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bpm164。


あまり人に話してこなかった話をする。

親父は映画が好きだった。
当時はまだDVDの普及もそこそこ。
VHSが主流だった。
いわゆる「ビデオ」というやつ。

地上波で放送されている番組、金曜ロードショーなんかで観たことのあるお気に入りの映画なんかは全て録画していた。

音にもこだわりがあった。
録画した映画はなるべくコンポで爆音にして観るのだ。
ものすごくうるさくて日曜日が嫌だった。

わたしは特に、映画がすきとかきらいとか影響を受けた自覚はない。
2時間という限られた時間の中で、自ら伝えたいストーリーを人にみせていくことに関しては賞賛すべきだし純粋にすごいと思う。


配線がどうとか、仕組みがどうとか、呼称は何でというものは一切聞いたことがなかったのでわからないが、「テレビに映る放送をカセットテープに録音できる機械」がうちにあった。

わたしのルーツは実はここにあると思っている。

親父が何を録音していたかあまり覚えていない。

車で外出する時、当時酔いやすかったわたしは好きな音楽を聴くことを許されていた。
後にポータブルのラジカセを手に入れた。

学校でマネをするとウケてもらえるのが嬉しくて、わたしは話題の芸人のコントやCMの無限ループ。
エンタの神様はもはや録画必須の番組だった。

そのうちお笑い番組に飽きた。
カセットもMDが主流になり、聴かなくなった。


また親父の話になるが、親父は風呂に入る時ラジオをつけていた。
理由はよくわからないが今でもラジオが好きらしい。
音信不通だし、今後もそのままでいい。でもラジオが好きなのは知ってる。

そのラジオを持ち出して受験勉強中に聴いていた。
テレビみたいに視覚的な面白さはなかったが、当時リリースされた「有心論」が流れてきたことに衝撃を受けてRADWIMPSにハマった。
RADWIMPSがすきな友達からBUMP OF CHICKENのCDを貸してもらった。
仲が拗れて正直ものすごく嫌いだった人からALI PROJECTのCDを押し付けられた。話を合わせてるために聴いた。
小学校の時仲が良かった友達が悪ぶってEMINEMを聴いていたことを思い出した。

とまあラジオをきっかけにCDの貸し借りが非常に盛んであったりした。
音楽ジャンルは主に邦ロック、HIPHOPをベースに聴くようになっていた。


高校生にあがって、初めてできた彼女にふられた。
ふられたことをきっかけに「いっそオタクの中のオタクに成り上がってやりたい」という謎の目標ができた。
目標はできたが、途中から忘れていた。
「オタク」は差別的に使われていた言葉だったが、いっそステータスのような風潮に変わりつつあった気がする。

高校の友達とカラオケに行ったときボカロの曲を聴いてまたもや衝撃だった。
ハチさんの曲に特に惹かれていた。
ハチさん、というボカロPは後に米津玄師と名を明かしとてつもない人気を誇ることになるということを当時の自分に伝えてあげたい。
もちろん今でも彼の作る、特に、彼が誰に頼まれたり仕事として人を介した曲ではない曲の大ファンである。

以来、パソコンでボーカロイドの曲をずっと聴き漁っていったのだった。
ボーカロイドを使って曲を作る、俗に言う「ボカロP」の曲風を知ったり、ランキングに載っていないけれど自分が好みだと思った曲を引き当てる瞬間がたまらなかった。

ボカロの曲を「歌ってみた」を聴くのも好きだった。


ここまで書いてきた事でほぼ今のわたしは形成されていることになる。

何か恥じるような事など全くないのだが、音楽の話になってわたしの好みを挙げると「そっち系かー」と言われるのがものすごく不快で人には言わなくなった。

オタクに成り上がる夢を叶えたとは思っていないし、そもそもオタクの概念が「一定のジャンルを病的なまでに追求していく様子」のようなものなのに、キャラクターがいればアニメ系と断定する考え方はむかしむかし恐竜以外のなにものでもない。


人と音楽について話すことがなくなったので、平均的な事なのかどうかもわからないが、わたしは好きなアーティストの曲でも好き嫌いがかなりある。
その人の曲、いやむしろその人が歌いさえすれば何だって…!という盲信的な考えは無い。
割と冷静に「音」として捉えている。

すごく偉そうな話をするのだけれど、なにぶん本当に人に音楽の話をすることがないのでこの際書かせてほしい。わたしの音楽の楽しみ方について。

わたしは歌詞をそこまで重視しない。

第一に曲調。
第二に音の楽しさ。
第三に曲の世界観。

これに尽きる。

世界観に歌詞が無いと奥行きがでないので、重要であることに間違いは無いのだが。いやしかし、例外ももちろんある。歌詞がものすごく好きな曲もある。

この「音楽孤独」により、わたしは中学から大体月1ペースでひとりでカラオケに行く習慣というか、もはや習性のようなものがあるのだが、"好きな曲"も細分化しているのに気付いたのはわりと最近のことだ。

"好きな曲"なのに、何百回も聴いてる曲なのになぜか歌えない。
「聴くのが」"好きな曲"なのだ。



「速い音が聴けない」
なんてSNSに触れたことで初めて聞いた言葉だったが、世の中いろんな人がいるのだから、そんな人がいたっておかしくないのだろう。
何BPMから聴けないのか試してみたいところではあるが。(ぶっちゃけ言わせてもらうと、音楽についての話でコミュニケーションを取るにあたり、その発言は悪気が無くても排他的に感じる)

話が反れたが、好きな曲についてはよほど心を許した人にしか話さないと決めている。
どこの何が良くて、どんな風に感じて、こんな情景が見えて、なんて軽率に人に話して否定された日には楽しい音である筈の音楽がそうではなくなってしまうから。

自分で音を創るひとにも、並に生きていたらわからない音の楽しみ方がある。
正直すごく羨ましい。
それを共有することにも憧れる。

ひとにはひとの楽しみ方がそれぞれあるなんて、突き放した物言いだと感じるのはわたしだけだろうか。

たかが空気の振動に鼓膜だけではなく、脳が揺らされ心が踊らされる。わたしにできることは、眠いと生が薄れる時まで自分の好きな音を漁って拾っていくだけなのだ。

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