(要約)「デジタル・シティズンシップ」について

https://edtechzine.jp/article/detail/5620

学校現場での(特に導入初期段階における)ICT機器の使い方の「ルール」を決めるのは大人であることが多いというのが実情です。一方で、児童生徒が主体となって話し合い、互いの違いに配慮しながら良き利活用に必要な約束を考える「デジタル・シティズンシップ」という教育があります。取材を通し、児童生徒の主体的なICT活用マインドをどう育成していくのか考えたいと思います。

米国・学校ICTの「機能制限・管理主義」は失敗を経験

 日本の多くの学校では「(先生たちが考える)基本的な学習目的の範囲内での利用」のために、端末の機能や閲覧できる情報、使用できるアプリなど多岐にわたる「制限」と「管理」を行うケースが大半です。しかし、このような「管理主義」的な手法が、学校のICT活用で先行した米国で「失敗」を経験しているという事実があります。

 1998年、米国の学会が情報教育基準(NETS)と呼ばれるガイドラインを公開しました。公開後の2000年代には、携帯電話の普及に伴い児童生徒による情報機器の不適切利用や、ネットいじめなどの問題が表面化しました。学校はそれを回避するために利用規定をつくり、児童生徒とその保護者にサインさせ、統制しようとしました。

 しかし、その規定を守らなかった場合の具体的な法的手段がないこと、生徒や保護者がその規定の内容を理解せずにサインしているといった問題が表面化しました。結果としてNETSは2007年に大幅に改訂され、教師や生徒、学校の管理職が知っておくべき情報機器利用の「倫理的な」基準が明記されました。これが、デジタル・シティズンシップです。

 さらに2016年、NETS-S(Sは生徒用の意)は改訂を重ね、その思想が米国外にも広がり、デジタル・シティズンシップに基づいた教職員研修が世界中で始まりました。2017年のNETS-Sでは「相互につながったデジタル世界における生活、学習、仕事の権利と責任、機会を理解し、安全で合理的・倫理的な方法で行動し、規範となる」と、デジタル・シティズンシップの考え方が表現されており、これを児童生徒が段階的に理解することで、批判的思考と創造者としての責任を学び、善き使い手、社会の善き担い手を育成できる、と示されています。

デジタル・シティズンシップの教材「コモンセンス」の日本語翻訳活動
 

 米国でデジタル・シティズンシップを学ぶための教材が「コモンセンス・エデュケーション」です。学年別に6つの領域の教材が用意されており、半数以上に数分の動画がついています。教材の一部は日本語訳されています。

 コモンセンス・エデュケーションの動画では、ICTの活用について最低限の指針だけ示し、「こうあるべき」という答えや結論は示されません。さまざまな考え方を示した上で「さてあなたはどう思いますか?」と、主となる問いを投げかけます。

 「5年生向け:私のメディアバランスを見つけよう」では、「食べ物や衣服と同じように、どのメディアを選んでどう使うかは『あなたの選択』であり、自分が心地よい選択や使い方の『バランス』を見つけよう」と、児童生徒主体での構成で、しかも答えは一人ひとり異なっていいというスタンスであることが読み取れます。

 一方、日本のこれまでの学校におけるICTリテラシー教育は「情報モラル教育」であり、その多くは「こういう使い方はやめよう」と、あらかじめ結論が決まったものを講習形式で伝えるものです。そして豊福先生(取材した先生)は「年に1回、外部から講師を招いて、ICTやSNSのリスクを強調する講習を『情報モラル教育』と称している学校が多いのではないか」と懸念を示しています。

GIGAスクール時代のICTリテラシー指導はどうあるべきか

 2021年5月現在の日本では、GIGAスクール構想により1人1台の端末が配布され、各地で端末配布や持ち帰り学習向けの「ルール」がつくられており、保護者への同意書の取り交わしが始まっている状況です。一方で、配布された端末は「主として学習の目的」に利用が限定されるケースが多く、学習だけでなく生活や(将来の)仕事など、幅広いシーンと時間軸を想定したICTリテラシー育成についてはほとんど行われていません。

 ただ、従来は学校においてはICTを活用した授業を行うシーンが限定的で、児童生徒が保有するスマートフォン等は「家庭のもの」であるため、学校では「使わない(利用禁止・制限)」状況でした。それがGIGAスクール構想後、「公的に」端末を整備し、授業や学校生活の中で使うことになり、大きく事情が変わりました。

 このような1人1台の端末の活用において、豊福先生は以前から「ICT機器の教具的利用(=教師がICT機器を使うことを指示し、児童生徒はそれに従って受動的に使う方式)ではなく、文具的な利用(=児童生徒が自己判断によりICTをどう使うかを判断し能動的に使う方式)にしていくことが重要」と主張されています。実際に、文具的活用ができている学校は、教具的活用が中心の学校よりも圧倒的に利用頻度が高いため、端末の死蔵が少ないだけでなく、実は故障台数も少ない傾向があると言います。

 そこで、デジタル・シティズンシップを児童生徒が学び、学校や学年として児童生徒を中心にICTの活用の「約束事」を定めて活用の仕方を模索していくことが、「教具的なICT活用から脱却し、学習者中心の学びを行っていくことにつながる」と豊福先生は指摘します。ただ、校内での利用頻度に応じてリスクが増えれば、年1回の外部講師の指導では扱いきれないため、総合的な学習の時間や道徳の時間などから「年6コマ程度をなんとか捻出してほしい」と、豊福先生は訴えます。そして外部講師ではなく、子どもたちの実態を把握している学校の先生が、児童生徒の声を直接デジタル・シティズンシップ指導を通じて知ることも、重要な要素と言えます。

デジタル・シティズンシップは子どもを大人扱いし、多様性を尊重するもの 

 今度珠美先生(取材した先生)は、「従来型の制限・禁止の結論ありきの情報モラル教育は、学校におけるICTの実情を改善するのに役立っていないのではないか」と指摘します。児童生徒の目線で言えば、自分たちの中でわかりきっている課題について「ダメ」「よくない」という話をされてもつまらないし、実際にネットいじめやICTが関わる問題で悩んでいる当事者にとっては何の役にも立たないのではないか、という危惧がはあるそうです。

 「日本におけるICT活用では大、子どもたちを過度に制限する傾向があります。一方で、米国の映画などを見ると、大人が子どもと同じ目線で、大人に対するのと同じように丁寧に説明をするシーンがあると思います。欧米では大人も子どもを1人の人間として大人扱いして、敬意を持って信頼し、一人ひとりの多様性も重視されているため『結論はみんな違っていい』という発想が大前提です。ICTの活用においても、そうした考えが強く出ているのがデジタル・シティズンシップの特徴なのです」(今度さん)

 この今度さんの言葉は、まさに一人ひとりの個性を大事にし、個別最適な学びを提供しようとする日本の学習指導要領の理念とも重なります。しかし、まだICTに対する大人の理解不足や不安、不寛容な部分が(ほかの分野ではそれが可能であるのにもかかわらず)「学習者中心」の状況を思うように作り出せていない課題がありそうです。ただ、先生が過度な負担を抱えることなく相互理解できるようになる手法がデジタル・シティズンシップなのではないか、という期待も抱いています。

1人1台の端末により学習者主体の学びが全国に広がるために

 全国的にデジタル・シティズンシップの考え方を生かした指導が徐々に広がっていけば、先生と学習者が共にリテラシーを習得していけることが期待されます。そうして、日本でも「学習者が、自分たちの意志で、自治的にICTの活用方法や約束事を定め、必要なときにはそれを改変していく」状況が作り出せることを願っています。

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