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いつかお会いする方へ「丸4年半のツイ廃生活お疲れ様でした」

※令和4年6月21日(火)早朝に書きました。

またTwitterアカウントを削除した。
やはり私にはTwitterは合わないのだ。

娘の仕事の窓口として持っているアカウントは、発信というよりも、連絡手段としての機能が強い為残している。

私がTwitterを登録したのは、割と初期の頃。少しやり、すぐに放置した。
そして、一番最初に作ったアカウントから、これで四回目。
そして、ツイ廃を約丸4年半やってみたが
「やはり私には合わない」と思った。

発信とはなんだろう?
と思うのだ。

丸4年やってみて「私には合わない」と何度も思ったので、娘仕事の窓口以外でアカウントを作る事は、今後無いだろう。

例えば、私の目標が叶ったとしても、個人的なアカウントは作らないだろう。

今は逆に楽なのかもしれない。
発信方法はいくらでもあるからだ。
自分に合う発信方法を使えば良いだけの事だ。

「自分とは違う考え方意見を聞く知る事は大切」
と見掛けるが、日常の中で反対の考え方に触れていないという事なのでは?
と思いながら眺める事が多々あった。

「好きな人に囲まれていたい」
「好きな人達とだけ仕事をしたい」

言ってる事が真逆だ!と思う事が多々あった。

好きな人達だけに囲まれていたら、自分とは違う考え方、価値観と触れ合うチャンスも少ないだろう。

私は陰ながら応援している方が数名いた。

私が数年前Twitterを再開した時は、その人はまだフォロワーさんは3,000名台。
自分のマイナス部分を曝け出し、同じ事で苦しむ人達に向けて発信をしていた。

今は自分の道を定め、着実に歩き出している。
他にも数名。

いいねやリツイートで応援しなくても、自分達それぞれの道を歩き出している。

勝手に「自分の道をしっかりと歩み始めて良かった」と思っているのだ。

以前アカウントを閉じた時は
「Twitterなんて辞めてやる!」という気持ちだったが、今は違う。

「もういいかな。Twitterありがとう」という気持ち。

そして、今の私に必要なのは
「SNSをやらない人の気持ちを理解する事」

それが大切。

「約丸4年半のツイ廃生活お疲れ様」
とアカウントを昨晩閉じた。

そして、今朝はラジオをつけ、インスタントコーヒーを飲みながら、これからの予定を考えている。

嫌だ嫌だ
辞める辞める
苦手苦手
と言いながらも、丸4年よく続けてこれたなと苦笑いしている朝である。

丸4年ツイ廃しながらも、依存症にならなかったのだから、余程合わないのだろう。

依存症の弊害?は、
目の前にいる人との会話が確実に減る事だ。
現実に繫がっている人との、メール、LINE諸々での会話が確実に減る事だ。

この四年間で痛感している。

SNSは道具である。
自分に合う道具を使っていく。

私は、以前から
「物事には全て二面性がある」という考え方である。

合わないという私がいるならば、
とても合うという人がいて当たり前。

「頑張ってね」
「楽しんでね」
と思いながら、誰にも告げずに
解除ボタンを押した昨晩である。

丸4年のツイ廃生活
お疲れ様でした。

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