてほしい。

さて僕と渡邉晋監督に話を戻す。少なくとも僕は渡邉晋という一サッカー監督から端的に言って
・サッカーを考えることの面白さ
・タイトルの重さ
・サッカーの難しさ
について学ばせていただきました。今の僕があるのは間違いなく彼の発した言葉、表現したサッカーのおかげです。また、それが僕自身と他の人とを繋ぐものにもなりました。感謝してもしきれません。

僕はこのクラブを愛するようになってからこれが初めての監督交代ということになります。これからどんな監督が交代しても僕はこんな気持ちになるのでしょうか。

またどこかで会うでしょう。敵としてかも知れない。たくさんの時間を過ごしたユアスタで愛見えるその時は、最高の拍手で、そしてあなたの指示をもかき消す声援で、雰囲気で迎えたい。

夏に練習場でお話しすることができました。自分があるのはあなたのおかげだと伝えることが出来ました。どう受け止めてもらえたのかはわかりませんが。すごく親身になって話を聞いてくれました。最初にあなたの存在の大きさを知ったあの時のように。そしてすごく褒めてくれました。めちゃくちゃ嬉しかったです。

ナベさんだったからこそ感じられたものがありました。ナベさんだったからこそ知れたことがありました。ナベさんだったからこそ見れた景色がありました。
そしてナベさんからもっと色んなことを教えてほしい。ナベさんともっと色んな景色を見たい。どんな困難でも一緒に乗り越えたい。一緒に笑って何かを勝ち取りたい。
もっと戦いたい。最高のベガルタ仙台で。

最高の監督です。尊敬してる人。

これからも応援しています。

本当にありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?