沖縄・台湾旅行記(3/3) 台南・台北編

12日目 12/15 台東→屏東→高雄→台南

台東駅まで6kmほど自転車をこぎ、Giantの店に返す。思い入れ深くなった自転車ともお別れである。

気動車で2時間半かけて屏東に行く。台湾縦貫線のうち、この区域だけが非電化だが、数年内に電化されるらしい。電化工事が終わると、所要時間は1時間短縮されるらしい。もちろん電化された方が便利なのだが、非電化の鉄道も、架線がなくてきれいだったり、時間がかかるのがよかったりもするので、寂しい感じもする。

屏東では、知人のやっている廟に行く。日本の軍人が祀られている。餃子をいただき、鉄道で高雄駅へ。高雄駅前の捷運化博物館に行く。日本時代の高雄駅を博物館にしている。台湾の鉄道はいまおもしろい時期で、これまで長距離輸送が主であった在来線(台湾鉄道=台鉄)を、近距離用に再編しているところである(これを台鉄の捷運化という)。というのも、長距離輸送は台北—高雄を結ぶ新幹線や、安価な高速バスが担うようになっているからである。日本でも、1960年代から80年代にかけて、新幹線や高速道路ができたことで同じことが起きたが、それが50年遅れで起きているのである。高雄付近は地下化されるとともに、新駅がいくつもできる。高雄駅は、いまはわきに置かれている日本時代の駅舎をもとの場所に戻して、またメイン駅として使うようだ。未来の高雄駅がジオラマになっている。

戦前の駅舎をまたメイン駅舎に戻すなんて、日本では聞いたことがない。ちょっと感動してしまった。また鉄道に乗り、台南へ。Fくんの友人で、台南の成功大学に語学留学しているロシア人、Kさんに会う。Kさんは日本語も話す。3人で台南公園へ。そして成功大学のあたりで夕食を食べる。KさんはぼくやFくんに関心がないように見えたが、FくんはKさんに会えて喜んでいる。Kさん相手には饒舌である。Kさんとわかれ、宿に向かうバスの中でFくんに「Kさんはおとなしすぎないか」と言うと、「ロシアは寒いから、暗い人が多いですよ。自殺率も高いし」などと言う。宿は、台湾人の女性が日本人専用に開いているところである。台湾人のほとんどがそうだが、ものすごくフレンドリーである。台湾人の開放的な性格は、沖縄の人そっくりである。やはり暖かいところに住むとそうなるのだろうか。とすると、ロシア人から見ると日本人も、「やっぱり南方の人は楽天的な性格をしてるなー」などと思えるのだろうか。宿は遠くて、台南駅からバスで30分くらいかかる。着いたときはくたくたになっていた。

