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なるべく明るい乳がん日記1なんかへこんでるけど

2022年夏、私の右乳首はなんだかほんのり陥没していた。
時々チクチク痛いような気もした。

履歴が残ることに対してなんとなくためらう気持ちがあり『乳首 陥没』で検索をかけて調べたりすることもなく日々の忙しさにまみれ、秋の健康診断ではマンモもエコーもなく、検診結果の数値は全てなんの問題もなかった。

ただ、念の為につけたオプションの腫瘍マーカー。
それがわずか0.3だけ正常範囲を越えていた。

紹介状があったらこんなにすぐ仕事休めるのか…と思いながら、発行元でもある総合病院へ。

何かあるとしたら右胸では?と思っていたのに、数値0.3オーバーは何故か私を消化器内科へ送り込んだ。

医師は「ちょっと厳しめに数値を設定しているので、問題ない範囲ではありますが今まで調べたことがないようですし、念の為予定通りこの後撮りましょうか。」と全身のCT撮影(造影剤あり)を提案。もちろん快諾。
来年50歳になることだし、全体的にきっちり調べて安心できた方がいい。

紹介状一通で最初からCTの段取りしてくれてるんだから総合病院てすごい。なので最初からその予定で朝食を抜いてきているし朝食を抜いているせいで力が出ないし元気も出ないし出るもんも出ない。全てにおいて調子が狂う。


二週間後、医師は消化器内科の範囲は問題ないと笑顔を見せる一方、外科を受診するよう勧めてきた。右胸に怪しいカゲがあるという。

え?なんで外科?婦人科じゃなくて??
不思議に思ったけどよく考えたら乳腺外科っていうくらいだし乳腺は外科の範囲なのだった。
診察予約を取り、翌週同じ総合病院内の外科を受診する。

視触診、簡易的なエコーの後、医師は「しこりがありますね。」と言った。
え?ある?全然わからんけど??
ちなみによく言われる乳頭からの分泌物はない。
なんなら子育てしてないので人生で一度もここから何か出たことはない。

4日後。
マンモグラフィー、乳腺エコー、右乳房MRI(造影剤あり)を撮影。

たとえ怪しいカゲがあったとしても乳腺症(良性疾患)である可能性の方が圧倒的に高い。だからこれを読んでくださった方(見つけて読んでもらえて嬉しい!!ありがとう!!)何か気になる症状があるなら放置せずなるべく早く受診して欲しい。

さらに4日後、針生検(はりせいけん)決行。
結局どれだけ画像が怪しくてもそれが良性か悪性かは組織を取って検査してみないことには断定できないものらしい。

まさかここまで話が進むとは思ってなかったけど、全身のCT画像をくまなくチェックし、発見してもらえたことはものすごくありがたいと思う。感謝。

私の胸の怪しいカゲは針生検の針を使い物にならなくさせるほど硬く石灰化していた。何度も針を替えてはバチンバチンと繰り返して、なんとか必要な組織を取った。

医師は「骨への転移も調べておきましょうか。」と言った。
 ”転移” の一言にドキリとする。
言われるまま骨シンチの予約を取った。まだそうと決まってないのに。

身体は動くし働けるしご飯も食べれるけど、右胸にはカタマリがいる。
告知される覚悟はしつつもまだどこかで乳腺症(良性疾患)だったらいいなと思っていた。
局所麻酔の切れた胸はズキズキと痛んだ。

この頃にはなんの躊躇いもなく『乳がん』で検索かけまくっていた。
早期発見であれば治りやすいがんであること、全摘しても再建できること、なんなら同時に再建したりすることもあるとこの頃知った。
しこりがあると言われたところは乳首のすぐ上で触ると確かに硬かった。
急に大きくなったような気がしてなんだか怖くなった。


約二週間後いつものように一人で診察室へ入った。

「え?一人で来たの?」と医師は軽く引いた。

こういう大事な結果は普通一人で聞きに来ないことにすら気付かない悲しい長女気質。

私の右乳首をへこませていたのはやはり乳がんだった。

「全摘ですね〜」と医師はパソコンをカチャカチャしながら言った。
「どうしますか?」と聞かれた。

質問の意味がわからなかったので聞くと、今後治療を続けるのか、するならどこで治療するか、そういうことが聞きたかったらしい。

……私はこの医師に対してずっとどこかモヤモヤとしたものを抱えていた。
言葉足らずというか説明不足というか、大事なことを患者の顔も見ずに言うことに対して不満と不信があった。

「ここでも治療は出来ます。」
「執刀は私がします。」
「再建はここでは出来ません。」
こちらから質問しないと何も教えてはくれない。

取り急ぎ次の診察予約を取り、それまでにどうするか決めることになった。骨シンチに使う薬を注射し、2時間ほど時間が空いたので役所へ行く。

「婚姻届ください。」

私には一緒に暮らす人がいる。
事実婚というか同棲というか、なんの届出もしていない法律上は他人扱いになってしまう、でもかけがえのない大切な存在。

心配をかけるだろうし負担もかけるけど、私はこれから訪れる治療の日々を隣で一緒に乗り越えて欲しかった。

あと、単純に手術には ”家族の同意” がいる。
家族に病院に来てもらう必要もあるだろう。
それを遠方の親に頼んでなどいられない。
だからまず婚姻届をもらいに行った。
長女はいつもある程度一人行動してから相談する。


彼には乳がんの疑いがあって検査をしていることはすでに伝えていた。
帰宅した彼に乳がんになったことを告げるととても怖がるような恐るようなそんな表情を一瞬した。
でもすぐに不安な表情を消して彼は「でも治るんでしょ?」と言った。
治しますとも!!


タイミング良く年末年始でお笑い番組がいっぱいあってアホほど笑った。
一緒になって彼も笑っていた。笑っていてくれた。
全くもって治る気しかしない。

大丈夫。心配するな。
私はなるべく明るく治療することに決めたから。

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