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バンクシー

職場の先輩に美術館の招待券をもらった。せっかく頂いた招待券。できれば有意義に使い切りたい。しかし、先日の美術館訪問で、どうやら私には美術品を楽しむ「感性」や「落ち着き」が搭載されていないことに、気づいてしまった。

途方にくれていた私に朗報が舞い込んだ。どうやら、来月からその美術館で「バンクシー展」が開催されるそうなのだ。バンクシーなら芸術に明るくない私でも知っている。
「正体不明の芸術家で、色々な土地の色々なところにこっそり絵を描いている人」だ。

たくさんの所に絵を描いているのに、一体何故、今日まで正体がばれないのかとても不思議だ。一人くらいは目撃した人がいても良さそうなのに。
目撃者には、「言わないでね。代わりにサインあげるからね。」とか言って、口止めでもしているのだろうか?
だとしたら、きちんとその言いつけを守っている目撃者たちは相当えらい。
私なら「絶対誰にもいわないでね?」なんて、前置きをして「この前、バンクシーが絵を描いてるところ見っちゃってさ!」と、うっかりしゃべってしまいそうだ。その上、もらったサインも自慢するだろう。
バンクシーは、きっと口の堅い善良な市民に支えられているのだ。

私はすぐさま友人のRさんにメッセージを送った。

「来月〇〇美術館でバンクシー展があるらしい。行こ。」

程なくして、Rさんから返信が来た。

「えっ?バンクシーが来るの?」

「いやいや、バンクシーは来ないよ(笑)来るのはバンクシー展・・・

私は、メッセージを送りかけてやめた。

「バンクシーは来ない。」というのは私の勝手な思い込みだ。

異国で自分の作品の展示会が行われることになれば、私がバンクシーなら絶対に行く。
そして、柱の陰から「みんな楽しんでくれてるかな。」とソワソワしながら来場者を観察し、みんなの反応を見て一喜一憂するだろう。
開館時間が終われば、その土地の観光スポットに出かけたり、名産品を堪能したりしたい。
私がバンクシーなら絶対にそうする。もちろん、バンクシーは私ではないし、私はバンクシーではない。
しかし、「バンクシーはきっと私の地元にこっそりやってくる!」という思いは私の中で確信にかわった。

あぁ、こんなことなら今年の七夕の短冊には
「バンクシーが何かの手違いで私の実家の壁に作品を描きますように。」
と書けばよかった。今年のお願い候補はいくつかあったのだが、「コロナが早く収束しますように。」とか「みんなが健康で暮らせますように。」とかは、他の方たちと被ってしまう気がして、何を血迷ったのか私は

「お肉がたくさん食べられますように。」

という、ティラノサウルスとしか被りそうにないマヌケなお願いごとを書いてしまったのだ。

もし、バンクシーが地元に来ることになったら、絵を描いているところをうっかり目撃してしまう可能性もある。
バンクシーは
「だれにも いわない おねがいします」
と、いくつか勉強してきてくれた日本語で言うかもしれない。
もし、そうなったら、私は、
「私の親友のRさんにだけには、言ってもいいですか?」とお願いするだろう。
その時に備えて、google 翻訳で「私の親友のRさんにだけは、言ってもいいですか?」の英訳を検索しておいた。
備えあれば憂いなしだ。

もし、バンクシーがRさんだけに打ち明けることを許可してくれたら、私はRさんと一緒にバンクシーを連れて牡蠣小屋に行くだろう。
せっかく地元に来てくれたバンクシーには、できるだけ楽しんで美味しいものを食べて帰ってほしい。しかし、地元の有名な牡蠣小屋は、予約ができないので、バンクシーも一緒に並んでもらうことになるかもしれない。
その時には、「ソーリー」と誠心誠意謝ろう。

その後は、バンクシーの行きたいところを聞いて、できるだけ効率良くその場所に到着できるようにサポートしてあげよう。
もし、良ければ車も出すよ。

妄想の中でバンクシーとすっかり仲良くなった私は、「バンクシーのことは、Rさん以外には絶対いわないぞ。」と決めた。
そして、バンクシーの来日に備えて英語を習おうかな。と思い始めている。

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