13日目 12/16 台南

昨夜遅かったのでゆっくり起きた。宿の人はすでに出かけている。昼過ぎには戻るらしい。FくんはKさんと奇美博物館に行くと言うが、ぼくはバイクを運転するために免許の翻訳を持ってきたので、駅前でレンタルする前に宿の人のを借りてちょっと練習しようと、帰りを待つ。FくんはKさんと12時に台南駅で待ち合わせていたから、ひとりで出発する。Fくんは今回の旅程をぼくにすべて任せきりで、Fくん自身が行きたいところを日曜の礼拝以外ひとつも持たなかったが、ぼくはそのことをちょっと残念におもっていた。せっかく台湾に来ているのだから、もっと台湾に興味を持ってくれてもいいのに、と。だから、ちょっと困らせて、ひとりで台南駅まで行かせてみよう、迷ってなかなかたどりつけなかったら、ぼくに任せきりであったことを少しはかえりみるだろうという、いじわるな気持ちがあった。後から思えば、Fくんのような心の美しい人に対して試すようなことをするなんて、あさましい人間だとおもう。Fくんはぼくに一緒に来てほしそうだったが、やむを得ずひとりで行った。一時間ほど『戦中派虫けら日記』を読んでいると宿の人が帰ってきて、バイクを練習させてもらう。その後、バスに乗って台南駅へ。駅裏の成功大学の、博物館に行く。成功大学には2ヶ月語学留学していたが、ここは行きそびれていたのだ。博物館につくと、受付のおばちゃんに「音楽会があるから聞け」とむりやり、附属のホールに連れて行かれた。特に興味はなかったのだが、強引で困る。半分眠りながら、サックスの演奏を聴く。ちょっと体調が悪くなっていたので、休めてよかった。その後博物館を少し見た。成功大学は日本時代の高等学校に由来がある。博物館では、音楽会記念にパンとケーキの間のような食べ物がふるまわれた。とてもうまかったので全種類、合計4つ食べた。その後、語学留学していた時代に行った古本屋で、村上春樹の『スプートニクの恋人』『国境の西、太陽の南』の中文版を買った。日本の作家では、村上春樹と吉本ばななが台湾では大人気である。どこの書店でも置いてある。ぼくは村上春樹が特別に好きで、長編は作品によるが5回〜15回くらい読んでいるから、中国語の勉強にはよいだろうとおもったのだ。そうしていると、FくんがKさんの携帯から連絡してきて、駅のあたりで会おうと言う。会って、寒いから鍋を食べようということになり、成功大学そばの店はうまそうだったが満席だったのでしばらく歩き、駅近くの羊肉鍋がうまそうだったので入ったが、Kさんがどうしても羊肉は嫌だと言う。寒いし疲れたし早くなかでゆっくりしたいとおもいつつも、仕方がないのでまた歩くと、さっきの大学そばの店があいていて、入る。そこでゆっくり食べる。とてもうまかった。やはり、人と一緒なのはいいなあとおもう。Fくんとずっと一緒で、それがFくんに頼りっぱなしにされているかんじがして、あえて今日別行動をしてみたが、失ってはじめてありがたみがわかったなあとおもう。料理も不足していた野菜がとれてうまい。そういうわけでぼくは上機嫌であったが、FくんはKさんの隣りに座って、Kさんの顔をのぞき込んで、やはり上機嫌である。Kさんは、日本の一般的な女性に比してわがまますぎるし、そっけなさすぎるとおもえ、好感を持たなかったのだが、しかしそのように基準を設けて人を判断するのはよくないともおもう。クリスチャンふうに考えれば、人を判断するなんてことは愚かな人間にはできない、神のなしたもうことだ、となるのであろう。しかし、Fくんに顔をのぞき込まれたりして、Kさんもそう悪い気はしていないようで、それを見ると「ふん、楽しくやっとられますな」と、いささか嫉妬するかんじもする。鍋を食べるのに集中する。時間をかけて食べ終え、昨日に引き続き会計をぼくとFくんで持つ。ロシアはルーブルの価値が経済封鎖の影響であろうか暴落しており、数年前の半分くらいになったという。Kさん曰く、ロシアよりも台湾の方が2倍くらい物価が高いらしい。台湾の物価は日本の2/3ほどであるから、驚く。経済的に苦しいためか、Kさんは食事を日に一度しかとらないらしい。Kさんは日本語が堪能なので、日本に来ればいいと言うと、ビザが下りないという。旅行をするのでさえ、ビザはなかなか発行されないらしい。日露関係はまだ解決すべきことが多くある。Kさんと別れて後、Fくんが西洋人と結婚したいと度々言っていた文脈から、「Kさんと結婚するのはどう?」と冗談5割、イヤミ5割に尋ねると、そのイヤミの分を察知したのか、「好き嫌い多いし、あんましゃべんないし、難しいですけど…でもほんとはいいこなんですよ。ぼくらと会うのも楽しんでるんですよ」と言う。あまり楽しんでいるようには見えなかったが、Fくんを困らせるのも悪いから、なるほどと聞いておく。その後、バイクをレンタルしようとして、ちょっと乗ってみたが、金門島で時速30kmの電動バイクに乗ったことを除けば初バイクであり、台南は交通量がおそろしく多く、ちょっと死にかけたのであきらめる。乗る前にレンタル店の台湾人が「こいつ大丈夫か…?」みたいな目で見ていたが、全然大丈夫じゃなかった。恥ずかしい以上に、おそろしい。しばらく気が動転して、「こらあかん、死ぬとこやった。愚かや…愚かや…」などとひとりごとを繰り返す。バスに乗って宿に帰る。

