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風船太郎に救われた話

「お笑い」が好きだ。
自分ではあまりテレビを見ない側の人間のつもりなのだが、録画している番組の話をすると、「めちゃくちゃテレビ見てますね!」と言われる。そうなのかもしれない。
ネタ番組やコント番組、芸人さんがトークしている番組などが好きで、予約録画している番組は10以上ある。リアルタイムでテレビをみることはほぼないので、自分としてはテレビを見てる感覚ではなかったのだが、そう言われると、たしかにめちゃくちゃ見てる。

演劇を始めたのは高校演劇部からなのだが、その影響もありそのころからコントをよく見るようになった。
今でも「一番好きな芸人は?」と聞かれたら必ずバカリズムを挙げるし、言葉遊びやシュールな設定が好きでラーメンズばかりみていた。
たぶん、比較的「頭を使う」タイプのお笑いが好きなんだと思う。

高校生活の一番最後、3月11日、東日本大震災があった。当時私は宮城県仙台市にいた。

もう10年経つが、いまだにその記憶は鮮明で、ことあるごとに震災の話をしてしまう。たぶんこれからもそうだと思う。
自分の死生観や人生観が大きく揺さぶられたし、震災があって今の自分があるとさえ思う。

自分は海の近くにはいなかったのでケガもなく、幸いなことに親族や友人が無くなることもなかった。
それでも停電しガスの止まった自宅で、余震が来るたびに泣いて震えたし、ラジオから流れる爆発した原発や浜に打ち上げられたいくつもの死体のニュースに日々大きくなる不安を抱えていた。

「どうせ大学入学遅れるし、そのあいだにじいちゃんちで免許とりなよ」

母がそう勧めてくれた。
入学するはずだった地元の大学は、入学式を中止し、業務再開を5月に遅らせることになった。
やることもないし、震災の影響も少なかった山形の祖父の家に「疎開」し、近くの自動車教習所に通うことになった。

そのころの自宅は湯沸し器が使えなかったので、灯油ストーブで沸かしたお湯で揺らしたタオルで身体を噴き、5日に一度髪を洗っていた。
じいちゃんちなら毎日風呂に入ることができた。

「置いてあるDVD好きにみていいよ」

じいちゃんちには3歳くらい年下の従妹が住んでいて、彼女がおすすめのDVDを貸してくれた。
その中にあったのが『あらびき団』という番組のものだった。知らない芸人さんばかり出ていたその番組は、そのタイトルの通り、荒くて不思議な芸のお笑いが多かった。

はっきり覚えている。
震災のあと、はじめて声を出して大笑いできたのが、そのDVDで見た風船太郎氏のパフォーマンスだった。

風船太郎氏は、巨大な風船に頭だけ出した状態で入り、さまざまなパフォーマンスをする大道芸人だ。
『あらびき団』の常連であるが、同番組ではよく芸に失敗する様が放映されている。(めちゃくちゃおもしろい)

当時のわたしは、自分で思っている以上に疲れていて、傷ついていたんだと思う。

(あ、自分今めっちゃ笑ってる)と、涙を出すほど大笑いしたのをはっきりと覚えている。

先にも言った通り、わたしはどちらかというと緻密な計算や複雑な設定のあるタイプのお笑いを好んでいた。
頭を使うことそのものが結構好きで、あれこれ考えながら見るエンタメが好きで、映画や読書も好きだ。
でも当時の私にその気力はなかった。強烈な経験でそうした気持ちが削がれていた。

風船に入った男がいる。
その男が脚立でできた段差を登ろうとする。
本人はいたって真剣である。
大失敗して落ちる。風船が割れる。

それだけのことがこんなに面白い。

すんごい元気が出た。

無事に免許を取り終えたわたしは、仙台に戻り、大学生活が始まった。
少しずつ日常は取り戻されて行って、今に至る。

今でもお笑いが好きで、コントや漫才をよく見る。
もちろん大道芸も。

自分は演劇をしているのだが、お笑いを参考に自分の演技を組み立てることもよくある。
「おもしろいってなんだろう」「笑わせるってなんだろう」ということを考えるとき、やっぱりわたしはinterestingのほうの「おもしろい」を主軸に考えてしまう。
だけど、このときの圧倒的なfunnyに心動かされて救われた経験が、いまでも鮮やかに残っている。

そんなことを、最近『あらびき団』を見て思い出した。

おしまい。

今日は発泡酒じゃなくてビールにしようって思えます。