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ステージ4-2

 兄が中学生、私が小学生の頃のことだった。

「4-2に人が閉じ込められてるんだ。見つけ出して助けてやらないといけない」
 そう言って、兄は臙脂えんじ色のコントローラーを握った。

 4-2は、当時流行っていたゲームのステージ名のひとつだ。
 正確には、流行りのピークを過ぎてから兄が中古で買ったソフトだったと思う。
 ゲームの名前は伏せておく。この話でなにか迷惑がかかるといけないので。

 小学生の私は、自分でゲームを遊ぶより、兄の上手なプレイをだまって眺めるほうが好きだった。なのでその日も昼ご飯のあと、「人助け」のためにゲームをするという兄の横にすわって、なにも聞かず、画面を見ていた。

 兄はもう何度もこのゲームをクリアしている。ワープを駆使して、あっという間に4-2にたどりついた。そのステージが始まると、兄はコントローラーを持ち替えた。
 そのゲーム機のサブコントローラー、2コンと私達は呼んでいたのだけど、2コンにはマイクがついていた。マイクに向かって兄は言った。

「おーい。いるかー。助けに来たぞー」

 ふだん物静かな兄にしては大きめの呼び声だった。このステージに閉じ込められている人に、呼びかけたのだ。
 画面からは、陽気なBGMが返ってくるだけ。

「どこにいるのかなあ。土管の近くって聞いた気はする」
 兄はぶつぶつ言いながらキャラクターを先に進めた。

 隠しブロックも抜け道もぜんぶ覚えてる兄が、何もないとわかっている所でジャンプしたり、入ることのできない土管にしゃがみこむ。ときどき立ち止まっては、2コンのマイクから「助けに来たぞー」「返事してくれー」と呼びかける。

 反応はない。特別なことはなにも起こらず、そのままゴールフラッグが降りた。

「見つからなかったなあ」

 そう言いながら、兄は当然のようにリセットボタンを押した。
 最初のゲームタイトル画面が映り、最初のステージがはじまる。
 もう一度、兄は、4-2へ向かった。

 何度も、何度も、それを繰り返した。

 ゲームが思ったように進まないとき、兄は、「くそー」と軽くつぶやく程度で、怒り出したり八つ当たりしてきたりすることはない。だからいつも安心して横で見ていられたのだけど、この日もそれは一緒で、「見つからないなあ」と穏やかに零すだけだった。

 窓の外が夕焼け色に染まりだしても、すっかり日が暮れてしまっても、兄はずっと真顔で、それを続けた。

 兄は優しかったから、私がたまに「一機やらせて」とお願いするとたいていすぐに替わってくれた。お願いしなくても、次やる? と聞いてくることもあった。
 でもこの日は、そういうことは一度も言わなかった。

 当時、兄は受験生だった。いろんなことを我慢しなくちゃいけない時だった。
 ゲームの中に閉じ込められた人を見つけ出す。そんなへんてこな大義名分を掲げて、罪悪感なくゲームをたっぷり遊びたかったのだろう。その日のはじめから、私はそう思っていた。
 兄がゲームを楽しむところを久しぶりに眺められるのが、嬉しかった。
 兄と私はお互いに、周囲からすこし浮いていた。学校でも、休みの日でも、いつもなんとなくひとりだった。だから一緒におなじものを楽しめるのが嬉しかった。私もそういう「設定」のお遊びを楽しもうと思って、なにも聞かずにずっと横に座って、一緒にずっと画面を眺めていた。

 けれど。

 すこしだけ怖くなった。
 ステージ4-2だけをひたすら繰り返す兄。探せるところを探しつくして、倒せる敵を倒しつくして、タイムアップぎりぎりにゴールに駆け込む。どうせリセットしてまた最初からやり直すのだからゴールする必要はないのに、必ずその手順を踏む。
 まるで、そうしないと自分もそちら側に連れて行かれるかのように。

 怖くなって、聞いた。

「誰が閉じ込められてるの?」

 なんの表情も浮かべずに、ゲームの画面をただずっと両目に映しながら、兄は言った。

「知らない人」


 母がパートから帰ってきて、その不思議な時間は終わった。

 今のゲーム機みたいに、プレイデータとか、見守りなんとかがあるような時代じゃない。兄が、何時間もただひたすらにひとつのゲームのひとつのステージを探索していたことは、なんの記録にも残らなかった。

 大きくなってから、あれはなんだったのかと兄に尋ねた。
 そんなことあったっけ、と、兄は穏やかに笑うだけだった。

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