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新日本プロレス史#8【90年代後半】

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平和の祭典

藤波辰爾や長州力、闘魂三銃士らの活躍で、着実にファンを増やしていった新日本プロレスですが、アントニオ猪木という人物は、好調な時も
逆境の時でも挑戦を止めない人物でした。
その1つが「平和の祭典」です。
アントニオ猪木の師匠である力道山の故郷の
北朝鮮にて、WCWとの共催で2日間に亘って興行をおこなうというものでした。
この平和の祭典、1日目が15万人、2日目が19万人を動員しており、私の知る限りでは、プロレス
興行における観客動員数の最多記録でした。
この2日目のメインイベントが、

アントニオ猪木vsリック・フレアー

当時、この試合がワールドプロレスリングで放送されましたが、画面越しでも轟音のような、
例えようもない歓声が伝わってきたのを覚えて
います。
ただ、この平和の祭典。
北朝鮮のレートでは、興行支出を賄うことは
できず、この大会で新日本は多額の負債を抱えたと言われています。
そして、この負債が後のUインターとの全面戦争に繋がることとなります。

新日本vsUWFインター 全面戦争

さて、UWFといえば、完全決着のスポーツライクなイメージがありましたが、そこから派生したUWFインターナショナルは、リング上のイメージとは裏腹に、リング外ではマスコミを通じて、
再三、他団体への挑発を繰り返していました。
Uインターはエースの高田延彦が次々と強豪選手を倒していき、「最強」の称号を掲げていたことから、対戦相手と話題を欲していたからです。
ただし、高田本人がコメントすることはなく、
取締役の安生洋二らが発信し、その度に物議を
醸していました。

そんな中、Uインターの山崎一夫が新日本に移籍します。
Uインターは、これを引き抜きだと、新日本に
対し、抗議しました。
これが揉め事に発展し、私もこれまでの挑発行為の遺恨から団体間の訴訟になるのでは?とすら
思いました。
ところが、事態は一変、両団体の対抗戦が急遽、決定します。
両団体に共通していたのは、どちらも経営状態が良くなかったこと。
Uインターは慢性的な負債を抱えており、新日本も平和の祭典によって、負債を抱えていたから
です。
そのため、両団体の利害が一致し、急転直下で
おこなわれることとなったのが、伝説となった、1995年10月9日の東京ドーム大会です。
全8試合が、新日本勢とUインター勢の対抗戦。
まさしく団体の威信を懸けた戦いでした。
ここでは、当時、特に注目された2試合を取り上げます。

①長州力vs安生洋二

安生はとかくビッグマウスで、その度に物議を
醸しました。
特にヤバかったのが、当時、リングスにいた
前田日明への挑発で、
「200%勝てる」と豪語していました。
この時の前田の怒りも凄いものがありましたが、長州へは「210%勝てる」と挑発しました。
長州に勝てると豪語しただけでなく、前田よりも長州の方が格下と言い放った発言に、長州も返します。
「この戦いでUを消す。」
試合前から戦いが始まっていました。

一方、選手としての安生は、打撃に定評があり、
Uインターの隠れた実力者と言われていました。
他方、試合後のコメントでは、報道陣を笑わせるようなコミカルさを持ち合わせており、ビッグ
マウスながらも、どこか憎めない存在でした。

そんな中で始まったこの試合。
安生は打撃で活路を見出だそうとしますが、長州には通じず、タックルでグランドに持ち込もうとしても交わされ、結果は、ラリアットからの
サソリ固めで長州が圧勝しました✨
わずか4分程の出来事でした。
ちなみに、試合後のコメントで、報道陣から、
「長州さん、キレましたか?」の質問に、
「キレちゃいないよ。」と長州は答えました。
これが後に、「キレてないですよ」と変化して、
流行語になりました✨

②武藤敬司vs高田延彦

当日のメインイベントは、当時、IWGPヘビー級
王者にして、G1 CLIMAXも初優勝した武藤に、
Uインターの高田が挑戦するというビッグカードでした。
この2人は、高田の方が先に新日本に入団しては
いたものの、同学年の対決でした。
そんな2人の間には、お互いにしかわからない
リスペクトがあったのでしょう。
両選手の握手から、試合はスタートしました。
高田のキックに対し、掴まえてグランドに持ち
込もうとする武藤。
あくまでもキックと関節技にこだわる高田に
対し、武藤はムーンサルトを放つなど、お互いのプライドのぶつかり合いでした。
結果は、終盤に武藤が高田のキックを捕らえて
からのドラゴンスクリューがクリティカルヒットとなり、足四の字固めで武藤の勝利。
絶頂期だった武藤が、さらに輝いた瞬間でした✨

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