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鳥飼重和の「何があっても上り坂」第3回 人生遅くない

YouTubeで公開している「鳥飼重和の何があっても上り坂」の内容を文字起こししたものを記載しております。文章を読みやすくするため、一部加筆修正を行っております。ご了承ください。

弁護士の鳥飼です。
今日は人生に年齢は関係ないというお話をさせていただきたいと思います。

①出だしではない、出会いが大事

私は弁護士だと非常に遅くて40を過ぎてから弁護士になった人間ですけども、それで遅かったかなっていうと当時早い人は24歳か25歳ぐらいで弁護士とか検察官とか裁判官になったいう同期の人がいますけども、その当時からすると私は「遅咲きの桜だね」という風に言われまして、横浜で修習受けたんで「あんた東京に行ってもろくな就職先ないから横浜で生活したら、僕ら仕事分けるからいいんじゃないか」って弁護教官というんですけど、弁護士業務を教えてくれた人達に言われましたけど、やっぱり行くなら東京だと思って、実は東京のしかも丸の内にある企業法務だと思われてるような法律事務所に登場も就職が楽でしたからすぐ就職しました。途中で有り難いことにほとんどの方がやってない税法という世界を私が巡り会ってやることになって、それで目立つようになって知名度も上がってきた。そういう出発点で非常に幸運な出発をしたんですけど、その後でもやはり年齢関係なしにいろんな点で他の人と違うことにたまたま出会いましてですね。そこからまた別の会社法っていうあれは株主総会という、そういう分野でも名前を知られるようになって、いろんな機がありがたいことに仕事をさせていただいた、ということがございまして、その経験からまた言いますとですね、年齢関係なしに自分なりの生き方、これは自分にしかできないというものに出会ったり(できる)、こうやって遅く弁護士になったけどもやっぱり弁護士になって良かったねと思えるような、実は人生を歩めるのであります。

②生き方に年齢は関係ない

私の周り見ても遅咲きで出た方で、その後でずぅっと 伸びたって素晴らしい活躍をされてる方はたくさん実は見えておりまして、したがって遅いからダメだとか、自分はうまく今までいってなかったとかいう方でも、ところが前向きじゃなければいけないんですけど、もっと自分たちはいいとこ行けるんじゃないかと、もっと活躍できるんじゃないかって、自己否定しないで、自分を活かせるところを見つけるような形でいろんないい人との出会いがあれば不思議と道は開けるものでありますですね。それでも今相当の私は歳になってますけど、年齢を言うと驚かれるんですけどその年代よりももっと若くまだ創業の精神は全然失っておらずにですね、こういうことをやりたい、ああいうことやりたいっていうものはたくさんございまして、死ぬまでにどこまでやれるかって問題はありますけれども、年齢を考えないで生きていける社会に変わってきたのではないかというのがありますので、どうか年齢を忘れて自分のやりたいことを、人がやってないけど自分がこう突破したいんだというものを持っていたら、そこに進むだけのことをやっても世の中必ず見てくれると思いますので、「自分の年齢を忘れる生き方」を是非していただきたい。それによって後悔のない生き方ができるんじゃないかということを今日は申し上げたいと思います。どうか頑張っていただきたいと思います


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