意味

このエッセイは友人の触発を受け、書き始めている。いわばビーフのようなものだ。物書きになりたい私の小さな欲望を前向きに背中を押し出してくれた友人に感謝する。

日常から自分達は「意味」というラベリングの中で生きている。ふとXを開くと人生の生きる意味やら仕事やら日常についてポエティックにみんなが必死にポスティングしている。現職に意味はあるのか、彼氏彼女と過ごす時間に意味はあるのか。全てに対しラベリングをしないと気が済まないのが現代社会の病理なのではないかと私は感じている。柄谷行人は著書「意味という病」の中でマクベスを引用し、マクベスのドラマティックな死への意味付けを現代社会に照らし合わせ紹介している。また私の大好きな伊藤計画の著書「ハーモニー」に登場するミャハは人間の優しい世界、体内にWatchMeという機械を入れることに対して以下のようなセリフを放っている。

「体を見張るメディモルの群れ。人間の体を言葉に還元してしまうちっぽけな分子。そうやって、わたしたちはありとあらゆる身体的状態を医学の言葉にして、生府の慈愛に満ちた評議員に明け渡してしまうことになるのよ」

彼女は自分の体が言葉に還元され、全てが意味の中に葬らされることに強い拒絶を示している。タバコ、セックスあらゆる無駄は省かれた世界、「意味」のある健康なものだけを行う世界。そんな世界に対し彼女は昔売春があったことをとりあげ、カラダを売りたいの。と呟く。自分達が向かっている世界はハーモニーの世界なんじゃないか。全てにラベリングをすることにより比較が可能になる。定量的な評価が可能になる。愛も数値化可能なのだ。数値化された世界には雑味がない。大学を、仕事をふとした時に休み、川辺でタバコを吸いながら本を読む雑味がない。その行為に一切の意味はない。最近はマインドフルネスという言葉で還元は可能だ。その雑味に意味ありげなラベリングを施していく。プレゼントを贈るサンタのように丁寧な包装紙に包んだ優しい言葉を皆に贈る。俺の生きる意味ってなんだ。いつも強気なあの先輩は酔ってそう呟いた。

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