14日目 12/17 台南

日曜なので礼拝に行く。Fくんの希望により、英語のところをネットで見つけ行ったが、英語が早すぎてついていけず(後でFくんに聞くと南アフリカの訛りがあったとか)、『戦中派虫けら日記』を読んで過ごす。そもそも、なんで台湾で英語なのかともおもう。賛美歌なんか好きなのだが、英語なので歌う気がしない。運河沿いを安平に向かって歩く。Fくんがキリスト教について教えてくれる。安平は台湾をはじめて統治したオランダが都とした場所で、当時の城が残っている。以前行ったので今回は行かない。昼ごはんを食べてバスに乗り、四草緑道という観光地に行く。マングローブの森をボートでめぐるらしく、楽しそうなかんじがする。ここでKさんと待ち合わせである。ボートに乗るのに並ぶが、おじいさんとおばさんがカラオケ機材を持ち込んで歌を歌っている。おばさんは和服を着て、時々あやしい日本語で日本の歌を歌う。カンパ箱に100元(400円弱)入れた。Kさんが来てボートに乗る。マングローブはきれいだが、ボートに運ばれるだけではぜんぜんおもしろくない。自分でカヌーをこいだりするととても楽しいだろう。やはり人にやってもらうだけではつまらない、とおもう。自転車旅行が楽しいのも、自分で行きたい場所を選べるからだ。それから、バスに乗ってすぐ近くの海に行く。あまりにも人工物化された自然を見たので、海という自由な自然を見たくなった。Fくんは「タオルある?」とKさんに聞き、Kさんはなかったがぼくが手ぬぐいを持っていることを伝えると、「泳ぎます」と言って全裸になり、海に入った。台湾がいくら暖かい島だといえ、12月に水着で(Fくんは全裸だが)泳いでいる人はいない。台湾南部でも、泳ぐのは10月上旬までである。Fくんの向こうには、スウェットスーツを着たサーファーが見える。この日はサーフィンにはもってこいの波の強さであったが、Fくんは大丈夫なのかとおもう。

10分くらい泳いで、Fくんは戻ってきた。冬の海に全裸で入るというのは快挙である。ブラボーなどと言ってFくんをねぎらう。Fくん曰く、冬でも海水は温かいから泳げるとのこと。波にさらわれないか心配でなかったか尋ねると、少し心配したが、サーファーが奥にいるからいざという時は助けてくれるだろうと考えていたとのことである。「海岸があるところでは泳ぐことにしています」とのことで、今までも季節や国にかかわらず泳いできたらしい。その後、バスに乗って台南市街へ。林百貨という日本時代から復活させた百貨店に行ったり、本屋に行ったりする。夕食を一緒に食べてKさんとは解散し、バスに乗って宿に戻る。19日にFくんと一緒に高雄空港から帰るか、20日か21日にひとりで桃園空港(台北)から帰るか迷っていたが、21日に決める。台北でお世話になるHさんに連絡し、飛行機のチケットを取る(諸税込み1万円ほど)。

15日目 12/18 台南

月曜日であるからKさんは授業である。朝は飛虎廟という日本の軍人が祀られている廟にFくんと行く。台南駅でFくんと別れ、奇美美術館に行く。実業家の許さんがつくった私設の美術館で建物がおそろしく立派である。正直にいって、成金趣味というかんじがする。展示では彫刻にひとつ気に入ったものがあった。台南駅裏でシェアサイクルT-Bikeを借りて、駅近くの古本屋街で中国語学習のための本を買い、台南にいたころに毎日のように通っていたプールに行く。ちょっと体調が悪いし、ゴーグルがないので、まじめに泳がず水に浸かるだけにする。お客のほとんどが中高年なので、そういうスペースの方が広い。ジャグジーやサウナもある。2年ぶりなのでなつかしい。プールの後は、いつも買っていた7-11でイオンウォーターを買い、以前住んでいた寮へ自転車を走らせる。駅の近くで自転車を返して携帯を見ると、Fくんから「バスに乗ろうとした」云々メッセージがあり、FくんはKさんと会わず宿に帰るのかと思い、バスで寮に帰る。しかし、Fくんはまだ帰っていない。FくんはFree-wifiのあるところでしか連絡がつかないので、Kさんに連絡するとFくんと一緒だという。早合点せずKさんに確かめればよかった、彼らと一緒に夕ご飯を食べたかったと思ったが既に遅く、やむを得ず近くの店で鍋を食べた。明日の台南→台北の新幹線自由席を予約する。KKdayというサイトで前日までに予約すると外国人は2割引きで、4000円ほどになる。距離的には大阪−広島と同じくらいで、日本だと一万円するから、かなり安い。所要時間は1時間半ほどである。ちなみに在来線だと3000円ほどだが4時間くらいかかる。高速バスだと1300円ほどで4〜5時間らしく安価でよいが、バスは苦手なので乗らない。帰ってきたFくんに大量に買った本を持って帰ってくれるように頼み承諾をもらう。というのも、今日古本屋をめぐっていて、さらに買いたい本が出てきてしまったためである。

