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ゲームで他人に責任転嫁しないようにしたら鬱になってきた話

こんにちは.最近VALORANTを頑張っている人です.


ゲームをやっていると味方のせいにしたくなる

最近,LOL(League of Legends)やApex,VALORANTなど,チームで対戦する様々なゲームが流行っており,実際にプレイしている人や,プレイはしないがゲームは知っている人が増えてきているように感じている.
(私がゲーマーだから周りにもゲーマーが集まるというバイアスはあるが)

これらのゲームを実際にプレイしたことのある人は分かってくれるだろう.
協力型のゲームで負けたとき,味方のせいにしたくなるのだ.

どうして責任転嫁したくなるのか

別に負けたからといって人のせいにしたくならないよという人もいるだろう.
そういう人はとても,とーーっても清らかな心の持ち主か,あるいはエンジョイ勢の2択だろう.
エンジョイ勢とは,ここではゲームのランクを積極的に上げようとしていない,あるいはゲームのランクに興味がない人を指す.

ちなみに,私もあまり真面目に取り組んでいないゲームでは人のせいにしようとはならない.なぜなら,そんなゲームで負けてもなんとも思わないからだ.
ゲームをカジュアルに楽しむ,ゲームの正しくて平和な楽しみ方だろう.

しかし,ゲームによってはそうはいかない.
対戦ゲームでは,どうしても他人と競いたくなる.そして,ゲームにおけるランクとは,多くの場合はその人のゲームの上手さを表している.
だから多くのゲーマーはランクという沼に飲まれるのだ.

私自身も,そうやってランクの沼にハマったプレイヤーの一人である.
こうなると,それまで”負けても楽しい”という状態だったのが,”勝つことが楽しい”という状態になる.
そして,もう一つ.”負けると悔しい”という心理が生まれる.

この”負けると悔しい”という気持ちを処理する方法が,”責任転嫁”なのである.

責任転嫁は良くないこと?

「責任転嫁することは良くない」これは一般的によく言われることで,間違った認識ではない.
しかし,責任転嫁という行為が完全に悪かというと,そうでもない.

なぜなら,今回の話題はチームゲームの話題であり,チームゲームにおいてはすべて自分の責任で負けるわけでないからである.
これが将棋やスマブラ,ストリートファイターなどといった個人で戦うゲームだったら話は変わる.

だが,VALORANTやLOLは5人チームで戦うゲームであり,チームで戦っている以上,負けの要因は多岐にわたる.
そこで,負けの要因を自分のせいにしても限界があるのだ.

これが責任転嫁という言葉の落とし穴であり,私が鬱になりかけた理由である.

ある程度は味方のせいにするべき

「責任転嫁は良くない」という意識をもってゲームをしていたが,では負けたときの悔しいという気持ちはどうすればよいのか.

ここで私はすべて自分のせいにした.
結局自分が勝てなかったのが悪いという風に考えるようになったのだ.
しかし,こうなってしまうと,すべての自分のミスが気になるようになってゲームがうまくいかなくなってきた.

負の連鎖の始まりである.
また,自分のせいにするのは精神衛生上よくないため,徐々にメンタルに悪影響を及ぼす.

人のせいにしないデメリット

では次に,私が責任転嫁しないようにしたことで生じたデメリットについて話そうと思う.

1.チームの雰囲気を悪くした
先ほども同じことを書いたが,私は責任転嫁しないようにするために,負けた理由を自分のせいにするということを行っていた.
そのため,チームメイトがミスをしたときも,自分のせいで負けたという旨の発言をしていたのだ.
本当に敗因となったプレイをした本人からすれば,少し馬鹿にされたように感じたのだろう,私の発言によって雰囲気が悪くなったことがある.

2.過剰な自責・謙遜は気色悪い
これは,自分のせいにするとメンタルに悪影響を及ぼすことと関連している.
負けを自分のせいにしていると,自分の弱さばかりに目が行くようになり,自分に対しての良い言葉があまり出てこなくなった.

すべてを自責するというのもあまりよくないというのは分かっている.
だが,一度他人を責めてしまったら,暴言を吐いてしまいそうで怖いのだ.

これらを解決した,たった一つの冴えた考え方

他人に責任転嫁しないというのは大事なことであると今でも考えている.
だが,そのために自責するのは自分のメンタルによくない.
そこで,次のように考えることを意識した結果,問題が解決した.

相手が強かったことにする.

これに尽きる.
たとえ相手がどんなにまぐれでも,自分がどんなに酷いミスをしていたとしても,相手が上手かったから負けたと,その場では自分に言い聞かせるのだ.

私は,この方法が最もその場をやり過ごす方法として優れていると考えている.

さいごに

あまりゲームをしない人は,こんなことを考えながら,ある意味苦しみながら本来娯楽であるはずのゲームをしている私が,非常に滑稽で不思議に思うかもしれない.

だが,このように苦悩しながらゲームの腕前を上げた先に得られる快感が存在するのも事実であり,これはエンジョイ勢には得られない楽しみの一つである.

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