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公務員からなぜ苔農家に

もともと農業には縁と誇りを持っていました。

生まれ育ったのは山口県の柑橘農家。
畑の中でニコニコと迎えてくれる母の腕に飛び込んだ時の、土埃の匂いを今も微かに覚えています。小学校の授業で、将来の夢は「農家のお嫁さん」と書いたのは、農業者である両親の背中を、素直にかっこいいと思ったからでした。

公務員として世の中に揉まれた日々は、それはそれで貴重でした。何よりこの人には敵わないと思える上司や、一生付き合える友人にも出会えました(夫にも)。でも、私じゃないとできない仕事、というのにどうも出会えなかった。初めての産休で休んだ時に、私がいなくても問題なく仕事が回っているのを見た時、特にそう思ってしまいました。

初めての子育ては果てしなく迷い込んだ迷路のようでした。ど田舎過ぎて近所にママはいない。散歩中に、ベビーカー?と期待を胸にご近所を覗いても、おばあちゃん用の手押し車だったりして。

そんな中、私を癒してくれたのは裏山に広がる苔の絨毯でした。

山と川と土が、面積の大半を占めるこの地域では、水の循環が目に見えます。朝霧が山を登り、また夜には霧になって蓋をするのです。

このような環境を、苔たちが見逃すはずは無く、私が来るよりも何年も前から鎮座していた無数の苔たちは、新参者の私を受け入れ、苔のとりこにしてくれました。見れば見るほど、知れば知るほど面白い、苔の世界。

ちょうどその頃、外国人のホストファミリーをしていて、各国からそれは多様な価値観を持ってやってくる彼らに、刺激を受ける日々。心も体も自由に、目標を追い続ける彼らの軽やかさに、私がこれまで築いてきたお堅いレールはついに崩壊したのです。

私も自分にしかできないことを仕事にしたい。
ここには苔が豊富にある。
そして私は苔が好きだ。
ここでの生活も大切にしたい。

ある日窓から森を見ていた時、途切れた雲から光が刺して、これらの要素が化学反応を起こしたのです。それが苔農家を目指すことになった経緯です。

ただ現実は思い通りにいかないことも多い。
でも後悔した事はないんですよ。だって日本の苔文化を支えていける仕事ですから。かっこいいじゃないですか。

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