俺が新入社員研修のスピーチでやろうと思っていた創作落語

入社式の翌日、新入社員研修1日目の初っ端にあった3分スピーチ(お題:入社式を終えて)で披露するために作った創作落語です。

僕はてっきりみんなの前に出てしゃべるものだと思っていたので、この原稿を一晩で書き上げて身振りの練習までやりました。しかし実際はその場で立ってしゃべるスタイルだったのでこれが使えず、お蔵入りになりました。

とはいえけっこう良い出来だと思っているので、ここに書き残して供養することにいたします。

いちおう注意しておくと、実際の原稿に入っていた具体的な地名など、特定に繋がる情報は伏せています。話の流れを留めぬために、意図して引用元を曲解している部分もあります。あと僕は、あまり落語に詳しくないので雰囲気で書いています。

それではどうぞ。


「禍福は糾える縄の如し」とは昔の人はよく言ったものでございまして、曰く人生を一本のロープとたとえたときに、そのロープは幸運と不運のひもを互い違いに編んだものである、要は幸運なことと不運なことは交互にやってくるものだ、という意味なのでございます。

さて、ここに一人の若者がございました。
この若者、賭け事終わりの人間の顔つき・立ち居振る舞いをから、その者の財布の中身を予想するのを趣味とする性根の曲がった若者なのでございますが、そんな者でもどうにかこうにか大学を卒業し、就職にこぎつけたので、翌日にひかえた入社式のため意気揚々と城下町までやってきた。

春とは思えぬカンカン照りに額に汗してやってきたかと思いきや、着いたときにはひっきりなしに雷の鳴る雨ざらし。挙句の果てには横断歩道を渡っていたら、車に轢かれかける始末。

真に禍福が糾える縄であるなら、次は幸運が来るはずだ。ならばこうして入社式を迎えられることこそが、幸福なのでありましょう。

そんな思いを嚙みしめつつ、聞いていた社長の訓示にこんな引用がありました。

 〝夢なき者に成功なし〟

幕末の世を夢に生きた稀代の教育者・吉田松陰の言葉です。
火の玉のように生きた松陰の、あまりに熱い心意気。
松陰のことばを聞くと、私はいつもじりじりとはらわたを焼かれるような腹持ちになるのでございます。

 〝死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし〟

死んで夢が叶えられるなら死ぬべきだ。
笑ってしまうくらい過激ではありますが、どうせ死ぬなら夢のため、それが人情というものでありましょう。

夢、夢、夢。
とかく夢というものは、空に浮かんでいるものなのでありましょうか。

理想が地に伏せていたことなど一度もなく、まどろみの夢は天井にみるものでございます。

だとすれば、夢をみて進むこととは、空をみて進むことなのでございましょう。
そういうふうに生きられるなら大変けっこう。

ただしかし、

どうか皆さまハンドルを握るあいだくらいは、夢うつつになどなられませんよう。

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