「ただ一人の死が数億人を覚醒させることがあると思うか?」~志村けんの死が人々の感情に与えた影響

志村けんさんがコロナウィルスで亡くなりました.ドリフ世代真っただ中だった身としては残念でなりません.

前の記事で週末に向けて人々の感情が油断から緊張へ戻ったのかということをTwitterから分析しようと試みたあと,実際に週末がどうなったのか調べていたのですが,25~26日には逆転していた「怖」の感情の出現率と「喜」の出現率が再び逆転し「喜」が増加しており,「怖」の感情の割合は29日に若干上昇する程度だったため,やはり緊張感を週末まで保つことができなかったのか,と残念な気持ちでいました.

しかし,そこに飛び込んできた志村氏が亡くなったというニュースです.このニュースの影響は非常に大きかったです.「怖」の感情,「厭」といった感情が一気に増加することとなりました.もちろん「哀」の感情も一気に増加しています.

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これは,1月16日から3月31日6時までの21,391,203ツイートを調べた結果となります.グラフの横軸が日にちを,縦軸が各感情が含まれるツイートの割合を示しています.各点は直近24時間の平均値です.

この増加はどのくらいだったのでしょうか.全期間のデータと比較してみると,こんな感じになりました.

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「厭」の感情はコロナウィルスの発見以来ずっと増加傾向にありましたが,最大値を一気に伸ばし,「怖」の感情も2月の頃のレベルまで増加しています.ここまでのネガティブ感情の増加はこれまで誰のどんな会見よりも大きな影響があったといえるでしょう.

もちろんこれはまだ3月31日6時現在の状況であり,これからどう変化するかはまだわかりませんが,緊急事態宣言までぎりぎりの状態といわれているのですから,志村氏の死がきっかけで人々の行動が楽観から慎重へシフトしてくれることを祈るのみです.

ちなみに,小池都知事、志村けんさんの死去を「最後の功績」。ネット上で批判の声という記事もありました.功績という言葉が相応しいかは分かりませんが,少なくとも志村氏の死は我々の感情を変えるという意味では,大きな影響を与えていったといえるのではないかと思います.

それにしても,100万の統計データよりも,有名人の死という一つの物語が人々の行動を変えるということは,昔から言われていることではありますが,現在の科学コミュニケーションの限界を感じます.FakeNewsもそうですが,こういった機会に改めて科学コミュニケーションについて考える必要があるかもしれません.



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