尻の写真撮るのか撮らないのか

階段で足を滑らせて3段ほど尻もちをつく形で滑り落ちた。突然の雨に遭い一緒にいた友人のアパートで傘を借りて帰る途中だった。つい数分前に友人のアパートの階段の急さについて軽口を叩いた矢先の転倒。どうも「友人」という存在は急な階段の建物に住む傾向にあるように思える。背中を打ちつけたので息をするのも苦しくしばらく立ち上がれずにうずくまる。結構な音がしたので物音を聞きつけた友人が部屋から出てくるかと思い少しそのまま姿勢で待ったが特に何も起こらなかった。じゃあもう何事もなかったように立ち上がるしかないので何事もなかったように立ち上がり散らばった荷物を回収して階段の下まで落ちていった傘を拾った。一人でいるってこうだよなと思った。傘が壊れなかったのは幸いだった。

右の尻の形をした痛みが意識に張り付いていてこれは少し面白い。帰宅して尻をなでると右の尻が明らかに左より大きい。右の尻がパンパンに腫れてる。見たいと思った。左より大きくなってる右の尻を是非ともこの目で見たい。下着を下ろし体をひねって右の尻を見ようとするがこれが案外自分の尻は自力で見ることが難しい。コンディションが万全なら結果は違ったと思う。しかしあいにく俺は階段で転倒したばかりの成人男性で、体の可動域がまあ狭い。悔しかった。背中が痛い。体をひねるたびにこんなことしてる場合か?とでも言いたいかのような無粋な痛みが走った。俺は今自分の尻を見たい。

俺の部屋には姿見がない。自分の全身に関しては新宿とかのガラス張りのビルで確認している。唯一の鏡はユニットバスの洗面所のものしかない。浴槽のふちに立って鏡に尻向けたら見れるんじゃないか、と閃いたがそんなことしてまたこけたら今度こそ頭を打って死んでしまうかもしれない。あとこけないにしてもなんか自分の尊厳みたいなものが失われる気がする。気高い自分のまま尻を見たい。

じゃあ写真か?スマホなんて便利なものがあるんだから自分の尻の写真撮ればこの問題は解決する。軽率な行動で失ったものが山ほどあるのでよく考えることにした。尻の写真を撮る。体をひねって自撮りをするのはコンディション的に辛いのでセルフタイマーでの撮影が予想される。尻の写真がiphoneのカメラロールに保存される。尻がどんな状態であったにせよ写真をみてちょっと笑ってすぐ削除するだろう。カメラロールから削除された写真はその時点ですぐに消え去る訳ではなく「最近削除した項目」というフォルダにしばらくは保存される。どうでもいいスクリーンショットやなんとなく撮った自撮りに尻の写真が交じり合い、やがて時間の経過とともに消えてゆく。尻の写真を撮るのか撮らないのか、自分の尻が画像データになることで抱えるリスクは確かにある気がする。単純にバカみたいだからそんなことしたくないよという気持ちもある。でも尻が見たい。尻の写真を撮るのか撮らないのか、答えがでない。

非正規雇用の首は軽いので2021年7月、コロナとかは特に関係なく職を失った。幸いなことに転職活動中だったので次の働き口はすぐ見つかった。非正規雇用ではなくなるので多少なりとも生活水準は向上すると思う。自分の人生に望むものはあんまりなくて後は大きい冷蔵庫が手に入ればそれでいいと思っていたが収入が増えるのであれば姿見を買おうと思う。それなりに働いて姿見を買って次尻が腫れたときはサッと自分の尻をみて一人で少し笑ってすぐ眠りたい。友人に傘を返さないといけない。

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