沖縄・台湾旅行記(2/3) 花蓮→台東自転車旅行編

6日目 12/9 新竹→台北→花蓮

バスで清華大学から台北駅に行く。台北駅で予約していた花蓮行きの切符を発券する。空港MRTの台北駅に行って、今朝の関空からの飛行機で来台したFくんと会う。Fくんには旅程をしっかり送ったのだが、聞くとほどんど知らない。こんなやる気のないことで大丈夫なのだろうかとおもう。また在来線駅に戻り駅弁を買い、花蓮行きの列車タロコ号に乗る。タロコ号は日本製で、JR九州も使っているものだ。車体傾斜装置がついていて、カーブの多いこの路線に適している。2時間半ほどで、花蓮駅に着く。

駅前に日本から来たというストリートミュージシャンがいて、話しかけようとおもったが機を失してしまう。駅前に台湾の自転車メーカーGiantがあって、そこで自転車を借りる。予約してあったので心配ない。そのまま自転車で宿に行く。少し休んだ後、台湾で最も大きいという夜市に行く。ちょっとした野外ステージでクリスチャンの集団が歌って踊っている。

こういうところが台湾の好きなところだ。ぼくもリズムにのったりする。Fくんはクリスチャンのくせにあまり関心がない様子である。夜市の原住民料理の店で食べる。すごくうまい。自転車用の半ズボンを買うか悩んだが、結局買わない。夏用の作務衣があるからそれでなんとかなるかとおもうが、しかし雨が降ったときのために替えがほしいようなかんじもする。天気予報ではどこかで雨になりそうである。だが、荷物は少ない方がいい。悩ましい。

7日目 12/10 花蓮→鳳林

日曜だから礼拝に行きたいとFくんが言うので、花蓮港教会というところに行く。

長老派の教会なら間違いないというので、そこにする。台湾語で進められており、よくわからない(中国語ならぼくは少しわかる。Fくんはわからない)。最後に、初めて来た人が紹介される。シンガポールの集団の後に、我々である。日本人とわかると、日本語世代のおじいさんおばあさんがたくさん寄ってきて、どこから来たのか、どこへ行くのか、台湾は何度目か、お前はクリスチャンかなどと、質問される。

日本語世代の人たちと話せるのはうれしいことである。ちなみにぼくはクリスチャンではない。Goose先生という店でガチョウを食べる。いよいよ台東へ向けてこぎ始める。といっても、この日は鳳林という町まで30km余りである。台東までは国道9号線沿いに走る。台9線と省略される。特に、花蓮ー台東の間は、花東縦谷と呼ばれ、その美しさは台湾のなかでも随一である。鳳林へは2時間ほどで着いた。宿は「有情天地」というところである。なぜこの宿かというと、名前がいいからである。2009年の京大文系国語の入試問題が、南木佳士の「天地有情」であり、印象的な文章であったから、ここに泊まろうとおもった(ぼくは2012年京大入学なので過去問として読んだ)。もっとも、予約のメールに南木佳士という人の「天地有情」を読んだ云々書いたらその件は無視されたのだが、本来必要な予約金の振り込みも、日本からでは手数料がかかると伝えるとなしにしてくれるなど、たいへん親切であった。その宿に着くと、家で作ったという肉まんを出してくれ、洗濯もしてくれ、日本語世代のおばあちゃんもいて、たいへんいい宿だった。ちなみに、この宿は「民宿」ということになっている。台湾の田舎では民宿に泊まるのがいい。以前金門島に行ったときも、民宿に泊まったが、宿の人が親切で居心地がよかった。

8日目 12/11 鳳林→玉里

朝は鳳林の町から2kmほどの林田神社に行く。鳳林は日本時代は林田と呼ばれた、林業の町であった。1915年、移民村が開かれるとともに建てられ、百周年を期して2014年に鳥居や参道が再整備されたらしい。

その後、玉里に向けて南進する。今日は55kmあまりこがないといけない。景色は東西両方が山に囲まれていて美しい。途中、10kmほどこいで、花蓮観光糖廠に寄る。日本時代からの砂糖工場である。台湾はサトウキビがよくとれるから、至るところに砂糖工場がある。以前は虎尾の砂糖工場に行った。そのときに続き、ここでもアイスクリームを食べる。すごくおいしい。

また20kmほどこいで、瑞穂神社へ。この神社は鳥居しか再建されていなかった。旧参道は途中から山登りの道になっているようだ。

参道を降りているとFくんに唐突に、「で、八木さんはいったい何なんですか?」と聞かれる。聞くと、政治思想のことを問うているらしい。なんで日本時代の神社などをめぐっているのか、と。とっさに、「歴史を尊重する左翼…かな」と答える。我ながらうまいこと言ったと思う。「ですよね。八木さんは生き方からして左翼だ」とか言われる。瑞穂の町に行き、よくわからないがおばあさんが有名らしい、塗媽媽肉粽という店でちまきを食べる。

北回帰線をこえる。

玉里の町についた。今回は、Airbnbである。宿の人は、結婚したが夫は単身赴任しているという、赤ちゃんがいる女性と、その両親と妹である。おばちゃんがいろいろと世話を焼いてくれる。うまいらしい店を教えてもらい町を徘徊する。玉里は全然知らなかったが、賑やかですごくいい町である。羊肉の鍋がうまかった。日本語世代の老夫婦がしている店で、七分のズボンを買った。寝間着と自転車をこぐときの服に使う。部屋に十字架があり、Fくんは「この家の人たぶんクリスチャンです」と言って喜んでいた。

