言葉は不自由

天候で左右される幸せ


幸せの沸点が低いと自覚している。梅雨の晴れ間に洗濯物をパリッと干す事ができる、季節の果物;今ならビワが成っていると感動する。ずるずる雨の日が続くとどよんとする。

調子が気圧や潮の干潮、月の満ち欠けにも左右されるので、いかなガジェットを使っていても自然に住まわせてもらっている身なのだと再認識する。



人間は窮屈


人間同士の苦しさに溺れる事は多い。関係性がうまく構築できないし維持できない。幼少期から家族でも友達同士でもはみ子。そうでなくても情報過多の世の中だと人間で苦しくなるのは簡単だろう。一旦目を離す、自然の隣人の優しさに触れると心が解き放たれる。



言語の不自由さ


自分の感覚が言語で語ることができて、所詮私もヒトという悪者の一人だと俯く。自然の事は自然に聞けばよい。どれだけ言語を持たぬ物が雄弁に語っていることか。言葉を使うことは、寡黙になることではないか。



自然を知る


言語以外のサインに敏感になる。植物に触れたり動物に触れるのに言語は必要ない。命あるものとして寄り添えばいい。かれらの大らかさに触れた時、世界がはっきり拡がるだろう。

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