16日目 12/19 台南→台北

朝は近くの小籠包の店で買って駅までのバスで食べる。天気もよく暑いくらいで、暑さには強いので体調もよい。台南駅でFくんと別れる。古本屋で論語・孟子などのボポモフォがついたテキストと、中学の国語の教科書を買う。新幹線の台南駅は郊外にあり、沙崙線という在来線新線で連絡している。それに20分少し乗って、新幹線に乗る。台湾新幹線は、大都市では新竹と台南だけは在来線新線をつくって中心街と連絡しているが、便利な日本の新幹線に乗り慣れた身からすると、不便に思える。新幹線は高いところをはしり、トンネルもほとんどなく、眺めがよかった。地形を見るのが楽しい。台中からは人が増える。台北に近づくと天気が悪くなり、寒くなり、体調が悪くなってきた。台南で買ったお茶をずっと飲んでいたのもよくなかったかもしれない。台北駅からMRTを乗り継いで、宿のところに行く。レンガ屋敷である。Hさんと会う。部屋を案内されるが、「ここに泊まるのか…」と動揺し、気持ちを落ち着けるため図書館に行き、日記をつけて暖かい麺を食べる。21時に図書館が閉まり宿に戻ると鍵が閉まっている。ベンチに西洋人の男女が座っており、台湾人のおじさんもいる。深夜まであいているモスバーガーにでも行こうかと思うが、台湾人のおじさんに「ここに泊まるのか」と聞かれ、そうだと答える。西洋人と目が合い、英語で話す。彼らもここに泊まるらしい。ちょっと安心する。アメリカ人らしい。西洋人というのはアジア人の下手な英語(しかもぼくはどもるので話すのはとても下手にきこえる)など聞いてくれないと思っていたが、ずいぶんよく聞いてくれる。それにぼくも、以前より英語でどもることに抵抗がなくなったのか、あまりどもるのにかまわず話す。台湾人のおじさんは、ぼくが中国語がわからないといっても、なにかと話しかけてくる。少し頭が弱いようである。アメリカ人が「宿に泊まっている人と連絡がついてもうすぐ来る」という。来たのはアジア人のおじさんで、台湾人のおじさんをあしらって、なかに入る。そのアジア人は英語を話しており、フレンドリーなふうである。階段をのぼる途中で、彼が日本人だとわかる。その人はアメリカ人の男の方を捕まえて、中庭に面したベランダのようなところでずっと話している。ぼくが宿をみてまわるふりをして、中庭の反対側に出て彼らと目が合うと、そのおじさんがこっちおいでと言ってくれ、行く。彼らは音楽の話をしている。しばらくするとアメリカ人がなにか言って席を立つ。おじさんといろいろと話す。この泊まっているところが、100年くらいの歴史があることから、家の話になる。「いまの家はすぐに建つが、昔は何ヶ月もかけて建てた。俺らが子どものころは学校の帰りなんかに大工仕事をじっと見ていて、大きくなったら大工になりたいとみな言ったものだ」などという話に感心する。今は大工というと地位の低い仕事みたいになっている。社会の変化をかんじる。おじさんは少し自分のことばかり話しすぎるようだが、好感を持つ。来月高知で働くというと、おじさんは高知に住んでいるから遊びに来るよう言われ、快諾する。おじさんと高粱酒を飲みすぎたか、朝昼に飲んだお茶のせいか、また車の音がうるさいためか、なかなか寝付けない。なぜか花蓮で見かけた日本人に話しかけなかったことを深く後悔する。後悔はなはだしいため、後悔についての考察をTwitterに書き込んで気分を落ち着けようとし、その効果があったかなかったかわからないが眠りにつく。