9日目 12/12 玉里→鹿野

朝は玉里神社に行く。玉里の駅の裏すぐにある。ここは本殿跡などもきれいに残っている。

朝市を眺めつつ、名物の玉里麺の店に入る。Airbnbのおばちゃんに教えてもらった、鉄道の廃線跡を利用した「玉富自転車道」を南下する。

このあたりのお米は「御皇米」という名で売り出しているらしい。Tenno Riceと英訳が記されている。

日本時代からの歴史があるのだろう。花東縦谷は日本時代に、日本からの移民が開発した地域で、東西を山に囲われ、水も豊富なことから、米作りに適した地域らしい(by wikipedia of 花東縦谷)。町の名前も、これまで見たとおり、日本風である。玉里から30kmほどこぐと、池上という町についた。池上は米が有名な町で、ここの米を使った弁当が台湾中で売られている。特に駅弁が全国的に有名で、この町でも駅弁を食べる。

さらに30kmほどこいで、鹿野へ。今日はここのゲストハウスに泊まる。鹿野の町はちょっとさびれていた。

10日目 12/13 鹿野→台東大学→台東

朝は鹿野神社へ。鹿野神社は龍田という、高台になった地域にある。龍田はうつくしいところで、別荘地のような雰囲気である。茶畑もあって、まるで日本にいるようだ。

今度鹿野に来るときはこのあたりに泊まろう。鹿野神社は見事に復元されている。

となりの廟に、龍田の歴史が展示されている。

30kmほどこいで、台東大学へ。知人の大学の先生が、この大学で勉強している。一緒にお昼ご飯を食べる。近年郊外に移転した大学で、台東中心部にある今夜の宿にたどり着くために、また10kmあまりこぐ。宿のあたりに行ったが、教えてもらった住所が間違っているのか、正確な場所がわからない。仕方がないので、近くのセブンイレブン(台湾には日本以上にセブンイレブンがある)でひまをつぶす。台湾のセブンには必ずイートインの席があって、そこに座る。すると、となりに白人の女性2人組が来た。Fくんは「何人かな…」と気になる様子である。片方がトイレに行ったときに、Fくんは「ちょっと聞いてみよ」などと言って、英語でどこから来たのかなどと話しかける。Fくんは、この旅の間中ずっと無口であった。言語が通じないからというわけでもなく、相手の台湾人が英語を話そうとも、Fくんはわりにそっけなくしていた。日本で日本人を相手にしても普段からそんな様子であるから、特に気にしなかった。それだけに、この時の白人女性を相手にした饒舌さには、驚かされた。実際ニュージーランド・アメリカ・ロシア・イタリアにそれぞれ1年未満の留学をし、この旅中もひまがあればドイツ語の単語帳をながめ、来年京大を卒業したらドイツで神学を学ぶと言っていたので(神学を学ぶならドイツかアメリカらしい)、彼が西洋に関心があることは知っていた。しかし、ここまでのコミュニケーションにおける変貌を見せられると、彼が西洋に向いているのは間違いないな…と納得せずにはいられなかった。ふだんから、「白人女性と結婚したい」とも言っていて、話半分に聞いていたのだが、こりゃ本気だ…とおもった。そうこうしているうちに、Airbnbの場所がわかった。会社兼住居となっているところで、何度もその前を通りながら、ここは会社だから違う…と通り過ぎていたところだった。案内された部屋は、Nazarethと書いてある。

Nazareth(ナザレ)といえば、イエス・キリストが幼少期から青年期を過ごした町で、Fくんはたいそう喜んでいる。Airbnbをする人はクリスチャンが多いのかと尋ねると、「聖書に旅人をもてなせと書いてある」ということである。夜、魚料理の店に入る。とてもうまかった。

11日目 12/14 台東

朝は森林公園に行き、昼は台東前史博物館に行った。夕方、日が沈んでから海辺に行くと、波が荒くてこわかった。朝、宿の人に「夜7時にHollyなんとかを仲間とするから来ないか」と言われていたので、宿に戻る。クリスチャンらしき人たちが8人くらい集まっている。20代前半の人から40代後半くらいまでの男女である。「きよしこの夜(中国語:平安夜)」をみなで練習する。彼らは中国語で歌い、ぼくとFくんは日本語で歌う。もっとも、Fくんはあまりやる気がなさそうである。ぼくは歌うの好きだから機嫌がよくなる。サンタクロースがかぶるような帽子をかぶせられ、外に出る。前にあったケーキ屋に行って、ゲリラ的に歌う。歌い終わると「クリスマスおめでとう!(聖誕節快楽!)」などと言いあう。そのようなことを、何軒かの店でする。こうやって、何人かで町を歩いて、突撃訪問するというのは、アナーキーで楽しいかんじがする。宿(会社)に戻り、「日本のアニメ知ってるぜ」みたいなことを言われる。たいていぼくも知っている。「カードキャプターさくら」の写真をスマホで見せられ、知っていると答えると、Fくんが「オタクですね」と言う。たしかにCCさくらはオタクっぽい。「忍者ハットリ君」について聞かれ、「知っているけど、母の時代のものだ」というと、すごく驚いていた。「放送時期にだいぶ違いがあったんだね」みたいなことを彼らのうちで話している。絵柄でわかりそうなものではあるが。解散して後、Fくんと昨夜の魚の店に行く。Fくんに、なにか悩んでいることを話したが、内容は忘れてしまった。クリスチャンとしてふだんから生き様を考えている彼の言うことは、深い説得力がある。

続く。

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