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肉を焼いて名探偵ピカチュウに思いを馳せる -2020.05.22-

ローストビーフを作りました。

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もう少し中に熱を通してもよかったか。いやでもこのくらいのレア加減が好きかも…なんて思いながら食べた。おいしい。実はお昼にどうしても焼き鳥が食べたくなったので結構な量を買って食べていた。そのせいかローストビーフは結構余ってしまったので、明日改めてパクパク食べていきたい。肉は美味。


金曜ロードショーで名探偵ピカチュウを観た。

去年この映画を劇場で観に行って、「感動」という言葉では到底言い表せないもっともっと大きな感情を知った。わたしはアニメが始まった3歳くらいの頃から今に至るまでこのポケモンというコンテンツに人生どっぷり浸かっていて、「ポケモンが当たり前にいる世界」を夢にみていないわけが無かった。だからこの映画が街、草むら、空、公共の施設、たべもの屋台、お店の看板に至るまでポケモンのいる世界について考えに考えを重ねて作られていること自体が本当にありがたくて、感謝の気持ちで胸がいっぱいになってしまう。電気を食べる小さなむしポケモンが電線の上を歩き、とかげポケモンが窓に張り付いている風景が大写しで目立つことなく、しかし観客の目に確実に映るように配置されている。これが「この風景はこの世界では『当たり前』として描かれている」ということである。この演出がこの映画ではとても一貫してくれている。

絵やテキストから想像できる世界と実写で「こうだよ」と表現されている世界がほぼ自分の解釈と合っている・またはそれ以上であることが生きていてどれだけあるだろう。それに至るまできっと何度も再考を重ねられたと思うし、製作はとても長い道のりであったかもしれない。とにかくこの映画はわたし(とおそらく多くのファン)が夢見ていた景色が実感を持てるくらい写実的に作られている。これはまぎれもなく「愛」と「夢」の顕現だ。

そしてエンディングである。これは、これはもうもはや何も言うことはないでしょう。愛とリスペクトがふんだんに詰まったこの映像、わたしは劇場で初めてこれを見た時「こちらこそありがとう…」と感謝しながら静かに、そして激しく涙を流した。最初から最後まで、徹頭徹尾「その世界」を表現した映画だった。

この日、「ポケモン」というコンテンツそのものがわたしにとって奇跡のものであることを改めて悟った。だってわたしが小さいころからアニメみていて、ゲームだってリアルタイムでたくさん遊んで、いつのまにか日本中のみならず海外でもいろんな地域と言語で人気が出て(それも20年以上!)、自分がアラサーになっちゃうくらい長い長い年月が経っても新作新キャラどんどん出してる(しかもその情報が自分の母語で分かる!)、そんなコンテンツってそうそうあるものじゃない。わたしの小さな頃に生まれ、わたしと同時期に成長して、今なお歩みを止めないコンテンツと共に生きてこられたことは、わたしにとってとても恵まれたことなのだ。


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劇場の帰りに心でオイオイ泣きながらポケセンで買ったぬいぐるみ。

嬉しく思います