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第5話 「人類皆兄弟VS人見たら泥棒と思え」(滋賀県)

自転車日本一周旅 〜人生で大切なことはすべて旅で学んだ〜


日本の東西南北のそれぞれの最端に自走力で立つことを目的に、少しの不安と大きな期待、そして、少しのお金とあり余るほどの自由を持って旅立った自転車日本一周旅。
日本のテッペン日本最北端「宗谷岬」はまだ遥か彼方にあった。
友人知人との再会を果たすジグザク走行を繰り返す自転車旅。
兵庫県丹波篠山市を出発した自転車日本一周旅は、兵庫県明石市から国道2号線を西に激進し、岡山、広島の友人宅で休息をはかった後、広島県尾道市から本州と四国を結ぶ連絡橋「しまなみ海道」を渡る。四国の愛媛県今治市に到着したのが、出発から15日目であった。
そこから徳島市を目指し四国山脈を右手に吉野川沿いを走る。途中、日本百名山「石鎚山」「剣山」を登頂。四国ではお遍路さん(八十八ヵ所巡り)の存在を知ることとなる。
徳島港からフェリーにて和歌山港に渡る。和歌山市から紀伊半島をぐるりとU字走行し、三重県尾鷲市までもう一息のところまで来ていた。

その日は、起伏の激しい紀伊半島を走る国道42号線から少し外れ、熊野市にある新鹿海水浴場で野宿をすることにした。 新鹿湾に面した海水浴場で、海岸線が入り江状になっているため波も穏やか。景観・水質の良さから「快水浴場百選」にも選ばれている。夏場になると多くの人で賑やかになるような雰囲気のある海水浴場だ。
しまなみ海道テント水没事件を経験したので、浜辺から少し距離をとってテントを張る。
すると地元のご老人たちがやってきた。

「よく日焼けしているなぁ。」

「太い脚をしてんな、競輪でもやっているのかい。」

他愛のない話をして、尾鷲方面に抜ける裏道情報を得る。
今はシーズンオフで稼働していない海辺のシャワーを借りることができた。
ありがたい。汗ばんだ身体は気持ち悪い。不快感から解放され、深い眠りにつくことができた。
翌朝、波の音で目覚める。穏やかな朝の景色が美しい。缶コーヒーを飲みながらしばらく海を眺め、身支度を整えていると、昨日のご老人のお一人が犬の散歩にやってきた。
「これ、作ったから食べてくれ。まずいかもしんねぇけど。」
とおにぎり弁当を手渡してくれた。ありがたく頂戴した。


自転車旅は、続いていく。尾鷲の急勾配の峠を乗り越え、名古屋市内へ。そして岐阜へと北上し、滋賀県の長浜市方面へ。
琵琶湖を左手に北上。ようやく日本海沿岸が目前に迫ったのが、出発から36日目の5月25日だった。

本日は、余呉湖の側にキャンプ場があるようなので、そこを本日の宿泊地と定める。余呉湖は、琵琶湖の北に位置し周囲6キロほどの、多彩な淡水魚が生息する綺麗な小さな湖だ。
天候は快晴。5月のカラッとした風が強く吹いている。
走行中、向かい風に悩まされる。風速10㍍はある風が常に向かってくる。上り坂を走っているような感じだ。
向かい風は結局、一日中吹きっぱなしでガクンと身体は疲れた。
夕方近くに予定地の余呉湖キャンプ場に到着。
キャンプ場と併設されている国民宿舎で手続きをすることにした。
ところが、ここの支配人ふうの男が、とんでもなく無愛想きわまりない奴だった。
せっかく向かい風の中、長い時間をかけてはるばるやってきたのに、まず国民宿舎の玄関に立っているオレの存在に気付いている従業員3人は、誰も対応してくれない。
ようやくおれの方から声をかける。

