M/E 球体の上 無限の連なり より

M/E 球体の上 無限の連なり より

6月の頭、初めて川内倫子さんの展覧会「M/E 球体の上 無限の連なり」に行きました。日本での展示は理由は忘れたけど逃してしまい、たまたまエストニアのタリンに巡回していたのでいくことができましたラッキー。

並列される二つのイメージ

展覧会でとりわけ印象に残ったのはやはり、二つの画面が並列された映像作品でした。それぞれの画面には、異なる描写を移した映像が流れ続ける。「うたたね」以降の主題であったミクロな世界と数年前に撮ったというアイスランドの圧倒的なマクロの世界が同時に画面に映されています。この二つの画面をつなぐものは何のかと考えていると、なんだか抽象的な断片のようなものが想像されるような気がしてきます。太陽によってキラキラ光る粒のようなものと、しぶきをあげて落ちる滝の映像が流れる。ここにはおそらく、粒子とか軽いとか消えてしまうとか、そんなイメージを共有しているように思えます。他にもコップの中の小さなヘビの映像とアイスランドの海の波の映像が並置されていて、うねうねとか、そんなものを共有しているかもしれない。リンゴの皮むきと飛行機からみた水平線とか。楽しい。
スケールとか文脈とかがまったく異なる映像をこのような断片を持ってしてつないでしまうことは、とてもおもしろい気がしてきます。図録の表紙が2種類なのもそういうことかあ。。。と

AILAより

後に調べていると、この二つのイメージの並置というのは、「AILA」にてすでに扱っているとのことでした。この写真集では見開きという形式をつかって、右と左に一つずつ写真が配置されています。そこでは形とかテクスチャとかが共通するようになっていて、その上二つの写真の間に生じる意味は消されるようになっている。ただただ二つの写真のつながりを繰り返し見せていく。順序なんて関係ない、めちゃおもしろい。コラージュのように思えてくるし、めちゃおもしろい。異なるイメージがなんだか類似するように見えてきて、完全に切断されたものではないことに気づく。境界は簡単に解体されてしまう。M/Eにも通じているように思えます。

脱「いま=ここ」もしくはイマジナリーライン

一年ほど前、住宅の内装を考えているとき、この場所が「いまここ」ではない、いつか・どこかと接続できるような状態にできないか、みたいなことを考えていました。映画的に言えばイマジナリーライン。時間と所在を抽象するにはどうしたらいいか悩んだ挙げ句、床と柱はその連続的な性格をつかって他なるものを具体する装置として、壁と天井は囲いとして限定する性格を弱めるような意図でテクスチャを施した気がします。
「いまここ」的な小さな世界と自分から少し離れた世界が表裏一体的に現れること、もう少し具体的に考えてみたい。「形・大きさ・質感」川内倫子さんの展示・写真集めちゃおもしろい。なにはともあれAILAほしい。。


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