17日目 台北

朝9時ごろに起きる。寝不足であるが、おじさんと朝市に行く約束をしていたため出る。朝市はにぎやかである。ぶどうを買って食べた。その後、Hさんに勧められたAMAミュージアムという、台湾人慰安婦についての展示をしている博物館に行く。詳しい展示で、2時間ほどかけてじっくり見る。台湾にもかつて慰安婦だった人がいて、日本政府を相手に裁判を起こしている。台湾というと親日国で有名だし、実際行くと本当に驚くくらい親日的とかんじるが、しかし日本の加害とそれに対する台湾人の怒りもしっかりと見ないといけない。それから、Hさんに勧められた店で魚丸を食べる。歩いているとおじさんが広場で三線をひいている。地下鉄で台湾歴史博物館へ。台南の歴史博物館のように台湾史を解説しているのかとおもったがそうではなく、細々とした展示をしていた。となりの2.28記念館へ。寝不足のためふらつきながらも、がんばって展示を見る。そうしているともう夕方で、買いそびれた『易経』のボポモフォ付きなどを買おうと地下鉄で台湾大学前の古本屋街に行く。しかし、何軒めぐっても、台南の古本屋で見つけたような、子どもにボポモフォ付きで古典を読まそうという本は見つからなかった。どこにでもああいうものは置いてあると思っていたので意外である。台南で見つけたことがむしろ幸運であるかもしれない。MRTで宿に帰るとHさんがいて、夜市を紹介され、夜市で食べる。少し図書館に寄り、また宿に帰る。おじさんがベランダにいたので少し話す。おじさんは、今日どれだけ楽しかったかを延々と話し出す。琴の教室に呼ばれて、かわいいお姉ちゃんと写真を撮り、Facebookにもいいように書かれたなどと言い、明日は女性とデートをすると言う。自慢ったらしく話されて、うんざりする。高知の家に遊びに行くにも、こう自慢話を聞かされてはたまらないから、行かないことにする。人と人とが仲良くなるとはなんと難しいことであろうか。あまり話さなかったが、昨日いたアメリカ人に対しての方が、自分はよほど好感を持っている。おじさんはどこかさびしそうである。一見フレンドリーなふうだが、しかしどこかで引っかかりがあって、だから自慢話ばかりしてしまうのだ。同情するが、しかしおじさんの話につきあっていられないので、途中でなにか言い訳をして席を立つ。

18日目 台北→大阪

朝目覚め、宿のすぐ近くの台北大橋に行く。淡水河とビル群が美しい。

飛行機は昼過ぎで時間があるので、朝は総統府の見学に行くこととする。バスに乗り総統府に着くと、日本人を集めて日本語ガイドが案内してくれる。

日本人のおじさんが話しかけてくる。インテリっぽい人で好感を持つ。しかし、「日本の歴史認識はいろいろとおかしいですからね。台湾に来て正しい歴史を学んでください」と言われ、いまの日本の歴史認識に問題があるのはそうだと思うが、「正しい歴史」なんてものがあるとは思えず、皮肉で言っているのかと思い「正しい歴史?笑」と思わず問うが、顔を見ると皮肉ではないようである。その後もその人は、ツアーで来ている中国人を馬鹿にするようなことを言いつつ、台湾の親日っぷりをほめていて、嫌気がさした。ぼくは中国とも隣国であるから仲良くやっていくべきだと思っているのだが、その人にとっては台湾に来ている日本人=中国が嫌いと思ったのだろうか。ネット上で中国をけなしつつ台湾をほめる言説をよく見かけうんざりしているが、なかなかリアルでは聞くことができない。総統府の展示は、戦後の反政府運動の歴史が特集されているなど、とても民主的で驚いた。日本政府だとおそらく隠す部分である。日本語の案内自体はよかったが、反体制運動のところをじっくり見たかったのに、案内についていくためにいくらか見飛ばさざるをえなかった。しかも、もとの展示に戻ることはできないという。その後、シェアサイクルで宿の方に戻る。宿のあたりは迪化街というレンガの問屋街である。お土産にいろんな店で売っている乾物を買う。

MRTで空港に行き、大阪行きの飛行機に乗る。機上から高知市がきれいにみえた。翌月、1月は高知県の宿毛に住むことになるのですが、その記録は拙ブログを読んでください(これから書きます)。

終わり。

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