今は亡きTwitter、あるいは代名詞

私はツイ廃を自称しています。

改名


固有名詞が覚えられない僕としては、表記が変わろうと名前が変わろうと別に何でもいいかな、という思いが強いです。
ちょっと遠くにあるかもしれませんが、”人の外見”と同じ(なぜなら覚えられないから)で、別に変ってもいいかな、変わって損することはそんなにないでしょうし。という考えでいます。

ただ肝腎なのは”同じ場所では同じようにいる”ことで、少なくとも同一人物であることを示す必要がある場所ではそうあるべきだとも思いますね。
ダブルスタンダードに思えなくもないですが、同じであるべきは別に名前に限らないということを社会に訴えたい。なぜなら私にとってその社会の方が都合がいいから。

Twitter


私の精神がぼろぼろになった原因であり、それでもなお生きていられる原動力でもあるマッチポンプ媒体。「私が知りたい日本」では最も使われているSNS。だから一番便利で、そこで生きていたいんだけどな。

最近もファクトチェックを部外者が行えるようになるなど、環境として良いものとなり続けてはいるという感じではいます。スパムがよみがえってきたり謎凍結が増えたり結局わかりにくくなったりしてはいますけどね。

Twitterのアカウント名と画像は無限回見るので当人のツイートと結びついて認識されるわけです。どうしてそっちで生きていけないんだろうとVR黎明期から真面目に思い始めました。VTuber文化を知るとよりそう思えますね。
そのためのマイナンバーだと思うんだけどな。

X


被害者A・Bに対する容疑者Xとか、とりあえずの変数xとか、ちょっと使いにくくなったんじゃないのかな、とは思いますね。
だから何なのか、という話でもありますけど、せっかくのサービス名なんだから、ただ好きな文字という以上の命名理由を明示してほしいな、というクイズ屋の思いです。

今日はこんな感じ。これから企画なので。

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