固有名詞の忘却、あるいは社会への敵意

痴呆

私は一応クイズプレイヤーなので早押しクイズを押して答えることもあるわけですが、問題文を全文聞いたことあるのに、答えがわからんという状況に何度もなっています。何なら自作問題ですらそうです。
例えば「超流動」とか「汗牛充棟」とか、そういう概念は答えられるんですよ。ただ人名・グループ名が致命的で、例えば私はトルストイとゴーリキーとドストエフスキーを作品名から区別できません(誇張)し、法則・公式の名前でもそうですね。人名由来だとそこが死んでしまう。

対策

してないんですけどね。

私の場合、一般的に使えるメソッドを習得していないので、例えば不連続面なら「地表から順にモグレ(潜れ)だ」とかそういう閃きと発見で記憶しています。前述の話と食い違うようですがきっかけがあれば名前は思い出せるんですよ、ある程度は。

逆に、とっかかりがない新規の個人名、例えば「期待の新人」みたいな人の名前は絶対に覚えられないし、そうだと思っているので覚えようとしないんですね。
そこで対策してないという話になるわけで、当然その辺の理解が浅いので私は「芸能」系問題が全く作れないのです。Wikipediaもそういう人向けの情報集積ではないしね。
アニメとかだとニコ百とか補助線が引けるわけですが、例えば昭和末期の歌手とか、代表曲をWikipediaだよりにするしかないわけで、そこには少なからず現実との乖離があると。

このあたりの課題が重すぎて、楽な方に流れる僕は作問を主にしたし、その作問に芸能問題は含まなかったわけですね。

社会構造

人間が何かの間違いで社会的動物となってしまった以上、我々は生活のために分担した労働を強いられるし、そこでの他者とのかかわりを避けられないわけです。
他者との円滑な交流のためには何故か芸能系の固有名詞を要求されるんですが、前述の特性のおかげで私にはもうどうあがいても届かないわけですよ。僕を曲げない限りね。

議論の拡張

固有名詞が覚えられない話の拡張に、本来的に興味がないということがあります。
芸能系ニュースに微塵も興味がなく、スポーツも遠くから抽象的に見ているうちが真に楽しめると認識しているので、そもそも「覚えられない」ことを「覚えなくていい」生き方をしてきたんですね。
そうこうしているうちに、どうも私は「人名を覚えない」癖がついたようで、例えばTwitterのプロフ画像とHNは結びついて、そこにその人の情報がくっつくわけですが、そこに「本名」の介在する余地がないわけです。
これは本人の外見的特徴すらそうなので、ちょっと僕の非社会的性質というか、そういう意識の顕在化という話なのですが、特定のごく少数とさえ氏名を一致させていれば社会の成因となれた学生時代を抜け(中学時点で同じ部活の約20名のうち5人くらいしか名前を認識してない、それも苗字だけ)、気づいたら社会人になることを強制されるわけです。私は三重くらいに院に行けない理由があるので。
そして、ここで楽に流れる形質が発動すると、(勉強は私にとってよほど楽なので)ルートが大まかに確定するわけです。小規模集団社会に進めない方向で。
この暗い先の黒が見える中で、どうしろというのか、というのが最近の悩みですね。

補足、あるいは誰かに向けた暗記法

私の記憶ロジックについては若干考えていて、多少抽象化した状態、例えば「N=mg」であれば(Nは力、mは質量、gは星に固有の重力定数)、この式をそのまま覚えるわけでなく、「(ここでいう)重力定数は、質量に応じた力のサイズを星ごとに定義づけるものだ」と覚えます。これは無意識化でできますし、特殊なことではないはずです(物の用途とかまさにそうじゃないか)。

固有名詞(が付属するもの)についても同様に、「この人は、スポーツ(特に野球)を観るのが好きで、物理側の理系で、クイズは基本テレビを見て習得している」し、「私にとってこの人は1つ上の先輩で、同じ高校で2年からクイズを始めた人だから歴は同じくらい」だと、関係性と固有イメージを認識するわけです。(例示に該当する人はいません。明確に。)

そこに本名は存在せず、例えば大会で見かけたら「この人は野球問題解けるな」とは思うけど、HNすら覚えてないことまでありうる。
ちなみに外見的特徴も大雑把なイメージ、例えば「お札に描かれてた伊藤博文っぽい」とか「暗めの色の服と、黄色い線が入った、緑色で大きめのリュック」とかしか覚えてないので、ロングだったのをショートにして眼鏡をコンタクトにされると私は認識できません。HN聞いて「聞き覚えあるわね」ってなるくらい。

補足になってるか?タイトル詐欺じゃんね?
まあいいや。

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