親の傷、僕の傷
今日は母を食事に誘いかなり遅めの母の日を祝わせてもらった。
食事に連れていくのは年に数えるくらいしかない。
自分の家は男兄弟だけしかいないので母が好きなお洒落なお店や、インスタ映えするようなお店にあまり連れて行けない。
なので今回は僕のマイフェイバリットイタリアンに連れて行った。
参宮橋にある「LIFE son」というお店だ。
かなりおちつくお店で食事の味はもちろん、接客、客層どれをとってもお気に入りだ。
なんと言っても僕はそこのお店のピザが大好きで!ミミまで美味しく、素材の味をふんだんに使用したしらすとドライトマト?のピザが何よりおすすめだ!
お店は3店舗展開しており代々木八幡、参宮橋、辻堂どれをとってもピカイチの味と接客だ。
そんなお店で母と食事。
久しぶりに母と話した気がした。
うちの実家は二世帯で住んでおり、一階は父型の祖母が住んでおり、二階に両親が住んでいる。
この二世帯というもの子供が思っている以上に大変だった。
母からたまにぽろっと出る愚痴、家では話せないことなど聞いた。
そんな中にこんな話があった。
祖母は自分が嫌だったり、やりたくないことははっきりと断るタイプであり、僕の母は嫌なものはいやと言えない。
こんな些細なことだが僕はすごく気になった。
嫌なことをいやと言って誰が嫌がるのだろう?嫌なことを嫌々やってもいい結果を招かないことが多い気がする。
もう少しよく話を聞いてみた。
母の断れない理由は「断ったら嫌な思いするだろう、断って嫌な思いしていないか」などが気になって仕方ないとのこと。
母型の祖母もそうだったらしく、断ることは悪いことというのがエゴとして傷があったのだ。
それはやはり代々変わらず引き継がれており、親の傷は子に引継ぎ、そのまた親の傷は子に引き継ぐ。
考えてみると自分もそうだったのだ。最近はその傷に向き合い断ることもっでてきだがまだまだ断りきれない部分はたくさんある。
客観的にみることにより人の傷に気付き、さらに自分の親と向き合うことにより自分の傷に気付くことができた。
学びというものはこういう何でもない些細な日常に隠れていて探すのが困難だがそれに向き合ったことにより前に進み、自分の傷を知り、癒していく。
ちょっと前に進めたような気がする。
毎日が少しづつ変わっていく人生が今は楽しくて仕方ない。