「キャンプ場で一泊したいのですが、どこで手続きをしたらいいのでしょうか?」

極力、丁寧な言葉遣いで従業員の一人にお願いした。
支配人ふうの男がズカズカとやって来て、無愛想に言い放つ。

「今日はやってねぇんだよ。土日しかやってねぇんだよ。バカ野郎。」

バカ野郎とは、言っていないが、人を見下すような誠に残酷な言い方をした。
おれは少しむっとしたがこらえる。

「それでは、国民宿舎の入浴だけでも利用させていただくことはできないでしょうか?」

出来る限り丁寧にお願いする。
しかし、支配人は、そんなもの絶対使わせねぇぞ、と言い放つ。
醜い支配人は、観光マップを取り出し別のキャンプ場に行けという。
つまり、お前はとっととこの場から去れ、と言っているのだ。
はっきりオレはこの醜い男が嫌いになった。すばやくここから立ち去ろうと思った。
結局オレは、来た道を引き返し国道に戻った。
すでに夜は更けていた。日本海に続く道のどこかで野営地を探す。
交通量の多い国道の夜の走行は危険だ。
自転車横スレスレを大型車が走り抜ける。
身体も今日の強風の中の走行で疲れ切っている。
バスの停留所があった。停留所が小屋になっており、人通りもほとんどない。体力も本日の向かい風で疲労困憊だ。本日の野営地とした。
自動車の騒音がうるさい。汗をたくさんかいたのに、風呂に入れなかったという不足はあるが、なかなか快適な場所だ。
結果オーライとしよう。


旅を始めて約1ヶ月が経った。
日常生活では味わえない刺激的な日々だ。
今日の余呉湖国民宿舎での仕打ちと、先日の新鹿海水浴場での温かいおもてなしを思い返す。
人生も旅もその刺激を高めるのが、人との出会いだと思う。

「人類皆兄弟」という思想。
「人見たら泥棒と思え」という教訓。


自力旅ではこの両輪を回しながら進んでいく。
自転車の前輪と後輪のようなものだ。
両者のバランスをとって進まなければ、転倒することになる。
「人見たら泥棒と思え」という疑念で旅をしても一体何が得られるだろうか。
出会う人に対して疑いの目でハリネズミのようにコチコチになって顔を背けるだけでは刺激的な旅の思い出は作れない。
旅先でトラブルや事故、理不尽な嫌な思い出だけが残って帰るのがオチだ。
かといって安全な旅ができたというだけでは刺激に欠ける。
自力旅の喜びは、常にその両者の際どい境目にある。
「人見たら泥棒と思え」という教訓と「人類皆兄弟」という思想はどちらも真実なのである。
その両方のバランスが取れたところで旅をする。事実は一つ、捉え方は無限なのだ。



余呉湖のような理不尽な嫌な思いをしたら、言い聞かせればいいのだ。

「苦しいこともあるだろう。
 言いたいこともあるだろう。
 不満なこともあるだろう。
 腹の立つこともあるだろう。
 泣きたいこともあるだろう。
 これらをじっとこらえていくのが、男の修行である。」


山本五十六氏が言うように、困難や挫折に出会っても、人生を深めてくれる好機と考え、理不尽な目に遭っても、修行と思えばいいのだ。

新鹿海水浴場での喜び事が起これば思い出せばいいのだ。

「喜べば、
 喜びが、
 喜びながら、
 喜びを連れて、
 喜びに来る。」


起こる出来事は全て自分にとってありがたい現象なのだ。
 
人生における三大資源とは、時間とお金と想像力である。
時間とお金には限りがあるが、想像力は無限である。
起こる出来事をどのように解釈するかは、想像力を働かせばいいのだ。
起こる出来事は中立だ。
良くも悪くもない。
色メガネで見ている自分の心があるだけだ。
自分が快適になるように都合よく解釈すればいいのだ。
事実は一つ、捉え方は無限なのだ。
命に別状さえなければ人間はどんなふうにしてでも生きていける。
それをトラブルの中から掴むことができれば「グッド」である。
平均的にそれなりに効果がある万能薬と副作用も考えられる劇薬とだったら、刺激を求める劇薬が自力旅だ。

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