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占いに何を求めるか?

ここのところ、ちょっとそんなことを考えるきっかけがあって、私は占いに何を求めてるのか?と考えをこねくりまわしています。

占い、と一言に言っても、私にとっては、

・人を占う
・人に占ってもらう
・自分を占う
・占いの内容を説明する

というような側面の中でその都度占いというものを使い分けているわけです。

私は昔から人に見てもらうのも好きで。駅ビルの手相のおばさんに幼稚園の頃からワクワクしてみてもらいました。

"あなたはとてもおしゃれ好きねえ"
みたいなこと言ってた気がします。
幼稚園生だったので、おもちゃのビーズのネックレスとかしていたのを覚えている。あの頃の手相を何処かに残しておいたら、今見る事が出来たのに、と思う。

ちょっと背中を押して欲しい時、たびたび占い師さんに会いにいった。なんていうか、今感じている自分の確認みたいな感じであった。今でも人様にお願いする事はある。自分の事って客観的に見るのは難しいから。

そして、最も自分をよく占ってるのは自分でもあります。
納得いかなかったり腑に落ちない事をどう落とすか悩んでる時なんかは、自分で占った方がじっくり悩めるような気がするのです。

では人を占う時、私はどうなっているのかというと、一言でいうと、真剣です。
それ以上でも以下でもありません。

必要な方法とタイミングがそこに集約されていること、その人の生きる力を信じて、素直に出てきたものを読むのです。特に霊視とか、霊感というものは持ち合わせてないけど、星もカードも必要なタイミングで必要な事を語ってくれるので。

もちろん、いつも私が広くいられるように常に学びの日々です。

ただ、同時に、私はみんなが自分を占う事にも興味が出たらいいなと思います。カードや星に自分を投影したり、自分の中に世界を作る事は、時々人として必要ではないでしょうか?

同時に別になくても良いのだとも思っています。
運命なんか信じない、何も頼らず、地道な努力を欠かさない、そういうのも嫌いじゃないです。
生きていくにはそういう気概が必要な場は度々生ずるでしょうし、実際、ものすごく大変な最中、占いどころではない!という事もあるでしょう。

ただ、努力の先には言葉にならない何かが後押ししてるとしか思えない時もあります。
そして、多分、一人で孤独に岩に齧り付いていると思うより、見えても見えなくても、自分と繋がり合う何かがあると思った方が生きていく事は心強いのではないかと思うのです

ただのカタルシス効果だけではなく、そんな、心を強化してくれる力もあるのではないのかな、と思います。ただのぬいぐるみに名前をつけた瞬間から、自分の愛すべき対象になるように、星やカードという形を取る事で、自身の世界が彩られて広がる。そういう事の為の占い師であり、占いで、私の求めている事なのかな、と思っている事に気がついた次第です。

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