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家にいるのもわるくない
ちょっと用事があったので、電車で出かけたら街に人が溢れててびっくりした。明らかに先月までと比べて人出が多い。
まあいいんだけど。なんだかその様子を見ているだけでも疲れてしまって、早々に帰った。
お出かけを楽しむのはいいことだ。でもどこか余裕がないような、へんな気の張りつめ方をしているような気配を感じてしまった。「(今まで散々我慢させられてきたのだから)楽しまないと自分が可哀想だ」みたいな必死さ
たまにはどうでもいいことを。
暑くて蒸してる時期が好きだ。28℃〜30℃くらいだと体調がいい(気がする)。陽射しのなかをじわぁと汗滲ませながら歩くと「夏を生きてる」という実感が湧いてくる。
ただ、20代の頃から夏は食欲が落ちて睡眠時間も短くなりやすかった。それでも元気で活発に動けたので、良いことだと勝手に解釈してたのだけれど、さすがにアラサーだし「これはあまり体によくない兆候だよなぁ」とうすうす思うようになった。
冷静に考
元気がなければ普通でいられたらいいのに
なにがつらいわけでもない。生活面で困ってることもないし。ただ、外に出なくなった。
ゴミ捨てがなければ玄関のドアを開けないこともザラだ。もともとない食欲もいよいよないから、買い物も週2回以下だ。今日は光熱費の支払いに行かなきゃだからこれからコンビニ行くんだけど行きたくない。
川沿いの公園の、遊べないようにテープを巻かれて封鎖された遊具とか。
にわかに増えた市民ランナーが軒並みマスクをしてる姿と
日向ぼっことしての編み物
世の中に意味のあることが溢れ過ぎじゃないかと思って。
だから不毛なことを一生懸命やろうと思ったんですよね。
そもそも今年の目標は「日向ぼっこをたくさんする」だった。高校生から専門学校、社会に出てからも実家を出るまで、よく日向ぼっこをしてたのだ。自室の狭い日溜まりに体育座りして。ポッドキャストの落語とかTSUTAYAで借りてきたミスチルのアルバムとか聞きながら。村上春樹やら吉本ばななやら読むことも