私のルーツ
週末、父方の実家である鳥取へ。
余談だが、倉吉の名物、”打吹だんご”は、あきがこない。
ちなみに、三色だんごは、それぞれが四季を表すが、かの秀吉が、秋(飽き)がこないよう、秋色を外した3色になっているそう。
マークも、だんごが4串並んでいる。
だんごのオブジェ。昔はトイレだったらしい。
どちらも、だんごへの強い愛を感じた。
この石谷精華堂さんには、本当に団子しかない。(1アイテム干菓子があるが)
朝6時から出来立てを提供されている。
日持ちはしないし、余計な添加物も入っていない。
早朝、出かける人がもっていけるようだと思う。
こういう当たり前のことを当たり前にやり続けていることが、本当に素晴らしいと感じた。
地元の名物と愛される点で、とても勉強になった。
話は戻るが、父とは小学生以来会っていない。
うちは母子家庭である。
昔は複雑な気持ちだったが、今は感謝している。
私は、鳥取が大好きだ。
人はおおらかで、星はきれいで、実は日本でここにしかない面白い場所がたくさんある(砂丘だけでなく)
たとえば、
豆にしか見えない石
この浜には、丸い石しかない。
波があたると、石が微妙に動いて音がなる。
なぜが人は高く積みたがる。
人生の成功の本質はバランスなのだろう。
そんな鳥取とご縁ができたこと。
また離婚したからこそ、家業(母方)と縁ができた。
実は離婚して家に私たちが戻ってきたとき、2代目(祖父)は、跡取りができたとたいそう喜んだらしい。(離婚していなかったら、私はおそらく、ただお菓子を食べるのが好きな甘党男子になっていただろう。)
どこまでのことが遺伝するのか定かではないが、(遺伝子を研究していた身ではあるが)、自分として、とても父方の遺伝子をもらっていると感じたことがある
1、創作への熱意
祖母は手先が器用で、いつも編み物をしていた。リュック、浴衣(もらって今も部屋にある)。
とにかく色んなものを作り続けていた。
2、自分らしさの表現
今は施設で寝たきりだが、死ぬまでにお手本でなく、自分の好きな字を思いっきり紙に書きたいと言っていた。
また、祖母の姉は、ごくごく一般の人であるが、自伝を製本して親戚中に配っているらしい。(是非読みたい)
自分もそういうことをしたい(後世、5代目に残すに値する人生を送りたい)と思っていたので、似ているとつくづく思った。
3、大義名分に生きる
見舞いに行くと、私の手をグッと掴んで、今の政治をどうにかせないかん。昔の日本を取り戻さないかん。と熱弁してくれた。私は1票を投じそうになった。ばあちゃんのこの熱意が、どこから湧いてくるのか。
自分も、甘納豆の未来、とか、日本の食の遺産を次世代へ、などが非常にモチベーションになるタイプ。将来の自分を見ているようだった。
今回の里帰りは3年ぶりだった。
家業の経営的に、行ってられなかったからだ。
4年目にしてやっと、こういう時間を持てるに至ったことをとてもありがたく思う。
自営業は自由であるが、業績もすべて自分の責任である。
3代目との方針の違いは、日々、多々あるが、その先にそこ、私が実現したい未来がある。
思考の中に未来がある。
未来を知る者は、それを作り出す者自身である。
この家業という環境は、私の成長の為に与えられたステージなのだと思う。
そして、私は自分でそれを選択した。
人生は選択だ。
私はそれを教わった。
何を、いつまでに。
最近、誰とやるか、の重要性をひしひしと感じる。
努力は尊いが、より尊いものがある。
それは、効果的な選択である。
自分の今日の選択(時間の使い方)は効果的だっただろうか?
今日も自分に問う。
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